第二話 詐欺師は、見えない傷を売る
噂に根拠はいらない。
むしろ、根拠がないから広がる。
確かめようのないものほど、人は勝手に意味を足していく。
――それでも。
目の前の女が、私しか知らんはずの“91%”を口にした時点で、この話はもう、ただの噂ではなくなっていた。
「……今、何て言うた」
私が一歩距離を取ると、赤いリボンの女子高生――朱宮ナユは、面白がるでもなく肩をすくめた。
「91%。今朝、黒猫に言われたんやろ」
「なんで知ってる」
「知ってるからや」
「答えになってへん」
「せやな。ほな、少しだけまともに答えたる」
ナユは肉まんケースから背中を離し、私の手の中のレシートを顎で指した。
「それ引いた子は、だいたい次に二種類に分かれる。怖がって捨てる子と、意味ない言うて握りしめる子。あんたは後者」
「性格分析で煙に巻くな」
「巻いてへんよ。観察結果を述べてるだけ」
「“観測者を確認しました”ってメッセージ、あんたが送ったん」
「半分そうで、半分そうやない」
「ますます腹立つ答えやな」
「よく言われる」
彼女はにこりと笑った。
可愛げのある顔やのに、その笑顔には何か別の計算が混ざっている。
私はスマホを握り直した。ラプラスに今すぐ通話をつなげるべきか迷う。
けれど、その前に聞かなあかんことがあった。
「質問は三つ。なんで私の名前を知ってるんか。なんで“91%”を知ってるんか。それと、これは何なん」
私はレシートを掲げた。
ナユは少し黙ったあと、意外なくらい素直に言った。
「名前は調べた。あんた、そこそこ目立つもん。数学強いし、言い方きついし、都市伝説信じへんくせに外れ値だけ追うし」
「悪口の比率高ない?」
「褒め言葉も入れたで」
「いらん」
「91%を知ってる理由は――うちも前に、似たような数字を言われたことがあるから」
そこで初めて、ナユの声が少しだけ硬くなった。
私は目を細める。
「誰に」
「鳥みたいなAIに」
「……鳥?」
「黒猫やなくて、黒い鳥。口悪かったし、気ぃ利かんし、でも最後までうるさかった」
ラプラスとは別個体か。
それとも、同じ系統の何かか。
「そのAIは、あんたに何て言うたん」
「忘却率、って」
私は眉をひそめた。
「何それ」
「対象が“自分に都合のええ物語”へ飲まれて、現実との矛盾を見失うまでの進行度。そんな感じの説明やったかな」
ぞっとした。
言葉だけなら荒唐無稽や。
でも、今朝ラプラスが言った“自分の見たい話より、おかしな現実を優先できている割合”と、意味の向きが一致している。
「……それ、作り話やろ」
「そう思うやろ」
ナユはポケットから一枚の古いレシートを出した。紙の角がくたびれていて、何度も折りたたまれた跡がある。
『¥666』
金額だけなら、私の持っているレシートと同じや。
問題は、その下やった。
発行時刻 18:18
取引番号 1313
端末番号 13
そして、紙の端には、よく見ないと分からへんくらい薄く、黒い羽根のような染みがあった。
「……小道具にしては手が込んでるな」
「そう思うならそう思っててええよ。でも、これ三年前のや」
「何の証拠もない」
「せやな」
ナユはあっさり認めた。
そのくせ、次に出てきた言葉は、私の胸の真ん中を変に刺した。
「証拠、あっても消えることあるし」
「は?」
「写真も、記録も、他人の記憶も。けど、消えきらん違和感だけ残ることがある」
彼女はそこで一度だけ視線を逸らした。
ガラスの向こうの夕方の通り。そこにおらん誰かを探すみたいに。
「三年前、うちの弟が消えた」
私は黙った。
「警察にも行った。学校にも言うた。戸籍も写真も最初はあった。けど、途中から、みんな変なこと言い出したんよ。“最初からそんな子おらんかった”って」
「……そんなわけない」
「せやな。ないはずや」
ナユの声は静かやった。
同情を誘う芝居みたいな湿り方やなくて、もう乾いてひび割れた傷を、ただ平らに撫でてる声やった。
「うちだけが覚えてる。あの子がおったって。黒い鳥のAIも、そう言うてた。『覚えている方が異常なのではなく、忘れた方が収束したのです』って。ほんま感じ悪いやろ」
……その台詞回し、少しラプラスに似てるな。
私が何も言えずにいると、スマホが震えた。
ラプラスからの通知。
『そのレシートに長く触れないでください』
私は反射的に手の力を緩めた。
紙が少し揺れる。
続けてもう一通。
『朱宮ナユを完全には信用しないでください。ただし、一人で帰るのはもっと危険です』
「どっちやねん……」
小声で漏らした私を見て、ナユが目を細めた。
「黒猫、何て」
「別に」
「顔に出てるで。あんた、合理的なふりしてわりと分かりやすい」
「誰のせいやと思ってんねん」
「黒猫と、うちかな」
腹立つ。
ほんま腹立つけど、怖さが先に来ていた。
こいつは何かを知ってる。少なくとも、“知らんふりして脅かしてるだけの人間”の感じやない。
「……その噂、666円の次は何なん」
ナユは少しだけ口元の笑みを消した。
「裏鬼門の和菓子屋」
「は?」
「地図に載ってへん和菓子屋。そこで売ってる卵最中を買うた人だけが、次の段階へ進む」
「次の段階?」
「十三駅の十三番ホーム」
私は思わず呆れた声を出した。
「十三駅に十三番ホームはないやろ」
「せやから都市伝説なんやって」
「因果関係もクソもない。噂に噂を足して意味があるように見せてるだけや」
「そうかもな。でも」
ナユは私の目をまっすぐ見た。
「“意味があるように見せる”って、ほんまに人間だけがやってると思う?」
その瞬間、私は言い返せへんかった。
今朝からラプラスがやっていることを、そのまま別の角度から言われた気がしたからや。
「何が言いたいん」
「人を動かすんは、だいたい事実やなくて物語やってこと」
「私は動いてへん」
「動いたからここ来たんやろ」
言葉に詰まる。
確かに、私は来てしまった。
ナユはその隙を逃さへんかった。
「和菓子屋、案内したる」
「……対価は」
「安いもんや」
彼女は私のポケットのあたり――ラプラスとつながっているスマホを見て、少しだけ寂しそうに笑った。
「あんたの黒猫について、教えて」
ぞく、とした。
「なんでラプラスのことまで知ってる」
「知ってるというより、たぶん、うちが知らなあかん側なんやと思う」
意味分からん答えや。
でも、その顔はさっきまでの飄々とした詐欺師の顔やなかった。
私は一度、外へ視線をやった。
コンビニの自動ドアの向こう、夕方の難波がいつも通りにざわついてる。普通の街や。普通の高校生なら、今ここで変な女を振り切って帰れば終わる話かもしれん。
そのはずやのに、帰った先で本当に“終わる”気がしなかった。
スマホがまた震える。
今度は短い一文だけやった。
『ユカリ。現在のツンデレ率は84%です』
「は?」
思わず口に出た。
ナユが眉を上げる。
「今度は何」
私は画面を睨む。追撃の通知。
『これ以上“懐かしさ”を優先すると、観測基準が崩れます』
懐かしさ?
何がや。私はこの女に今日初めて会ったはずやろ。
なのに、その瞬間。
コンビニの自動ドアが開いて、外から夕方の風が流れ込んできた時、私は確かに感じてしまった。
――この匂い、知ってる。
根拠はない。
でも、知っている気がした。
私が顔をしかめたのを見て、ナユの表情が変わった。
ほんの一瞬だけ、冗談抜きの焦りが浮かぶ。
「……ほんまに来てるんやな」
「何が」
「次の話が」
その言い方と同時に、コンビニ店内の蛍光灯が一瞬だけちかちかと明滅した。
レジの客が顔を上げる。店員が天井を見上げる。
でも私には、その明滅の中に別のものが見えた。
ガラス扉の向こう。
道路を横切っていく、一羽の黒い鳥。
いや、鳥やない。
影みたいな、紙を切り抜いたような、輪郭の曖昧な何か。
一度まばたきしたら、もう消えていた。
「……今、見た?」
私が訊くと、ナユは小さく頷いた。
「うん。せやから、走るで」
「は?」
「たぶん昨日の続きや」
「昨日?」
「説明は後」
彼女は私の手首を掴んだ。
細い指やのに、驚くほど強い。
その瞬間、スマホに最後の通知が来る。
『その店を出てください。十三番目の改札が開きます』
私の心臓が、今度こそ明確に跳ねた。
コンビニの自動ドアが、ひとりでに開いた。
外に、見慣れたはずの難波の駅前が広がっている。
ただひとつだけ、おかしいものがあった。
駅の案内板の下。
本来なら存在しないはずの場所に、黒い矢印でこう書かれていた。
13番線 →
(第三話へ続く)




