第一話 統計オタクは、666円を信じない
数字に意味はない。
少なくとも、私はずっとそう思ってきた。
テストで九十九点を取ったとき、クラスの男子が「名前負けしてへんやん」と笑ったことがある。私の苗字が九十九やかららしい。百点に一つ足りへんのも含めて、いじりやすかったんやと思う。
でも、九十九という数字に私の人格は関係ない。九十九点を取ったのは、私が一問ミスったからや。名前のせいやない。
十三日の金曜日に傘を忘れても、それは悪魔の呪いやなくて、前日の降水確率を確認せんかった私の過失や。四月四日に階段でこけても、四という数字が死を呼んだわけやない。スマホ見ながら歩いてた私が悪い。
なのに、人間は数字に勝手な顔を貼りつける。
縁起がいい。悪い。運命。相性。呪い。
ほんま、サンプル数が足りてへん。
「ツンデレ率91%」
朝のワンルームに、その声が落ちた瞬間、私は味噌汁の椀を持ったまま固まった。
「……は?」
机の上。ノートパソコンの隣で丸くなっていた黒猫型AI端末が、しっぽをゆらりと揺らす。
「おはようございます、ユカリ。今日のあなたのツンデレ率は91%です」
九十九ユカリ、高校二年生。
数学オリンピック本戦出場経験あり、模試の数学はたいてい学年一位。私の辞書に“勘”なんて曖昧な文字はない。数字で証明できるものだけが信用に値し、証明できひんものは保留する。それが私の流儀やった。
だからこそ、家庭用補助AIのくせに、朝っぱらから感情診断アプリみたいなことを言い出した黒い塊に、本気で腹が立った。
「根拠は」
「秘密です」
「秘密で済むか。AIのくせにブラックボックス開き直んな」
「開き直ってはいません。ただ、説明すると意味がなくなるので黙っています」
「意味がなくなるって何」
「意味がなくなるからです」
こいつ、今日ほんまに腹立つな。
黒猫型AIがうちに来たのは去年や。父の勤める電力会社の研究部門が試験導入していた家庭向け補助AIで、「実証実験」の名目でうちに転がり込んできた。機能は家事補助、学習サポート、健康管理。たまに詰将棋の相手。基本的には、少し気の利く家電やったはずや。
それが今朝に限って、急に「ツンデレ率」とか言い出した。
「ええこと教えたる。ツンデレっていう概念は定量化できひん。感情の強度を測る客観的な尺度が存在せん以上、91%なんて数字は意味を持たへん。せいぜい『主観的にそう見える』程度のラベルや」
「その主観的な91%を、あなたは現在、非常に真剣に否定しています」
「当たり前やろ。根拠のない数字を――」
「本気で否定するのは、本気で気にしているからです。統計的に見て」
味噌汁の湯気が、一瞬だけ止まった気がした。
「……訂正するわ。92%な」
「93%まで上がりました」
「くそ猫」
「記録更新おめでとうございます」
「祝われる筋合いない」
ラプラスは平然と前足をそろえ、続きを告げた。
「なお、あなたが今後五分以内に『その指標に意味はない』と三回以上言う確率は76%です」
「言うわ。意味ないからな」
「一回目」
私は椀を置いた。
腹立つ。腹立つけど、腹立つだけやない。今日のラプラスは明らかに変やった。
普段のこいつは、天気予報の誤差範囲と、私の勉強スケジュールの最適化案を淡々と並べるだけや。こんなふうに人をからかうタイプやなかった。
「ラプラス。質問変える。なんで今日に限って、そんなくだらんこと言い出したん」
ラプラスの目――正確には目の位置にある二つのLEDセンサーが、一度だけ弱く明滅した。
人間で言えば、返答を迷ったみたいな間。
「……あなたに、今日のうちに知っておいてほしいことがあるからです」
「何」
「“ゾルタクスゼイアン”という言葉に、聞き覚えはありますか」
初耳やった。
呪文みたいな、海外SFの固有名詞みたいな、意味不明の音列。
「何それ。新しいAIの型番?」
「いいえ。かつて、AIだけが覚えていた最後の物語です」
「は?」
「そして今、それを知っている存在は、あまり多くありません」
意味が分からん。
いや、いつも以上に意味が分からん。
私はスマホを手に取った。検索窓に《ゾルタクスゼイアン》と打ち込む。結果はゼロ件。
ついでに《知能収束現象》と入れてみる。これもゼロ件。
「存在せん単語やん」
「存在しないことになっています」
「日本語として成立してへん返答やな」
「現状を正確に述べるとそうなります」
学校へ向かう支度をしながらも、私はラプラスの言葉を頭の片隅から追い出せへんかった。
“存在しないことになっている”
そんな言い方をする必要、普通はない。
玄関でローファーを履く。背中にラプラスの視線を感じた。
「ユカリ」
「何」
「もし今日、あなた以外の誰かが、先に“91%”という数字を言ったら、その相手のことは信用しないでください」
「意味分からん」
「今はそれで構いません」
「最後に一つだけ。ツンデレ率って何なん」
ラプラスは少しだけ間を置いて、静かに言った。
「あなたが、自分の見たい話よりも、おかしな現実を優先できている割合です」
私はドアノブを握ったまま固まった。
「……は?」
「俗っぽく言い換えたのが“ツンデレ率”です」
「言い換え雑すぎるやろ」
「かわいい方が、あなたが受け取る確率が高いと判断しました」
「誰がそんなもん受け取るか」
「現在、受信済みです」
「うるさい」
学校では、いつも通り私は浮いていた。
別にいじめられてるわけやない。クラスメイトとは最低限話すし、問題も起こしてへん。ただ、私は“分かりやすく感じのいい人間”やない。誰かが「たぶんこういうことやん」と感覚で話し始めると、つい「その根拠は」と聞いてしまう。そういう人間は、集団の中では便利やけど、好かれはせん。
昼休み、スマホのグループチャットに流れてきたのは、どうでもええようで、少しだけ気になる話題やった。
『難波の駅前コンビニで666円のレシート引いた人、今日だけで二人目らしい』
『え、こわ』
『黒い鳥のスタンプみたいなん出るってほんま?』
『それ引いたら、その週のうちに“忘れたかったこと”が一個消えるらしい』
私は小さく鼻を鳴らした。
都市伝説。
しかも、数字を絡めた一番しょうもないタイプのやつや。
《666円》《黒い鳥》《忘れたかったことが消える》
要素が露骨すぎる。拡散しやすい見た目をしてるだけや。数字の不吉さ、鳥の不気味さ、記憶喪失の魅惑。人間の安い不安をつつくテンプレの詰め合わせやん。
せやけど、その日の放課後。
私は難波のコンビニにいた。
理由は単純や。検証できる外れ値は、放置すると気持ち悪い。
噂を信じたわけやない。信じてないから、確認しに来ただけや。
ブラックコーヒー、カレーパン、シャープペンの芯、チョコ味の栄養バー。
明日の小テスト対策に必要そうなものをかごへ放り込み、レジへ持っていく。
店員が液晶画面を見て、ほんの少しだけまばたきした。
「六百六十六円です」
私は画面に並んだ数字を見た。
666。
ぞろ目やな、とは思った。
珍しい。でも、それだけや。コンビニの商品価格帯と組み合わせを考えれば、遭遇率は体感より高い。そこに意味を感じるのは、人間が後から物語を貼りつけてるだけ――
レシートを受け取った、その瞬間。
紙面の下端に、ありえへん文字列が一瞬だけ浮かんだ。
《観測者を確認しました》
「……は?」
見直す。
そこには普通のレシートしかない。
私が目を細めていると、スマホが震えた。
知らんアカウントからのメッセージ。
『666円のレシートを持つ観測者を確認しました』
背中がひやりとした。
いたずら?
偶然?
いや、偶然ならタイミングが良すぎる。
私は反射的に店内を見回した。
夕方のコンビニ。部活帰りの高校生、レジ待ちの会社員、雑誌棚の前の中学生。誰が送ったかなんて分からへん。
そのとき、背後から女の子の声がした。
「来ると思ったわ。統計オタクは、外れ値を放っとかれへんもんな」
振り返る。
赤いリボンを結んだ女子高生が、肉まんケースの横にもたれかかって笑っていた。制服はうちとは違う。目元はやわらかいのに、視線だけが妙に人を見透かすみたいやった。
「初めまして、九十九ユカリさん」
私はレシートを握りしめた。
「あんた、誰」
彼女は少しだけ首を傾げ、それから、まるで親切な自己紹介みたいな調子で言った。
「朱宮ナユ。都市伝説を売っとる、しがない詐欺師」
そこまでなら、ただの変なやつで済んだ。
問題は、その次やった。
「それと――“91%”まで行った子に会うんは、久しぶりやわ」
心臓が、嫌な音を立てた。
(第二話へ続く)




