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第十五話 噂は、誰の口でも同じ温度になる

資料室を出たあと、私たちは建物の外へ戻った。


 地下に長くいたせいか、夜風がやけに生々しい。けれど現実へ戻れた感じはなかった。頭の中では、同行者配置案の赤字がずっと焼き付いている。


 朱宮ナユ。


 あの名前は、私が自分で出会ったと思っていた人の輪郭を、少しだけ薄くした。


「……喋らへんの、当然やと思う」


 ナユがぽつりと言った。


「今、何言うても言い訳に聞こえるし」


「そうですね」


 自分でも驚くくらい平坦な声だった。


 その時、道路の向こうで誰かが叫んだ。


「見た!? 黒い傘の女、今ここ通ったって!」


 振り向くと、コンビニ前に人だかりができている。大学生くらいの男女、スーツ姿の男、制服の女子高生。みんな同じ方向を見て、同じ熱を帯びた顔をしていた。


「何」


 ナユが眉をひそめる。


 すぐそばの街頭モニタでは、ローカルニュースが流れていた。SNS発の話題、とテロップが出る。


 ――“黒い傘の女を見た者は、会いたい相手に再会できる”という噂が拡散中。


「……は?」


 私は耳を疑った。


 その場にいた女子高生が、友達に早口で喋る。


「でも条件あるねん、絶対に声かけたらあかんくて、三回だけ心の中で名前呼ぶねんて」


 別のサラリーマンが、ほぼ同じ抑揚で言う。


「ほんで、見失った方向に行ったら会えるらしい」


 知らない人たちが、同じ温度で、同じ噂を口にしている。


『局所拡散を確認』


 ラプラスが言う。


『発生源は不明ですが、拡散文面の一致率が高すぎます』


「コピーされた、ってこと?」


『いいえ。むしろ逆です。各自が“自分の言葉で喋っているつもり”で、同じ核を補完しています』


 最悪だ。


 誰かが命令しているわけじゃない。けれど全員が、自分の願いを餌にして同じ方向へ動き始めている。


「黒い傘……再会……」


 ナユが小さく呟いた。


「分かりやすく“会いたい相手”を釣り針にしてる」


「みんな、自分で選んでるつもりで?」


「せや」


 その時、群衆のひとりが突然走り出した。つられるように、二人、三人と同じ方向へ走る。信号も見ず、車道へ飛び出す。


「危ない!」


 私は反射的に駆けた。トラックのクラクション。女子高生の腕を掴んで引き戻す。すぐ隣をバイクがかすめた。


「何すんの! 今、行かなあかんのに!」


 女子高生は本気で怒っていた。目の焦点が危うい。


「会いたい人、いるんでしょ」


「……え」


「だから急いだ。でも、死んだら会えません」


 私がそう言うと、彼女は一瞬だけ固まった。目の奥の熱が、かすかに揺れる。


「わ、たし……」


 その隙にナユが割って入る。


「その噂、続きをちゃんと聞いた?」


「続き?」


「“会いたい相手に会える”代わりに、“会った後のことは誰も覚えてへん”」


 即興の嘘だった。


 でも効いた。


 女子高生の顔から熱が引いていく。


「……そんなの、知らん」


「せやろ。噂って、都合ええとこしか広がらへんから」


 ナユは柔らかく言う。


 なるほど、と思った。人を止めるには命令じゃ足りない。同じく“物語”で上書きするしかない。


「ナユ」


「分かってる。今日はうち、怪談で怪談を潰す」


 私たちは駅前へ向かった。すでに小さな人波ができている。皆、どこか一点を見つめて、何かを待っている。たぶん誰も、最初の発信源なんか知らない。


 ルナの声がイヤホン越しに割り込んだ。いつの間に接続されたのか分からない。


『見事でしょう』


「趣味悪」


 私は吐き捨てる。


『強制はしていません。願望に方向を与えただけです』


「それを最低って言うんです」


『願いがなければ、噂は機能しません。つまり動いたのは彼ら自身です』


 その理屈の気持ち悪さに、私は歯を食いしばる。


「だから責任がないみたいに言うな」


『責任はあります。だから観測しています』


 通話が切れた。


 ナユが小さく舌打ちする。


「正しさの顔したまま、人を材料扱いしよる」


 私は群衆を見渡した。止めるなら、噂の続きを先に配るしかない。


「ラプラス、今出回ってる文面の核、抜けますか」


『試行します』


「ナユ、拡散の早い言い回し、考えて」


「任せ」


 私たちは駅前のデジタル掲示板に乗っ取り表示された注意文を流した。


 ――黒い傘の女を追った者は、いちばん会いたい人の顔を忘れる。


 乱暴だ。でも、人は利益より損失を避ける。会える、より忘れる、の方がブレーキになる。


 ざわめきが波のように揺れた。


 足を止める人が増える。スマホを見る人が増える。さっきまで一方向へ流れていた群衆が、少しだけ散る。


「効いてる……?」


『十分ではありません』


 ラプラスが答えた。


『ただし、“唯一の続きを信じる状態”は崩れました』


 その表現に、私は小さく息をつく。


 完全に止められなくてもいい。一本の物語に収束させなければ、それでいい。


 その時、私のスマホに新しいファイルが届いた。


 送信元不明。


 件名なし。


 添付は一枚の画像。


 開いた瞬間、心臓が止まりかけた。


 そこには、父とナユが並んで写っていた。


 撮影日は、三年前。

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