第二十七話 逃げた日々も戻らない
そのあとが違った。
私が階段の下へ落ち、教師たちが駆け寄ったとき、セシリアは助けを呼ばず、その場を離れた。
侍女は落ちた扇を回収し、主家が事件へ関わった証拠を隠した。
侍女は、セシリアが以前から『フィオナさえ日曜日を退けば』と零していたことを理由に、さらに行動したと供述している。
私が王宮で婚約者として扱われ始めると、事故の記憶を取り戻すことを恐れた。
日記を盗み、過去を覚えているか確かめようとした。
日曜日のドレスを切り、王太子妃にふさわしくない状態へ追い込もうとした。
タイムを踏んだのは、レオナルトと私が一緒に植えたものだと知ったから。
すべて、私を王宮から追い出すため。
報告書を閉じると、指がひどく冷えていることに気が付く。
「セシリア様は、侍女の行動を知っていたのですか」
「日記が盗まれた段階で気づいたと供述しております」
「それでも、止めなかった」
「はい。事故が明るみに出ることを恐れた、と」
故意に突き落としたわけではない。
だからといって、何も悪くないわけではない。
袖を掴んだ。
落ちたあと逃げた。
証拠を隠した。
侍女の嫌がらせに気づきながら、止めなかった。
選択の一つ一つが、フィオナを傷つけた。
「セシリア様から、面会の申し出がございます」
「オルガ様……殿下はなんと?」
「お会いになるかどうかは、フィオナ様がお決めになることだと」
以前なら、危険だと止めたかもしれない。
封筒へ報告書を戻した。
「お会いします」
怖さは消えない。
許すつもりもない。
それでも、真相を聞くかどうかも、誰の口から聞くかも。
今度は、自分で選ぶ。
翌日、セシリアは一人でフィオナの部屋へ来た。
藤色の扇は持っていない。
髪も飾りを減らし、水曜日を示す紫のドレスではなく、灰色の簡素な衣装を着ていた。
それでも私の目には、階段の上で青ざめていた顔が重なる。
「お座りください」
「いいえ。このままで結構です」
セシリアは扉の前で深く頭を下げた。
「階段で、私の袖を掴みましたね」
私が尋ねると、彼女の肩が強張る。
「はい」
「突き落とすつもりはなかった」
「ございませんでした。信じていただけないことは、承知しております」
「掴んだことは覚えています。手を伸ばしたことも」
セシリアが顔を上げる。
「ですが、私が落ちたあと、助けを呼ばずに逃げましたね」
「……はい」
「扇を侍女に隠させた」
「私が命じたわけではありません。ですが、彼女が拾ったことを知りながら、返すように言いませんでした」
「日記を盗んだことは?」
「翌日に知りました」
「ドレスとタイムは?」
「あとから……」
「どれも、止めなかった」
「はい」
セシリアは目を閉じる。
部屋へ沈黙が落ちた。
彼女は、報告書の最後に記された供述を思い出す。
「あなたは侍女へ、『私さえ日曜日を退けば』と何度も仰っていたそうですね」
「言いました」
セシリアの指が、スカートの上で震える。
「本当に、そう思っていたのです。あなたが最有力である限り、私どもの努力は何も見てもらえない。王妃陛下にも、家にも、もっと近づけと言われ続けました」
「だから、私が消えればよいと」
「……そう願いました」
言い訳をせず、彼女は認めた。
「侍女が行動したのは、私がそう望んでいると知っていたからです。私が直接命じなくても、彼女へ望みを見せ続けました」
私は膝の上へ右手を置いた。
制度が悪かった。
家が追い詰めた。
侍女が行動した。
どれも事実だ。
けれど、それだけでセシリアの選択が消えるわけではない。
「事故だったから、あなたに責任はないとは言いません」
正面から彼女を見る。
「袖を掴んだこと。落ちたあと逃げたこと。扇を隠したこと。侍女の行動を知りながら止めなかったこと。それは、あなたが選んだことです」
「はい」
「候補制度のせいだけには、しないでください」
「いたしません」
セシリアはもう一度、深く頭を下げた。
「お許しいただけますか」
すぐには答えなかった。
許せば、楽になるのだろうか。
悪意だけで突き落としたのではないと知った。家の圧力も、制度の歪みもわかった。
それでも、階段を落ちる恐怖は消えない。
泥に潰れたタイムも、切られたドレスも、失ったふりをしてまで逃げた日々も戻らない。
「今は、許せません。ですが、あなたを候補から追い出すことも、ご家族の前で辱めることも、私が決めることではありません」
「では、私は……」
「正式な調査を受けてください。侍女の罪と、家の隠蔽についても」
セシリアの背が小さく揺れるのを見て、もう一度息を吸った。
「その後、候補ではなくなったあなたが、どう償い、どう生きるかをご自分で決めてください」
「承知いたしました」
やがてそれだけ答え、長い間頭を下げると部屋を出ていった。
許してはいない。
傷も消えていない。
それでも私は、自分の言葉で答えた。
そしてレオナルトも、今回だけはその答えを奪わなかった。
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