第二十六話 まだ残っているものがあるだろうか
二週間が過ぎても、フィオナへ会いに行かなかった。
代わりに、王宮内の移動距離だけが増えた。
「殿下。本日の王会議は西棟でございます」
「わかっている」
「こちらは東棟でございます」
側近のオルガが、感情の薄い声で指摘する。
「警備状況を確認していた」
「フィオナ様のお部屋へ続く回廊だけ、毎日確認が必要なのですね」
何も答えず、来た道を引き返した。
書庫へ行けば、彼女が借りた本の貸出台帳を見つける。
厨房の前を通れば、料理長から昨日フィオナが顔を出したと聞く。
薬草畑へ行けば、水をやったばかりのタイムの葉に雫が残っている。
ほんの少し前まで、そこにいた。
それだけで胸が騒ぎ、同時に会えなかったことへ安堵する。
会えば、彼女の時間を奪う。
会いたくないと言った意思を、また自分の望みで押し流す。
だから、会いに行ってはいけない。
だが、すれ違うだけなら。
遠くから一目見るだけなら。
そんな考えが、すでに約束の抜け道を探していることには気づいていた。
「殿下」
薬草畑の木柵の前で、オルガが呼ぶ。
「何だ」
「本日、こちらを通るのは三度目でございます」
「王宮内の動線を確認している」
「一度目はタイムの生育、二度目は木柵の強度、三度目は土の乾き具合でしょうか」
「……報告書に必要だ」
「候補制度廃止の報告書に、タイムの生育状況を?」
返事ができない。
植え直された苗へ視線を落とすと、折れた茎の根元から、新しい葉が出ている。
踏まれても、根は残った。
自分とフィオナの関係にも、まだ残っているものがあるだろうか。
そんな期待を持つことさえ、許されるのかわからなかった。
回廊へ戻ると、遠くの角で淡い青の裾が翻った。
フィオナかもしれない。
足が前へ出る。
「殿下」
オルガの声に、止まった。
追えば、会いに行ったことになる。
角の向こうへ、足音が消える。
どうしても、その場から動けなかった。
「お呼びにならなくてよろしいのですか」
「よくない」
「では」
「だが、呼ばない」
オルガは何も言わなかった。
三度目の日曜日には、朝早くガゼボへ行った。
フィオナが来る前に帰るつもりだった。
白い石の椅子へ触れ、彼女がいつも座っていた場所を見る。
五年間、そこへ座らせていた。
話しかけられても短く返し、書類を盾にした。
今なら、彼女が何を見ていたのか少しだけわかる。
昼過ぎ、同じ場所へレオナルトが来ていたことを、庭師から聞いた。
一か月の半分を使っても、レオナルトと会わなかった。
それでも翌日、足はまた東棟へ向かった。
彼と離れて三週間目の朝、オルガが封をした報告書を持ってきた。
「階段事故と、その後の嫌がらせについて、近衛の調査結果が出ました」
卓上へ置かれた封筒は、思ったより薄い。
手を伸ばしかけ、止める。
「殿下は、何と?」
「内容をお伝えするかどうかも、フィオナ様にお決めいただくように、と」
以前のレオナルトなら、安全のためだと言って犯人を処分し、結果だけを知らせただろう。
今は、知るかどうかから私へ委ねている。
「私が、決めてよいのですね」
「はい。報告書を読む。私から口頭で概要だけ聞く。今は何も聞かない。いずれでも」
怖かった。
階段の上にいたセシリアの青ざめた顔を覚えている。藤色の扇も、菫の香りも、袖を掴まれた感触も。
真相を知れば、事故だったと思う余地がなくなるかもしれない。
逆に、自分が憎んできた相手が犯人ではない可能性もある。
「読みます」
小さく息を吐き、封を切った。
最初に記されていたのは、藤色の扇について。
階段事故の直後、現場から扇が消えている。目撃した生徒の証言では、セシリア付きの侍女が拾い、袖の中へ隠した。
その侍女の私室を調べると、扇の骨と同じ材質の欠片、私の日記、切り取られた白いドレスの布が見つかった。
王宮の出入り記録には、洗濯係を名乗った女官と同じ時刻に、ラングドン家の使用人用通行証が使われた記録が残っている。
薬草畑の靴跡も、侍女が使っていた作業靴と一致した。
日記を盗み、ドレスを切り、タイムを踏んだのは、その侍女だった。
けれど階段で私の袖を掴んだのは、侍女ではない。
セシリア本人。
報告書には、複数の目撃証言と、セシリア自身の供述が記されていた。
日曜日の面会時間について言い争い、立ち去ろうとした私を引き止めた。
突き落とすつもりはなかった。袖を掴み、振り向かせようとしただけだった。
その拍子に私の靴が段の縁へ滑った。
セシリアは手を伸ばしたが、届かなかった。
ここまでは、私が覚えているものと同じ。
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