↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】日曜日だけの婚約者候補でしたが、王太子殿下が私を婚約者だと言い張りはじめました  作者: 木風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/33

第十七話 彼は婚約を撤回しない

 剣術場へ行く許可が出たのは、タイムの苗を植えた二日後。


「右手で木剣を持つだけです。振り回してはいけません」


 宮廷医は何度も念を押した。


「少しくらい、構えても?」

「構えるだけです」

「一度くらい、前へ出しても?」

「フィオナ様」


 呼び方に圧が混じり、私は素直に口を閉じた。


 王宮東棟の剣術場には、乾いた木の音が響いていた。

 革と汗、床へ撒かれた砂の匂い。高窓から差す光の中で、騎士たちの木剣がぶつかる。


 細身の木剣を右手で受け取ると、腕が予想以上の重さに引かれた。


「こんなに重いのですね……」

「本物はさらに重い」


 背後からレオナルトが答える。


「握り込むな。手首だけで持てば痛める」

「殿下はお詳しいのですね」

「王太子が剣を持てないと思っていたのか」

「普段見ていたのは、書類を持つお姿ばかりでしたから」


 レオナルトが黙った。

 少し言いすぎたかと思ったけれど、謝らなかった。

 近衛騎士隊長の指導で、足を開き、木剣を前へ向ける。腕が震え、すぐに肩が重くなった。


「剣は、ただ怖いものだと思っていました」

「今は違うのか」

「重いものだとわかりました。人を傷つけるにも、守るにも、持つ人へこれだけの重さがかかるのですね」


 短い時間で構えを解いたが、手のひらには硬い柄の感触が残った。


「知らないまま遠ざけられるより、知れてよかったです」


 そう言うと、レオナルトは何かを飲み込むように頷いた。




 三日後、私たちは護衛を連れ、王都の中央市場へ出た。


 屋台の布が風に鳴り、荷車の車輪が石畳を叩く。

 焼き栗、香辛料、干し肉、青菜、馬の汗。

 王宮では何一つ嗅いだことのない匂いが、ここではすべて混ざっている。


 思わずあちらこちらと、目移りしながら歩いてしまう。


「上ばかり見るな。足元」

「っわ……」


 レオナルトに言われ、慌てて下を見ると、青菜を洗った水が石畳へ流れていた。


「市場は忙しいのですね」

「お前が忙しい」

「どこも見逃したくないだけです」


 籠いっぱいの林檎を並べた店で、足を止めた。

 赤く艶のある林檎の脇に、小さな傷や色むらのある黄色い林檎が積まれている。


「こちらも売り物なのですか」

「もちろん。煮たり酒にしたりするなら、傷があっても味は変わらないよ」


 店主が一つを手へ取った。


「安くしておく。どうだい、綺麗な姉さん」

「え……?」


 公爵令嬢でも、候補でも、婚約者でもない呼び方に、一瞬返事を忘れた。


「では、三つくれるか」


 レオナルトが銅貨を置くと、店主が目を丸くした。


「兄さん、多すぎるよ。市場は初めてかい」

「……そう見えるか」

「見えるねえ」

「ぷっ」


 王太子が傷のある林檎の値段を知らない。

 おかしくて、思わず口元を押さえてしまう。


「笑ったな」

「私も知りませんでしたから、殿下だけを笑ったのではありません」

「なら、適正な額を聞け」


 レオナルトに促され、店主へ向き直った。


「教えていただけますか」

「ああ。知らないことは聞くのが一番だ」


 返された銅貨を見つめ、小さく頷いた。


 知らないと言ってよい。尋ねてもよい。間違えたら、直せばよい。

 当たり前のことなのに、候補令嬢としては許されない気がしていた。

 紙袋を受け取ろうとすると、レオナルトが下から支えた。


「一人で持てます」

「左手へ響く」

「では、半分だけお願いします」


 全部を取り上げず、二人で袋を持つ。

 指先が紙越しに近づき、人の多さを理由に彼との距離を少しだけ詰めた。


「その林檎、今食べてもいいよ」


 店主が布で一つを磨き、差し出されると、レオナルトが先に齧る。


「甘い」

「殿下、一人で召し上がるのですか」

「食べたいのか」

「買ったのは私もです」


 差し出された林檎へ、反対側から小さく歯を立てる。

 初めて噛り付いた林檎の果汁は甘酸っぱく、傷のある見た目からは想像できないほど瑞々しい。

 店主が笑う。


「仲のいい夫婦だね」

「夫婦ではありません!」

「婚約者だ」


 レオナルトが重ねる。

 嘘なのに、否定しない声があまりにも自然すぎる……





 市場の奥に向かうと、果実酒屋が見えてくる。

 赤、琥珀、淡い黄色の酒を詰めた硝子瓶が、夕方の光を受けて輝いている。

 林檎、杏、すぐり、葡萄。熟した果実と酒精の甘い匂いが、店の中へ満ちていた。


「見るだけだ」


 入口でレオナルトが言う。


「まだ何もしておりません」

「飲みたそうな顔をしている」

「作り方に興味があるだけです」


 店主の女性は二人のやり取りを見て笑い、小瓶を一つ用意した。


「刃物はこちらで使うから、お嬢さんは切った林檎と砂糖を瓶へ入れてみるかい」


 薄切りの林檎を一枚ずつ重ねる。

 砂糖を入れ、琥珀色の酒が注がれると、果実がふわりと浮いた。


「どれくらいで飲めますか」

「すぐには駄目だよ。早く開ければ、酒と果実の味がばらばらで尖っている。時間を置けば、少しずつ馴染む」

「時間が、味を作るのですね」


 焦げかけたスープ。

 植えたばかりのタイム。

 今、瓶へ入れた林檎。

 どれも、初めから完成してはいない。


「仕込んだ人の名前を書いておくかい」


 小さな札とペンを渡され、自分の名を書く。


『フィオナ』


 日曜日の候補でも、王太子の婚約者でもない。ただの自分の名前。


「飲める頃に、王宮へ届けさせる」

「……その頃、私はどこにいるのでしょう」

「王宮にいないつもりか」

「記憶が戻れば、婚約も考え直されるのでしょう?」


 レオナルトが札を見る。

 口から出た問いに、彼の表情が止まる。

 私は瓶へ視線を落とした。


「それに、厨房へ立ち、泥だらけになり、剣を持ち、市場を歩きました。王太子妃にふさわしい令嬢とは、ずいぶん遠くなっています」

「俺は今日のお前を見られてよかった」


 すぐに返ってきた。


「木剣を重いと言ったお前も、知らない値段を尋ねたお前も、傷のある林檎を食べたお前も。全部だ」

「婚約者として、ですか」

「フィオナとしてだ」


 胸が鳴った。

 レオナルトは果実酒の瓶を店主から受け取り、光へ透かした。


「すぐに答えが出なくてもいい。馴染むまで待つ」

「殿下は、待つことがお得意でしたか?」

「これから覚える」


 レオナルトは苦い顔をした。

 五年間、私に何も言わず距離を置いた人だ。

 もう私にはこの人が何を考えているのか、よくわからなくなっている。


 王宮へ戻る馬車の中でも、果実酒の瓶は二人の間で揺れていた。


 何をしても、彼は婚約を撤回しない。

 それどころか、候補だった頃より、私自身を見ようとしている。


 この人から離れる理由を探しているはずなのに。

 見つからないことへ安堵している自分を、もう誤魔化せなくなりつつあった。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。



こちらの作品もよろしくお願いします
▶ 【連載版】伯爵令嬢セシリアは今日も修羅場に遭遇する
異世界恋愛/婚約者の浮気/修羅場コメディ/証人集め/婚約解消/冷静令嬢/ざまぁ/ハッピーエンド
本作品の文章・タイトル・設定等の無断転載、無断複製、生成AIへの入力および学習利用を禁じます。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。