第一話 七人の候補令嬢
「……また日曜日が来るのね」
王太子の婚約者候補は、七人いる。
二百年以上前、クラウディア王国では王位継承を巡り、七つの大貴族家が対立した。
一家だけが王太子の婚家となれば、残る六家が結束して王家へ刃を向けかねない。
内乱寸前まで進んだ争いを収めるため、王太子が成人するまでは正式な婚約を禁じ、七家の令嬢へ曜日ごとの面会権を与える妥協法が作られた。
月曜から土曜までは、学園や公務の後に一、二時間。
公式行事の少ない日曜日だけは、朝から夕刻まで。
そのため日曜日の候補は、事実上の最有力と見なされている。
ベルクハイム公爵家の長女である、私は、その日曜日だった。
「フィオナ様なら、きっと王太子妃になられるわ」
「だって、日曜日ですもの」
王宮へ向かうたび、同じ囁きを聞く。
私は今日も、白い手袋をはめた指を膝へ重ね、微笑んで聞き流す。
朝から夕刻まで王太子を独占できる、誰もが羨む日。
けれど私にとって日曜日は、週の終わりに必ず訪れる冷たい水のような時間に他ならない。
庭園のガゼボでは、王太子レオナルト・クラウディアが書類を読んでいる。
「ごきげんよう、殿下」
「ああ」
灰色の瞳は、紙面から上がらない。
女官が紅茶を注いだ。柑橘の香りが湯気とともに立ち上る。
私が好む茶葉だが、レオナルトが選んだものではないことくらい、五年間通えばわかってしまう。
「先日、北部原産の薔薇が咲いたとうかがいました。花びらの縁が波打つ品種だそうです。もしよろしければ、ご一緒に――」
「庭師に案内させる」
拒絶ではない。
けれど誘いを受けてもいない。
「殿下は、最近お忙しいのでしょうか?」
「執務は増えている」
「どうか、ご無理はなさらないでくださいませ」
「問題ない」
そこで会話は切れた。
日曜日は長い。
一つの沈黙が、どこまでも伸びる。
昼食には白身魚の香草焼きと季節野菜のスープが出た。
どちらも丁寧に作られているのに、味が遠い。
ただただ定型のような決められた所作で口へ運び、笑顔で給仕へ礼を告げた。
レオナルトは食事の間にも書簡へ目を通している。
「急ぎのご用件でしたら、私は先に失礼しても……」
「予定通りでいい」
予定通り。
自分は日曜日の予定表に書かれた一項目なのかもしれない。
午後、庭師に案内され、一人で薔薇を見た。
淡い桃色の花弁からは、青みを帯びた涼しい香りがした。綺麗だと思う。
けれど、できることなら彼と見たかった。
ガゼボへ戻ると、レオナルトは一度だけ顔を上げた。
「見てきたのか」
「はい。とても美しい薔薇でした」
「そうか」
それだけ。
夕刻、私はいつものように膝を折る。
「本日も、ありがとうございました」
「ああ。また一週間後に」
馬車へ乗り込むまで、笑顔を崩さずに。
冷たい言葉を投げつけられたわけではない。
侮辱されたわけでもない。
ただ一日をかけて、何もなかった。
それが五年間、毎週続いている。
日曜日は最も長い。
だからこそ、王太子の心が自分にないことを、誰より長く確かめさせられる曜日だった。
それでも私は、また次の日曜日へ向かう。
十二歳の夜、レオナルトが見せた優しさを、まだ捨てられずにいたからだ。
学園にいけば、どこからともなく自分の知らないレオナルトの話を聞かされる。
「殿下は、私がお貸しした本を最後まで読んでくださいましたの」
候補令嬢用の談話室で、月曜日のアンネが頬を赤くする。
胸元へ抱えた本の角を、細い指が何度も撫でていた。
「火曜日には孤児院の報告を聞いてくださいましたわ。殿下は実地のお話がお好きみたい」
「木曜日のマルグリット様は、剣術までご覧いただいたのでしょう?」
「見たいとおっしゃったわけではない。私が見ていただきたかっただけだ」
窓辺に立つマルグリットは、淡々と返した。
金曜日のエリザは、王家へ提案する毛織物の見本を帳面へ挟んでいる。
土曜日のクララは、新しい曲の楽譜を胸へ抱いていた。
そして中央には、水曜日のセシリアが座っている。
ラングドン侯爵家はベルクハイム家に次ぐ家格を持ち、王妃宮にも多くの縁者を置いていた。
藤色の扇を手にした彼女は、誰の話にも涼しい顔で相槌を打っている。
「日曜日を丸ごといただいているフィオナ様には、珍しくもないお話でしょうけれど」
扇の陰から、微笑みが向けられた。
「殿下はお忙しい方ですもの。それぞれのお時間を大切になさっているのでしょう」
この答えもいつものこと。正しい答えを選んだだけ。
自分には朝から夕刻まである。
けれど、本の感想を語り合ったことも、好きなものを見せたこともない。
レオナルトが何を好み、何を面白いと感じるのかさえ知らなかった。
「日曜日は特別ですわね」
セシリアが続ける。
「私どもが一時間を得るために家同士で交渉している間、フィオナ様は殿下のお時間を一日中、独占できるのですもの」
「独占などしておりません」
「では、譲ってくださいますか?」
談話室が静まった。
譲れるものなら譲りたい。
でも、それを口にしてしまえば、五年間耐えた自分も、家族の期待も、十二歳から抱えてきた想いも、すべて無駄になってしまう。
「制度で決められたことですから」
結局、また正しい答えを選んだ。
セシリアの扇が、ぱちりと閉じる。
「さすが、最有力候補ですこと」
甘い菫の香りが、彼女の動きに合わせて揺れた。
午後の授業が終わると、アンネは王宮の書庫へ向かった。マルグリットは剣術場へ、クララは音楽室へ行く。それぞれが、短い時間へ自分の好きなものを持っていく。
私だけが、日曜日へ何を持っていけばよいのかわからない。
翌週の日曜日、彼女は思い切って、レオナルトへ尋ねた。
「私は、殿下のお時間をいただく候補として、至らないところがございますでしょうか?」
書類の上で、彼の手が止まる。
「急にどうした」
「急ではありません。私との時間がご負担なら、改めなければと思いました」
「負担ではない」
「では、何かお気に召さないところが?」
「お前に落ち度はない」
落ち度はない。
叱られたわけではない。失格だと言われたわけでもない。
それでも安堵できなかった。
「私と過ごす日曜日を、退屈だとお思いではありませんか……?」
「退屈ではない」
彼はそう言い、書類へ視線を戻した。
負担ではない。
落ち度はない。
退屈ではない。
どの言葉にも、私自身を望む気持ちはなかった。
「候補として不安になることもあるだろう。だが、お前は今まで通りでいい」
今まで通り。
五年間と同じように、笑い、話題を探し、冷めた紅茶を飲めばよい。
この時間が心を痛めつけるのに、誰にも譲りたくない。
なんと愚かなことだろう。
「はい……」
返事をするだけで、喉が痛んだ。
帰り際、レオナルトは何かを言いかけ、結局「気をつけて帰れ」とだけ告げた。
その短い言葉が、十二歳の夜を思い出させる。
優しかったあの人は、今もどこかにいるのだろうか。
私は、その夜、机の引き出しを開けた。
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