第2話:誘拐犯はそなたじゃ!....動機が違うじゃと!?
第2話 誘拐犯はそなたじゃ! ……動機は違うじゃと!?
「犯人は、もうわかっておる!」
セシリア・アッシュフォードは、自信満々に宣言した。
探偵事務所の開業初日。
記念すべき最初の依頼人は、七歳の娘を誘拐されたという女性だった。
なお、セシリアはまだ事情を聞いていない。
「……お嬢様」
背後に控えていた執事長エドガー・ブラックウッドが、静かに口を開いた。
「何じゃ?」
「まずは、お話を伺ってはいかがでしょう」
「む?」
「犯人を特定するには、少々情報が不足しているかと」
「なるほど。それもそうじゃな」
セシリアは素直に頷いた。
そして、机の上に置かれた手帳を開いた。
「では、最初から話してみよ」
女性はマーサ・ウィルソンと名乗った。
二十八歳。王都東区で仕立ての仕事をしているという。
今朝九時ごろ、七歳の娘エミリーを近所の雑貨店へ使いに出した。
ところが、いつまで待っても帰ってこない。
心配になって店へ行くと、店主はエミリーが買い物を済ませて帰ったと証言した。
そして正午前、家の扉の下から一通の手紙が差し込まれていた。
『娘を返してほしければ、今夜八時までに五十ポンド用意しろ。
警察に知らせれば、娘には二度と会えない。
金は東区の時計塔の裏にある石橋へ持ってこい。
一人で来ること。』
セシリアは手紙を受け取り、慎重に眺めた。
「ふむ……」
紙を光に透かす。
端を指先で撫でる。
そして、匂いを嗅いだ。
「……何かわかりますか?」
「うむ。紙質は安物じゃが、文字は整っておる。書き慣れた者の筆跡じゃな」
エドガーが感心したように頷いた。
セシリアはさらに手紙の端を見つめた。
「それに、この紙には薄く折り目がある。元は四つ折りにされておったのじゃろう」
「……それが何か?」
「つまり、犯人は几帳面な性格じゃ!」
「……左様でございますか」
エドガーはそれ以上何も言わなかった。
折り目のある紙を使う人間が全員几帳面なら、王都の人口の半分は几帳面ということになる。
もっとも、今はその議論をする場合ではない。
「ところで、マーサ」
「はい」
「そなた、夫はおるか?」
マーサの表情が曇った。
「……三年前から別居しています」
「ほう?」
「夫はヘンリー・ウィルソンといいます。三十二歳で、港湾倉庫の仕事をしています」
「別居の理由は?」
「……いろいろありまして」
「いろいろとは?」
「……性格が合わなかったんです」
セシリアは羽根ペンを止めた。
「性格が合わぬ?」
「はい……」
「具体的には?」
「……え?」
「具体的に、何がどう合わなかったのじゃ?」
マーサは困惑した。
「そ、それは……」
「そなたは朝型で、夫は夜型だったのか?」
「いえ……」
「食事の好みか?」
「それも違います」
「では、寝相か?」
「お嬢様」
エドガーが口を挟んだ。
「何じゃ?」
「そのあたりは、後ほど旦那様に直接お尋ねになってはいかがでしょう」
「なるほど! 夫婦双方の証言を照合するのじゃな!」
セシリアは満足げに頷いた。
マーサは、娘の捜索と夫婦の寝相に何の関係があるのか、さっぱり理解できなかった。
*
マーサの話を一通り聞き終えると、セシリアは手帳を閉じた。
「ふむ。事情はわかった」
「それでは、娘を探していただけるんですね?」
「無論じゃ。しかし、その前に一つせねばならぬことがある」
セシリアは執事長を振り返った。
「エドガー。警察に連絡するのじゃ」
「かしこまりました」
マーサが慌てて立ち上がった。
「お、お待ちください! 手紙には、警察に知らせたら娘に二度と会えないと……!」
「案ずるでない」
セシリアは落ち着いた声で答えた。
「誘拐犯が何を企んでおるかわからぬ以上、わらわ一人で動くのは危険じゃ。警察には捜索のための人手もある。何より、娘御の安全が第一であろう」
「ですが……」
「警察に知らせたことを、わざわざ犯人に教える必要はあるまい?」
マーサは口を閉じた。
エドガーは、わずかに目を細めた。
お嬢様の判断は、至極まともである。
少なくとも、先ほどまで夫婦の寝相を調べようとしていた少女と同一人物とは思えない。
「エドガー。父さまには警察に知り合いがおったな?」
「はい。グレイブス警部でございます。旦那様とは二十年来のお付き合いでございます」
「その者に連絡せよ。わらわが協力を求めておると伝えるのじゃ」
「承知いたしました」
エドガーは一礼した。
「ただし、お嬢様」
「何じゃ?」
「グレイブス警部は、王都警察でも大変お忙しい方でございます。必ずしも、こちらへお越しいただけるとは限りません」
「ふむ。ならば、父さまの名前も出してよいぞ」
「……旦那様のご許可なく、でございますか?」
「うむ!」
エドガーは少し考えた。
そして、静かに頷いた。
「……まずは、私から事情を説明してまいります」
*
午後一時。
セシリア探偵事務所の扉が、三度叩かれた。
「入るがよい!」
扉を開けたのは、灰色の髪をした大柄な男だった。
五十三歳。
厳格な顔つきに、鋭い眼差し。
濃紺の外套をまとった男は、室内を見渡すと、深いため息をついた。
「……ここが探偵事務所か」
「うむ! そなたがグレイブス警部じゃな!」
「アーサー・グレイブスだ。君のお父上とは古い知り合いでね」
グレイブスは帽子を脱いだ。
「ブラックウッド氏から連絡を受けた。七歳の女の子が誘拐されたそうだな」
「そのとおりじゃ!」
「母親は?」
「こちらにおります」
エドガーがマーサを案内した。
グレイブスはすぐに表情を引き締め、マーサに向き直った。
「王都警察のグレイブスです。お嬢さんの件については、こちらで正式に捜査を進めます。まずは、落ち着いてお話を聞かせてください」
マーサが涙ぐみながら頷く。
グレイブスは脅迫状を確認し、手帳に必要事項を書き留めた。
そして、ようやくセシリアに視線を戻した。
「ところで、君は?」
「セシリア・アッシュフォードじゃ!」
「……アルフォンスの娘さんか」
「うむ!」
「君が、私に協力を求めた探偵というのは……」
「わらわじゃ!」
「…………」
グレイブスはエドガーを見た。
エドガーは静かに頭を下げた。
「本日開業いたしました、セシリア探偵事務所でございます」
「……本日?」
「はい」
「……開業?」
「はい」
グレイブスは長い息を吐いた。
「……アルフォンスも大変だな」
「父さまはわらわの才能を理解しておらぬのじゃ」
「それは何となくわかる」
「そなたは理解が早いのう」
「褒めていない」
セシリアは胸を張った。
「わらわが探偵、そなたが警察。互いに協力して事件を解決しようではないか!」
「……君は何歳だ?」
「十二歳じゃ!」
「…………」
「案ずるでない。わらわは百二十七冊の推理小説を読破しておる!」
「……それは何の保証にもならん」
「犯人を当てたことも三度あるぞ!」
「百二十七冊中!?」
「うむ!」
グレイブスは額を押さえた。
エドガーから連絡を受けたときは、子爵家の令嬢が誘拐事件の情報を持っているという話だった。
まさか、その令嬢自身が探偵を名乗っているとは思わなかった。
しかし、事件は本物である。
子供の命が懸かっている以上、余計なことに構っている暇はない。
「……まあいい。まずは関係者の話を聞こう」
グレイブスはマーサに向き直った。
「ご主人は今、どちらに?」
「……港湾倉庫で働いているはずです」
「別居中だそうですね?」
「はい。三年前から……」
グレイブスは頷いた。
「では、ご主人にも事情を伺う必要があります」
「うむ! わらわも同じことを考えておった!」
セシリアは勢いよく立ち上がった。
「よし! わらわも同行する!」
「……君も?」
「当然じゃ!」
グレイブスは困ったようにエドガーを見た。
エドガーは、いつもの穏やかな表情で答えた。
「お嬢様は、一度決めたことはなかなかお曲げになりませんので」
「……父親そっくりだな」
「恐れ入ります」
「褒めていない」
こうして、王都警察のベテラン警部と、開業初日の十二歳の名探偵による、奇妙な合同捜査が始まったのである。
*
港湾倉庫は、王都南区の運河沿いに建っていた。
荷車が行き交い、労働者たちが木箱を運んでいる。
ヘンリー・ウィルソンは、倉庫の奥で帳簿を整理していた。
三十二歳。
背は高く、痩せた顔には疲労の色が浮かんでいる。
「ヘンリー・ウィルソンさんですね?」
グレイブスが声をかけた。
「……はい」
「王都警察のグレイブスです。娘さんのことで、お話を伺いたい」
ヘンリーの顔色が変わった。
「……娘?」
「エミリーちゃんが、今朝から行方不明になっています」
「…………」
「誘拐された可能性があります」
ヘンリーはしばらく黙っていた。
そして、低い声で尋ねた。
「……無事なんですか?」
「現在、捜索中です」
その瞬間、ヘンリーの指がわずかに動いた。
机の上に置かれた帳簿の端を、強く握りしめたのである。
セシリアはそれを見逃さなかった。
「……ほう?」
グレイブスが振り返る。
「何か?」
「いや、何でもないのじゃ」
セシリアは手帳を開いた。
「では、わらわから質問してもよいか?」
「……君が?」
「うむ」
グレイブスは少し迷ったが、頷いた。
「……いいだろう」
セシリアはヘンリーの正面に立った。
「そなた、妻とは三年前から別居しておるそうじゃな?」
「……はい」
「娘とは最後にいつ会った?」
「……三年前です」
「三年!?」
セシリアは目を見開いた。
「そなたの娘は七歳であろう!?」
「……はい」
「では、四歳のころから会っておらぬのか!」
「……そうなります」
「なんと!」
セシリアは両手を広げた。
「三年も会わぬとは、よほどの事情があったのじゃな!」
「……いろいろありまして」
「いろいろとは?」
「……妻と折り合いが悪くて」
「折り合いが悪い?」
「……性格が合わなかったんです」
セシリアは羽根ペンを止めた。
「……ほう?」
グレイブスも顔を上げた。
妻も同じ説明をしていた。
これは、夫婦双方の証言が一致していることを意味する。
セシリアは真剣な表情で尋ねた。
「では、具体的に何がどう合わなかったのじゃ?」
「……え?」
「性格が合わぬとは、どういうことじゃ?」
「……些細なことです」
「些細なこと?」
「はい……」
「では、その些細なことを三つ挙げよ」
「……三つ!?」
「五つでもよいぞ」
「増やすな!」
グレイブスが思わず口を挟んだ。
セシリアは不思議そうに首を傾げた。
「何じゃ?」
「なぜ数を増やす!」
「証言は多いほどよいであろう」
「そういう問題ではない!」
ヘンリーは困惑していた。
警察に事情聴取されるとは思っていた。
しかし、十二歳の少女から夫婦喧嘩の具体例を五つ要求されるとは思っていなかったのである。
「……食事のことで、よく喧嘩しました」
「ほう!」
セシリアは身を乗り出した。
「食事とな!」
「……はい」
「そなたは肉が好きで、妻は魚が好きだったのか?」
「いえ……」
「では、そなたは甘党で、妻は辛党か?」
「そういうことでは……」
「まさか、そなたはパンにバターを塗るが、妻はジャムを塗るのか!?」
「お嬢様」
エドガーが静かに口を開いた。
「何じゃ?」
「食事の好みの違いだけで別居する夫婦は、そう多くないかと」
「……そうなのか?」
「はい」
セシリアは考え込んだ。
「……夫婦とは難しいものじゃな」
グレイブスは額を押さえた。
まだ十二歳なのだから、難しく考えなくてもよい。
しかし、セシリアは諦めなかった。
「では、最後に喧嘩したときのことを教えるのじゃ」
「……最後の喧嘩ですか?」
「うむ。できるだけ詳しく」
「……三年前のことなので、あまり覚えていません」
「では、再現してみよ」
「……再現?」
「そなたが夫役、警部が妻役じゃ」
「なぜ私が妻役なんだ!」
グレイブスが叫んだ。
「エドガーは妻役にしては年を取りすぎておる」
「私だって五十三だ!」
「では、警部が妻役、エドガーが姑役じゃ」
「姑まで出すな!」
エドガーは静かに頭を下げた。
「私でよろしければ、喜んで務めさせていただきます」
「引き受けるな!」
グレイブスは頭痛を覚えた。
捜査とは、こんなものだっただろうか。
ヘンリーは、目の前の光景に呆然としていた。
しかし、セシリアは突然、真顔になった。
「……ところで」
「……はい?」
「そなたは、妻と別れたかったのか?」
「…………」
「それとも、娘と離れたかったのか?」
ヘンリーの表情が強張った。
グレイブスも、思わず顔を上げた。
それは、鋭い質問だった。
妻との不仲と、娘への愛情は別の問題である。
三年間も娘に会わなかった理由を、夫婦関係だけで説明することはできない。
「……答えられぬのか?」
セシリアが静かに尋ねた。
ヘンリーは俯いた。
「……妻とは、うまくいかなかったんです」
「娘は?」
「…………」
「娘のことは、どう思っておる?」
「……大切に思っています」
「では、なぜ三年も会わなかった?」
「…………」
ヘンリーは何も答えなかった。
グレイブスは少女を見つめた。
ただの道楽だと思っていたが、案外頭が切れる。
質問の順序も適切で、相手の曖昧な説明を見逃さない。
それに、先ほどからヘンリーは娘の話になると明らかに動揺している。
セシリアは、その変化を正確に捉えていた。
「……なるほど」
少女はゆっくりと頷いた。
「わかったぞ」
グレイブスは期待した。
何か重要なことに気づいたのかもしれない。
セシリアは胸を張った。
「そなた、まだ妻を愛しておるのじゃな!」
「……は?」
ヘンリーが顔を上げた。
グレイブスも固まった。
「……なぜそうなる?」
「妻の話になると口数が減る。娘の話になると動揺する。これは未練がある証拠じゃ!」
「……それは違うのでは?」
「違わぬ!」
セシリアは自信満々だった。
「そなたは妻と復縁したいのじゃ!」
「……いや、私は……」
「しかし、三年間も会っておらぬ。今さら何と言ってよいかわからぬのであろう!」
「…………」
「ふむ。なかなか切ない話じゃな」
グレイブスは天井を見上げた。
先ほどの感心を返してほしかった。
*
事情聴取は、さらに一時間続いた。
セシリアはヘンリーの仕事、収入、住まい、交友関係について細かく質問した。
その途中、彼女は机の上に置かれた小さな鍵に気づいた。
「……これは何の鍵じゃ?」
「……倉庫の鍵です」
「倉庫?」
「ええ。荷物を保管するための……」
セシリアは鍵を手に取った。
古びた真鍮製の鍵だった。
柄の部分には、小さく『七』という数字が刻まれている。
「……七番倉庫か」
「はい」
「ふむ」
セシリアは鍵を戻した。
そして、何気なく尋ねた。
「そなた、今朝は何時から働いておった?」
「……八時からです」
「誰か証明できるか?」
「……同僚が何人か」
「では、今朝九時から十時の間は?」
「……倉庫で仕事をしていました」
セシリアは頷いた。
「なるほど」
グレイブスは手帳に書き込んだ。
しかし、セシリアはさらに質問を続けた。
「そなた、今朝は七番倉庫に入ったか?」
「……はい」
「何をしておった?」
「……荷物の整理を」
「一人で?」
「……ええ」
「ふむ」
セシリアは少し考え込んだ。
「……なるほどのう」
グレイブスが尋ねた。
「何か気づいたか?」
「うむ」
「何だ?」
セシリアは真剣な表情で答えた。
「七という数字は、娘の年齢と同じじゃ」
「…………」
「これは偶然ではあるまい」
「偶然だと思うぞ!」
グレイブスは即座に否定した。
だが、セシリアは首を振った。
「そなたはまだ、真実を見抜いておらぬのじゃ」
「……そうか」
グレイブスは疲れた声で答えた。
そして、ヘンリーの様子を見た。
男は顔色を失っていた。
七番倉庫の話になった途端、明らかに動揺している。
これは、見逃せない反応だった。
グレイブスは静かに尋ねた。
「……七番倉庫を、調べてもよろしいですか?」
「…………」
ヘンリーは答えなかった。
その沈黙が、かえって疑惑を深めた。
*
午後四時。
グレイブスは部下を呼び、七番倉庫の調査を命じた。
セシリアも同行しようとしたが、今度ばかりは止められた。
「君はここで待っていなさい」
「なぜじゃ?」
「危険だからだ」
「わらわは探偵じゃぞ」
「十二歳の探偵だろう」
「年齢で人を判断するとは、感心せぬのう」
「では、年齢に関係なく判断しよう。君は危険だ」
「失礼な男じゃ!」
エドガーが一歩前に出た。
「お嬢様。ここは警部にお任せいたしましょう」
「エドガーまで何を申す」
「名探偵たるもの、時には部下に仕事を任せる度量も必要かと」
セシリアは考え込んだ。
なるほど。
偉大な指揮官は、自ら剣を振るうばかりではない。
優秀な部下を適切に配置し、全体を見渡すこともまた重要である。
「……よかろう」
彼女は頷いた。
「警部。そなたに現場を任せる」
「最初から私の仕事だ」
「失敗するでないぞ」
「誰に言っている」
グレイブスは倉庫へ向かった。
*
七番倉庫は、運河沿いの奥まった場所にあった。
古い木造の建物で、窓は小さく、内部は薄暗い。
グレイブスは部下とともに扉を開けた。
中には、木箱が積まれていた。
そして、その奥に小さな扉があった。
「……何だ、これは?」
グレイブスは扉に近づいた。
鍵が掛かっている。
部下が鍵束を取り出し、扉を開けた。
中には、小さな部屋があった。
古い机と椅子。
そして、床には毛布が敷かれている。
その毛布の上に、小さな女の子が座っていた。
「……エミリー?」
少女が顔を上げた。
栗色の髪。
青いワンピース。
白い襟。
そして、赤いリボン。
間違いなかった。
「……ママは?」
少女が小さな声で尋ねた。
グレイブスは膝をついた。
「大丈夫だ。すぐに会える」
少女は泣き出した。
グレイブスは静かに抱き上げた。
そして、部下に命じた。
「……ヘンリー・ウィルソンを確保しろ」
*
午後五時。
セシリア探偵事務所には、関係者が集められていた。
マーサ・ウィルソン。
ヘンリー・ウィルソン。
グレイブス警部。
エドガー・ブラックウッド。
そして、名探偵セシリア・アッシュフォード。
セシリアは机の前に立ち、ゆっくりと一同を見渡した。
「さて、諸君」
少女は胸を張った。
「事件の真相が、ついに明らかになったのじゃ!」
グレイブスは腕を組んだ。
彼はすでに、エミリーが無事に保護されたことを知っている。
そして、ヘンリーが誘拐に関与していることも、ほぼ確信していた。
だが、セシリアがどのような推理を披露するのか、少し興味があった。
彼女の観察力は確かだった。
質問も鋭かった。
もしかすると、何か見落としていることに気づいているかもしれない。
「まず、事件の発端は三年前に遡る」
セシリアは静かに語り始めた。
「夫婦の別居じゃ」
マーサが顔を上げた。
ヘンリーは俯いたままだった。
「ヘンリー。そなたは妻と別れた。しかし、心の奥では今も妻を愛しておった」
「…………」
「だが、三年間も会っておらぬ。今さら復縁を申し込む勇気がなかったのじゃ」
グレイブスは眉をひそめた。
……何だか、雲行きがおかしい。
「そこで、そなたは考えた」
セシリアは一歩前に出た。
「娘を誘拐すれば、妻は必ず自分を頼るであろう、と!」
「…………」
「そして、娘を救い出した英雄として妻の前に現れ、再び愛を取り戻そうとしたのじゃ!」
沈黙が落ちた。
マーサは呆然としていた。
グレイブスは額を押さえた。
……違う。
絶対に違う。
そんな回りくどいことをする必要がどこにある。
しかし、セシリアは止まらなかった。
「さらに、そなたは五十ポンドという身代金を要求した」
少女は脅迫状を掲げた。
「だが、これは金が目的ではない!」
グレイブスは嫌な予感がした。
「なぜなら、五十という数字は……」
セシリアは大きく息を吸った。
「愛の告白を意味する暗号だからじゃ!」
「意味しない!」
グレイブスが思わず叫んだ。
セシリアは不満そうに振り返った。
「警部。推理の途中で口を挟むでない」
「いや、しかし……」
「五十ポンド。五と十。合わせて十五」
「……それが何だ?」
「十五は、愛を意味する数字じゃ!」
「初耳だ!」
「わらわも今思いついた」
「思いつきか!」
エドガーは静かに目を閉じた。
この場にいる全員が、何か大切なものを失いつつあった。
しかし、セシリアは満足げに頷いた。
「そして、決定的な証拠がある」
少女はヘンリーを指さした。
「そなたの持っておった、七番倉庫の鍵じゃ!」
ヘンリーの顔色が変わった。
「…………」
「七という数字は、娘の年齢と一致する」
「…………」
「つまり、そなたは娘を愛しておった!」
グレイブスは目を閉じた。
……もう、何も言うまい。
「娘を愛し、妻を愛し、しかし素直になれなかった男」
セシリアはゆっくりと手を広げた。
「それが、今回の事件の真犯人!」
そして、ヘンリーをまっすぐ指さした。
「ヘンリー・ウィルソン! そなたじゃ!」
長い沈黙が落ちた。
ヘンリーは俯いたまま動かなかった。
グレイブスは静かに息を吐いた。
……まあ、犯人だけは合っている。
それだけでも、良しとするべきか。
だが、そのとき。
「……どうして」
ヘンリーが呟いた。
セシリアは微笑んだ。
「ふふん。名探偵に隠し事はできぬぞ」
「……どうして、そこまで……」
ヘンリーの声が震えた。
「……わかったんですか?」
グレイブスは顔を上げた。
……何?
「……七番倉庫のことまで……」
ヘンリーは両手で顔を覆った。
「……もう、隠せません」
セシリアは満足げに頷いた。
「うむ。素直になることじゃ」
「……全部、私がやりました」
マーサが息を呑んだ。
「……あなた?」
ヘンリーは俯いたまま続けた。
「……娘を連れ去ったのは、私です」
グレイブスは目を見開いた。
……自白した?
「……今朝、雑貨店の帰り道で声をかけました」
「…………」
「……母親が倒れたと嘘をついて、倉庫へ連れて行ったんです」
マーサの顔から血の気が引いた。
「……どうして、そんなことを……」
ヘンリーは震える声で答えた。
「……金が必要だったんです」
グレイブスは眉をひそめた。
……金?
「……借金があって……返済期限が迫っていて……」
ヘンリーは涙を流し始めた。
「……五十ポンドあれば、何とかなると思ったんです」
セシリアは首を傾げた。
「……む?」
グレイブスは固まった。
……待て。
「……妻と復縁したかったわけではないんです」
ヘンリーは続けた。
「……娘にも、三年間会っていませんでした」
「…………」
「……顔を見ても、最初は自分の娘だとわからなかったくらいで……」
マーサが泣き崩れた。
グレイブスは天井を見上げた。
……違う。
全部違う。
動機も、目的も、手口も、何もかも。
それなのに。
犯人だけは、合っている。
なぜだ。
どうしてだ。
何が起こっている。
グレイブスはこめかみを押さえた。
頭が痛い。
猛烈に痛い。
セシリアは、そんな警部の様子には気づかなかった。
彼女は満足げに頷いた。
「ふむ。やはり、わらわの推理は正しかったようじゃな」
グレイブスは、心の中で叫んだ。
違う!
全然違う!
何一つ合っていない!
なのに、なぜか犯人が捕まった!
*
その夜。
アッシュフォード子爵邸。
セシリアは父アルフォンスに、今日の事件を得意げに報告していた。
「父さま! わらわはついに、誘拐事件を解決したのじゃ!」
「……そうか」
アルフォンスは疲れた顔で頷いた。
「犯人は夫だったのじゃ!」
「……そうか」
「しかも、わらわの推理によって自白したのじゃ!」
「……そうか」
アルフォンスは、亡き妻エリザベスの肖像画を見上げた。
そして、小さく呟いた。
「……エリザベス。君が生きていたら、この娘をどう教育しただろうか……」
肖像画の中の妻は、穏やかに微笑んでいた。
アルフォンスは深く息を吐いた。
「……君なら、もう少しまともな淑女に育ててくれただろうに……」
その横で、セシリアは胸を張った。
「父さま! 次はもっと難しい事件を解決してみせるぞ!」
「……頼むから、危険なことだけはしないでくれ」
「案ずるでない!」
セシリアは自信満々に頷いた。
「わらわは名探偵じゃからのう!」
アルフォンスは、もう一度肖像画を見上げた。
「……エリザベス。助けてくれ」
*
翌朝。
セシリア探偵事務所に、一通の封書が届いた。
上質なクリーム色の封筒。
深い紺色の封蝋には、見慣れない紋章が刻まれている。
「ほう?」
セシリアは興味深そうに封筒を眺めた。
「エドガー。これは何じゃ?」
「お嬢様宛てのお手紙でございます」
「見ればわかる」
「左様でございますか」
セシリアは封を切った。
中には、丁寧な筆跡で書かれた一枚の便箋が入っていた。
『拝啓 セシリア・アッシュフォード嬢
貴女の類まれなる推理力について、興味深い噂を耳にいたしました。
つきましては、ぜひ一度、我が屋敷へお越しいただきたく存じます。
昨夜、厳重に施錠された書斎から、あるものが消えました。
扉の鍵は主人が所持しており、窓は内側から閉ざされております。
使用人の誰一人として、書斎に立ち入った者はおりません。
それにもかかわらず、確かに消えたのです。
貴女ならば、この謎を解き明かせるでしょうか。
なお、警察への届け出は控えております。
貴女のご来訪をお待ちしております。』
セシリアの瞳が輝いた。
「……密室事件!」
彼女は勢いよく立ち上がった。
「エドガー! ついに来たぞ!」
「……何がでございましょう」
「名探偵への挑戦状じゃ!」
セシリアは便箋を高々と掲げた。
「ふふん! 昨日の事件で、わらわの名声が早くも貴族社会に轟いたようじゃな!」
「……まだ一日しか経っておりませんが」
「真の才能とは、隠そうとしても隠しきれぬものなのじゃ!」
「左様でございますか」
エドガーはいつものように静かに頷いた。
そして、差出人の名前を確認した。
その瞬間。
彼の表情が変わった。
「…………」
セシリアは気づかなかった。
「しかも密室じゃぞ! 密室! 推理小説では、もっとも名探偵の腕が試される事件の一つじゃ!」
「……お嬢様」
「何じゃ?」
「このご依頼は、お断りになったほうがよろしいかと」
セシリアは目を丸くした。
「……なぜじゃ?」
「……それは」
エドガーは言葉を濁した。
「……少々、事情がございまして」
「事情?」
「はい」
「どのような事情じゃ?」
「……申し上げにくいことでございます」
セシリアは、じっと執事長を見つめた。
五十六歳。
長年アッシュフォード家に仕えてきた、忠実な執事長。
普段はどんなことにも動じない男が、珍しく表情を曇らせている。
セシリアはゆっくりと頷いた。
「……なるほど」
エドガーの肩がわずかに強張った。
「……何か、お気づきになりましたか?」
「うむ」
セシリアは自信満々に微笑んだ。
「そなた、この屋敷に昔の恋人がおるのじゃな!」
「……はい?」
「案ずるでない! わらわは秘密を守る女じゃ!」
「……お嬢様」
「しかし、仕事と恋愛は別じゃぞ。わらわは名探偵として、この挑戦を受けねばならぬ!」
エドガーは静かに目を閉じた。
どうやら、何を言っても無駄らしい。
セシリアは再び招待状に目を落とした。
そこには、差出人の名前が記されていた。
彼女はその名を声に出して読み上げた。
エドガーの顔から、すっと血の気が引いた。
名探偵セシリア・アッシュフォード。
その第二の事件は、まだ始まってすらいなかった。
しかし、執事長エドガー・ブラックウッドにとっては、すでに頭の痛い事件となっていたのである。
第二話 完




