1-6 小さな器
創作家という職業がある。
職業というよりは、クライセンの言葉通りに称号――いや、在りようと言うべきか。
体内に蓄積される幻料と呼ばれる不可視不思議の材料を使い、様々な模型を生み出す者。
そう、この二匹は本物じゃない。幻料で作り出された模型の一種だ。唐突に現れたのは、手品でも、隠れていたわけでもない。
たった今クライセンが作り出したからだ。
「勿論、知っていますわよね、私の【狩猟犬】のことは」
「……それはもちろん。同じギルドメンバーですから」
猟犬と思しき姿を模した二匹。
名を【狩猟犬】
見た目の通り、牙と爪と俊敏さを武器に敵を追い回し、襲い掛かり、制圧するクライセンの得物。いや、それだけなら現実の猟犬と変わらない。特筆すべきは。
「この子たちに覚えられた者は、そこで終わり」
己の模型の頭を柔らかく撫でる。
「地中深くに隠れようと、地の果てまで駆けようと、世界の裏側に潜もうと、逃れることは許されない」
「大した模型だと思ってますよ」
素直に認めた。
「そいつのお蔭で完全犯罪を阻止された哀れな悪人がどれだけいるか」
この実体なき二匹は魂を宿している。距離に関係なく、覚えた相手の居場所を必ず嗅ぎつける力を所持している。
どんなに嗅覚が優れていようと、現実の犬では絶対に成し得ない異常な特性。
先日の任務でリーフィが首魁の一団を補足出来たのは、俺の匂いを覚えていたクライセンの模型があったからこそ。
「解っているではありませんか」
似非淑女は上機嫌で頷いた。
「この素晴らしき能力こそが創作家の創作家たる所以。優秀な人間も、巧妙な機械も、鋭敏な獣ですら及ばぬ常軌を逸した能力! 一般人が恐れ崇める、幻料の力なのです!」
その言葉に誇張はない。実際、ウチのギルドに持ち込まれる案件は【狩猟犬】の能力を当てにしているものも少なくない。中でも警察はいい顧客だ。
「リヒトの【名刀】も、
シュレンの【雷神の鉄槌】も、
リーフィの【伝書鳩】も!
無論、団長も、副団長も!
それぞれ創作家でなければ実現し得ない能力を発現させています。けれど、コジロウ!」
クライセンが俺を見据える。そして強い口調で、合図の掛け声。
眼前で黒い影が奔る。
犬が。クライセンの模型が、大きく跳躍していた。
獲物を見つけた猟犬そのものの動きで、牙を見せびらかすように口を開けて、一目散に。
俺へと、襲い掛かる。
――不意打ちじゃない。
この展開は予想していた。クライセンが模型をけしかけて来るだろうと思っていた。だから当然、用意はしてある。幻料は練ってある。
作られた模型でありながら本物さながらの咆哮。たったひと跳びで、テーブルも椅子も全てを跳び越え、俺にのしかからんとした馬鹿犬の面に。
「ジャアッ!」
気合と共に、作り上げた赤い塊を叩き込む。命中! 眉間に幻料の塊を撃ち込まれた猟犬は甲高く情けない一声を残して床に落ち、
その背後から、二匹目が迫る。
「クソッ!」
二発目――無理だ。咄嗟に拳を振り上げ、二匹目の横面を殴り逸らそうと腕を振るう。だが、拳が届く前に両前脚が俺の肩に触れる。
どう、と背中から倒れた。椅子ごと無様に引っくり返った俺の上。いつでも喉笛を噛み切れると言わんばかりの距離から、荒い鼻息。
ものの見事に制圧されてしまった。
「……ふん」
鼻息を漏らしながら周囲を見やる。突然の活劇にどいつもこいつも落ち着いたものだ。リヒトは相変わらずニヤついてやがるし、カウンターの中の団長は姿勢を全く崩していない。
唯一リーフィだけが立ち上がり身構えていたが、その手はシュレンに掴まれている。所詮は余興。本気で俺を殺しにかかったわけじゃない。そう見越しての静止だろう。
「最初の一撃だけは、褒めて差し上げましょう」
俺を見下したクライセンが唇を指でなぞりながら言った。珍しいこともあるもんだ。あの女が俺に好意的な言葉を口にするとは。
「私の【狩猟犬】は本物の犬に劣らぬ俊敏性を誇ります。その攻撃に対して即座に模型を作り上げ、迎え撃った。素晴らしい反射神経です」
「そりゃどうも」
白々しさ満載の声で応える。賛辞は今だけだ。どうせこの後は、
「ねえ、コジロウ。教えて欲しいのですけれど、それほど素早く模型を作れるのであれば両方とも制することができたのではありませんか?」
そら来た!
「何故二匹目には素手で対応したんですの? 二発目を作って撃てば良かったでしょうに」
回りくどい奴め。ギルドメンバーの前でわざわざこんな茶番をやらかした理由。それは全員の目の前で、俺自身に、改めて無能を告白させる為か。
なら言ってやるよ。
「作りたくとも作れなかったからですよ。空っぽになりましたからね。たった一発で」
薄笑いを浮かべて、奴が望む言葉を口にしてやった。
圧力が消えた。俺に覆い被さっていた猟犬が――クライセンの模型が揺らぎ、薄まり、融けて消えた。
体を起こす。屈辱的な台詞を言わせることに成功した似非紳士が満足げに口を歪めていた。
「気は済んだか? クライセン」
団長がカウンターテーブルの上に頬杖をついた。
「少し悪ふざけが過ぎるな」
「申し訳ありません」
慇懃に一礼。
「ですが、これで改めてご理解頂けたと思います。この男の無能さを」
全員を見回しつつ、大げさな身振り手振りで演説口調。衆民院の立候補者かよ。いや、身分からいけば貴族院か。
「無から有が生まれることは有り得ない。モノを作り出すためには材料が必要です。これは私たち創作家とて例外ではありません」
クライセンが歩み寄ってくる。
「創作家は体に満ちる幻料を用いて唯一無二の模型を作ります。けれど」
ぎらり、とクライセンの瞳が俺を捉えた。
「けれどもコジロウ、お前は!」
「塊ひとつ作っただけで幻料が底を尽いてしまう。
何故なら、体に蓄えることがほとんどできないから!」
批判は、どこか他人事のように受け止めた。
「測定史上最低値が大幅に更新されたと聞いた時は笑いが止まりませんでしたわ。どれほど才能に見放されていようと100クラドを下ることは滅多にありませんのに――たったの32クラドだなんて!」
言われるまでもない。今でも耳にこびりついている。創作家の認定試験で自分に向けられた失笑の数々は。
「模型を作り生み出すのが創作家であるのに、その素材たる幻料を宿せぬ者に一体何の価値があるのでしょう。つまりお前は食材を調達出来ない料理人。資材が供給されない大工、絵の具すら買えない画家に等しいのです!」
「…………」
反論はしない。出来ない。
「それだけならまだしも――少なすぎる幻料のせいでしょうね。あなたの作る模型には魂が宿らない! 創作家であれば誰でも作れるような、ただ練って固めた塊を叩きつけるだけの、原始的な模型しか作れないのです! こんな滑稽な話、聞いたことがありませんわ!」
「ふん」
小さく鼻で笑う。クライセンの陰湿さを笑ったのか、己の無能さを笑ったのか、自分でも区別がつかない。
「無邪気に笑っていられたのは、ここでお前と出会うまででした。あまりの幻料容量の少なさに自然『小さな器』と囁かれるようになった無能が――常人の六分の一しか持たぬと知ってなお創作家を名乗る恥知らずが、よもや同じギルドに入って来るなどと、思いも寄らぬことでしたから」
俺は無言を貫いた。
クライセンに糾されるまでもなく、今までに散々言われて来たことだ。向いてない。やめておけ。無理だ。滑稽だ。諦めろ。何度諌められたことか。
出来る限りの努力はした。体を鍛え、知識を得た。それでも、持って生まれた幻料容量の少なさはどうにもならない。創作家の代名詞たる模型だけはろくな代物が作れない。
俺が扱うことのできる材料は、あまりに少なすぎる。
「解っているのかしら? あなたの入団によってギルド『霧雨の陣』の名に傷がついたことを。所属を答える度に、あの『小さな器』を拾ったギルドですか――そんな失笑を頂戴するようになったことを」
「そいつは申し訳ないことです」
「本気でそう思うのなら!」
眼前で大きな音が弾けた。クライセンが日傘の取っ手をテーブルに叩きつけたのだ。
「ここから出て行きなさい。免許証を返上し即刻廃業なさい。全ての創作家の名誉の為に!」
座ったまま見上げる俺と見下ろすクライセン。
暫しの睨み合いを経て――。
「嫌です」
明確に宣言した。
クライセンとリヒトの顔は強張り、近くにいるリーフィは顔を伏せた。シュレンは無反応を貫いている。
「もちろん、団長に出て行けと言われたならば否応はありませんが」
そう付け加え、カウンターの向こう側へ結論を譲った。
「団長」
クライセンがドレスの裾を整えた。
「そうした次第にて、コジロウ・砂条は霧雨の陣から除名すべきと考えます。理由は述べた通りですわ。今のままでは――この男がいる限りは、私たちが執政府に認められることはないでしょうから」
「ふむ」
腕を組み、両目を閉じていた団長が右目だけを開けた。
「シュレン。貴様はどう思う」
「本人が決めるべきことでしょう。俺が口を出すことではありません」
全てを備える万能のお坊ちゃまは、淡々としたものだ。
「ただしコジロウがいなくなれば、遠からずリーフィも出て行くでしょう。ですから、引き止めに一票を投じます」
率直な奴だ。俺自身はどうでもいいがリーフィの動向は気になるってか。
「だそうだ。リーフィ、お前はどうだ」
「訊かないで下さい!」
リーフィの顔は赤く染まっている。
「許せません。こんな晒し者にするようなやり方」
肩を震わせている。
「シュレンが言った通りです。もしコジロウを追い出すなら、私も」
「それも致し方ないことですわね」
クライセンが冷たく言い放つ。
「けれど、リーフィ」
慰めるような声だった。
「あなたはそうやって、出来損ないの幼馴染の面倒をいつまで見続けるつもりなんですの?」
「コジロウは出来損ないなんかじゃ」
「もったいない話ですわ」
被せるように畳み掛ける。
「隣の『小さな器』とは違い、リーフィ、あなたの才能は最高クラス。幼馴染が史上最低値を更新した直後に412クラドなどという常軌を逸した数値を叩き出したのですからね! コジロウのように記録更新こそなりませんでしたが、それに迫る値でした」
リーフィが僅かに顔を背けた。もちろん、俺とは反対の方向に。
「いい加減に、見切りをつけなさい。どう足掻いてもコジロウに創作家としての未来はないのです」
「そんな」
リーフィは首を振った。
「事実でしょう?」
クライセンは容赦がない。
「どれほど庇おうと、コジロウはあなたの添え物でしかありませんわ。むしろ本当に幼馴染のことを想うのであれば、今のうちに道を改めさせてあげるべきではありませんの?」
「……コジロウの夢はコジロウのもの。私が、どうこう……」
「ならば永遠に蔑まれ続けることでしょう。『小さな器』と」
「……っ」
リーフィは力なく椅子に座り込んだ。大半が悪意に塗れていようとも、クライセンの言葉が全て事実であることに変わりはない。
――沈黙が落ちた。
「俺は」
全員が主張を吐き出したと判断したか、団長が腕組みを解いた。
「コジロウは、我がギルドの大事な戦力だと考えている」
途端、クライセンが露骨に眉を寄せた。何のために長口上をぶったのだと言いたげに。
「勿論、コジロウに関するある種の噂がギルドについて回ることは知っている。だが、そんなものは取るに足らん。コジロウは努力をしている。いずれ大きく成長し、何らかの形で我らが姫の役に立つ男だと確信している」
「団長」
クライセンが縋るような声を出したが、無視される。
「ヴィオも似たような事を言うだろう。何より、あいつの意見を待つまでもなく既に四対二。だから否決する。いいな、クライセン」
「……了解、致しました」
あからさまな不満を浮かべ、クライセンはリヒトの隣へと戻る。
「問題はコジロウより、クライセン、リヒト。貴様らだ」
その背に追い討ちをかけるように、団長が目つきを鋭くした。当の二人は何のことかと顔を見合わせる。
「見ての通り、副団長たるヴィオーチェがいないわけだが――その理由、解っているのか?」
「いいえ?」
リヒトがどこまでも軽薄に首を振る。だが。
「貴様らの後始末だ」
二人が威圧された。
「仕事中、酒場で下らない揉め事を起こしたらしいな」
党賊共の中に潜入していた俺は知る由もないが、思い当たる節があるのだろう、二人共がばつの悪そうな表情を浮かべた。
今まで散々責め立てられた身としては、ざまあみろと思わずにはいられない。
「喧嘩がしたいなら免許証を出すな。模型を使わずにやれ。創作家の身分を笠に来て一般人に迷惑をかけるなと、何度忠告させる。もしも今後、俺やヴィオの手を焼かせることがあれば、団長自ら教訓を叩き込んでやることになる。覚悟しておけ」