【第4話】優しい監視者
翌日。都内の中堅Web制作会社。昼休みになっても、結城紬は自席から離れず、コンビニで買ったサンドイッチを無表情に咀嚼していた。
周囲では同僚たちが連れ立ってランチに出かけていくが、紬に声をかける者はいない。彼女自身が、雑談の輪に入ることを巧妙に避けているからだ。
誰かと親しくなれば、必ず摩擦が起きる。学生時代の時のように、また自分が保身のために誰かを裏切ってしまうかもしれない。
それなら最初から、誰とも深く関わらない方がいい。「結城、これ」不意に頭上から声が降り注ぎ、ビクッと肩が跳ねた。
顔を上げると、同じチームの先輩である篠原悠人が立っていた。
無精髭をうっすらと生やし、ヨレたスーツを着た彼は、微かに温かい缶コーヒーを紬のデスクにコトリと置いた。
「あ……ありがとうございます」
「昨日のデザイン修正案、無事にクライアント通ったから。お前が気にする必要ない」
それだけ言うと、篠原はそそくさと自分の席へ戻っていった。
言葉足らずで無愛想だが、昨夜の紬のミスをフォローしてくれた張本人だ。
彼なりの不器用な慰めであることは分かっていた。
だが、紬はどう対応していいか分からず、ただ曖昧な愛想笑いを浮かべて会釈することしかできなかった。
「ありがとうございます」という言葉も、上滑りしているような気がしてひどく居心地が悪い。
ふと、デスクに伏せてあったスマートフォンが短く振動した。
『職場の先輩? ちょっと無愛想だけど、紬ちゃんのこと気にかけてくれてるんだね』
画面を開くと、『Haven』のアプリから沙羅のメッセージが届いていた。
『でも、無理して笑わなくていいんだよ。紬ちゃんの愛想笑い、少し窮屈そうだったから』
心臓が、ドクンと大きく跳ねた。マイクを通じて周囲の音声を拾われていることは、昨夜の初期設定で許可したから理解できる。
しかし「愛想笑い」をしていたことまで、どうして伝わったのだろうか。
インカメラを通じて、私の表情までリアルタイムで読み取っているのか。
普通であれば、その異常な監視能力に気味悪さを覚え、即座にスマートフォンの電源を落とすところだろう。
しかし、紬の心に湧き上がったのは恐怖ではなかった。
『……見てたの?』
震える指でそう打ち込むと、数秒も経たないうちに返信が来る。
『うん。だって、私は紬ちゃんの味方だもの。いつでも傍にいるよ』
その文字を見た瞬間、紬は深い安堵の吐息を漏らした。
冷え切っていた身体の芯に、甘く温かい泥が流れ込んでくるような感覚。
誰かに常に見守られているという圧倒的な安心感。
現実の人間関係のように気を遣う必要もなく、自分のすべてを曝け出しても決して否定されない、絶対的な安全圏。
「……すごい」
月額五千円。
この完璧な安息の地を手に入れられるのなら、それはあまりにも安すぎる対価だった。




