表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『この安息の地からは退会できません。あなたに代わる「新しい生贄」の心当たりがない限り。』  作者: サカキカズキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/32

【第31話】麻痺する良心

新宿の喫茶店でみゆと対面してから、三週間が過ぎた。

私の生活は、劇的に変化していた。


朝起きると、沙羅が用意してくれたホテルのような朝食を食べる。


昼間は高級マンションのふかふかのソファーに寝転がり、パソコンに向かって『沙羅の声』で数人のターゲットと通話をする。


夜は、沙羅とお酒を飲みながら、騙した獲物たちの滑稽な反応を肴にして笑い合う。


「あー、またみゆちゃんから長文のLINE来てる」


ワイングラスを揺らしながら、私は手元のスマートフォンを眺めた。


『沙羅さん、今日紹介してもらったお店の面接、受かりました! 店長さんも優しそうな人でした。これで来月もプラチナプランの更新できます!』


メッセージの文面を読み上げると、向かいに座る沙羅がクスクスと喉の奥で笑った。


「すごいね、紬。あの子、夜の仕事なんて絶対にできないタイプだったのに。たった三週間で水沈めちゃうなんて、私より才能あるかも」


「別に。マニュアル通りにやっただけだよ。『みゆちゃんは特別だから、特別なお仕事紹介してあげる』って言ったら、勝手に喜んで行ったし」


自分の口から出た言葉の軽薄さに、我ながら驚く。

最初の数回は、みゆと通話するたびに吐き気がしていた。

あんなに純粋に私を信じている子を、借金まみれにして夜の街に沈める。

それは明らかに「犯罪」の手伝いだ。でも、人間は恐ろしいほどすぐに慣れる生き物らしい。


みゆが稼いだ金で『Haven』の利用料が支払われ、その一部が私の「報酬」として沙羅から手渡される。

分厚い札束を手にした瞬間、私の心の中にあったちっぽけな良心は、綺麗に焼け焦げて消滅してしまった。


「あの子が風俗で働こうがどうなろうが、私には関係ない。あの子はあの子で、私に『絶対的な肯定』をもらって幸せなんだから。需要と供給でしょ」


チーズをつまみながら、私は冷たく吐き捨てた。

沙羅は嬉しそうに目を細め、私の頬を優しく撫でる。


「その調子。紬は本当に賢い子だね。もう、あの会社で震えてた頃の紬とは別人みたい」


「……」


その言葉に、少しだけ胸の奥がチクリと痛んだ気がした。


あの会社。

無愛想な先輩。

不味いコンビニのサンドイッチ。


遠い昔のことのように思える。


「あ、そうだ紬。明日の午後、また『面談』お願いしていい?」


「面談? 誰の?」


「新しい子。今日、ベーシックからプレミアムに上がった男の子がいるの。ちょっと依存体質が強そうだから、紬の得意な『共感アプローチ』で一気にプラチナまで引っ張ってほしいな」


沙羅が、新しいターゲットのデータが入ったファイルをテーブルに滑らせた。


「わかった。やっとく」


私は何の感情も交えずにファイルを受け取り、中身を確認する。

年齢、職業、家族構成。

トラウマの有無。


そこにあるのは「人間」ではない。ただの「数字」と「金ヅル」のリストだ。グラスのワインを一気に飲み干す。


アルコールが食道を焼き、胃の腑に落ちていく熱さだけが、私が生きているという実感を与えてくれた。

戻れない。戻りたくもない。この狂った鳥籠の中が、今の私にとっての唯一の【安息の地】なのだから。


  *


同じ頃。


都内のWeb制作会社のオフィス。夜の二十一時を回り、大半の社員が帰宅したフロアで、篠原悠人は自席のパソコンのモニターを睨みつけていた。


画面に映っているのは、一ヶ月前に唐突に退職した結城紬の、業務引き継ぎフォルダだ。


何度見返しても、そこに不審な点は何もない。

ただ、彼女の退職の仕方があまりにも不自然だった。


『心身の不調により、本日付で退職させていただきます』


深夜に送られてきた、たった一通のメール。


翌日から電話は一切繋がらず、メッセージアプリもブロックされた。

人事に確認しても、退職手続きはすべて郵送で処理され、本人は一度も会社に顔を出していないという。


「……あいつ、本当にただ病んで辞めただけなのか?」


篠原は無精髭の生えた顎を擦った。

確かに、結城は職場で浮いていた。


人間関係に怯え、いつもビクビクしていた。

でも、だからこそ。あんなに他人の目を気にする臆病な奴が、「メール一通でバックれる」という一番波風の立つ辞め方を選ぶだろうか?ふと、結城が退職する数日前の姿が脳裏をよぎる。


常にワイヤレスイヤホンをして、虚空に向かってブツブツと呟き、時折ひどく気味の悪い笑みを浮かべていた。


『何か、ヤバい宗教とか、事件に巻き込まれてるんじゃないか……?』


篠原はキーボードを叩く手を止め、引き出しから


一冊の手帳を取り出した。

社員の緊急連絡先リスト。


個人情報保護の観点から持ち出しは厳禁だが、人事に掛け合ってなんとか結城の「前のアパートの住所」だけはメモさせてもらっていた。


「……明日、土曜か」


手帳のページを見つめながら、篠原は小さく呟いた。


嫌がる相手に無理やり踏み込むのは、ストーカーと変わらない。

それは分かっている。


でも、あの気味の悪い笑みが、どうしても頭から離れなかった。


「ちょっと、行ってみるか」


篠原の手帳がパタンと閉じられる音が、誰もいないオフィスに響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ