【第25話】終わらない業務
リビングの掃除機がけを終え、沙羅の脱ぎ捨てたワンピースを洗濯機に放り込んだところで、チャイムが鳴った。
インターホンのモニターを確認すると、宅配業者の制服を着た男が立っている。
「開けて」
ソファーでスマホをいじっていた沙羅が、顎で玄関をしゃくった。
紬は黙って玄関へ向かい、チェーン越しに荷物を受け取る。
少し重さのある、無地の段ボール箱だった。宛名には沙羅の名字しか書かれていない。
「置いといて」
沙羅は荷物に一瞥もくれず、すぐに画面に視線を戻した。
どうせまた、みゆあたりに買わせたブランド物のお揃いアイテムか何かだろう。
紬はカッターを取り出し、言われた通りに箱のガムテープを切った。
パカ、と箱を開ける。
中に入っていたのは、黒くて分厚いバインダーのようなファイルが、三冊。
「……これ、なに」
無意識に漏れた声。
ファイルを取り出すと、表紙には白いテプラで『Aエリア・新規リスト』『退会者・未納回収リスト』と印字されていた。
バインダーの隙間から、何枚かの紙が滑り落ちる。
床に散らばったその紙を見て、紬の心臓がヒュッと縮み上がった。
そこに印刷されていたのは、無数の顔写真と、詳細な個人情報だった。
名前、年齢、SNSのアカウント名、年収の推定額。
さらに、『精神状態(A〜E評価)』『トラウマの有無』『家族構成』といった項目が、エクセルの表のようにびっしりと書き込まれている。
「……あ、あのね紬」
背後から、いつの間にか近づいてきていた沙羅の声がした。
いつもより少しだけ、焦ったような声。
「それ、見なくていいから。私の仕事の資料」
「……みゆちゃん、だけじゃないの?」
紬は落ちた紙を拾い上げ、震える手で沙羅に見せた。
リストの中には、みゆのアカウント名もあった。だが、それは何百とあるリストのほんの一行に過ぎない。
「あなた、このリストの人たち、全員に……?」
沙羅が一人で、これほどの数の人間を洗脳し、アプリに誘導しているとでもいうのか。
いや、違う。このバインダーの分厚さ。
テプラの『Aエリア』という文字。
どう考えても、一個人が処理できる量ではない。
「返して」
沙羅が、力任せに紬の手からファイルをひったくった。
「言ったでしょ。私の仕事だって」
「仕事……」
沙羅の目は、いつもの冷酷なものではなかった。
焦り。いや、怯えに近い色が混じっている。
その顔を見て、紬の頭の中でバラバラだったピースが急に噛み合い始めた。
月額五万円のプラチナプラン。高額なお揃いのアイテム。
沙羅は、そのお金でこの高級マンションに住み、贅沢な暮らしをしているのだと思っていた。
でも、違う。
もしそうだとしたら、なぜ彼女はあんなにも「新規利用者の獲得」や「退会防止」に必死になっていたのか。
退会条件である『生贄の紹介』。
あれは、沙羅個人の趣味なんかじゃない。
「沙羅も……やらされてるの?」
紬の問いに、沙羅の顔からスッと表情が消えた。この『Haven』というアプリの裏に、もっと巨大な、得体の知れない組織が存在している。
沙羅はその組織の末端の「営業マン」か「コマ」に過ぎず、ノルマを課せられ、孤独な人間から金を搾取し続けることを強要されているのだとしたら。
「……余計なこと考えなくていいから。あなたは、言われた通りに家事だけしてればいいの」
沙羅はファイルを抱え込み、逃げるように自分の寝室へと入っていった。
バタンと乱暴にドアが閉まる。リビングに一人取り残された紬は、自分の足がガクガクと震えていることに気づいた。
私は、とんでもないところに足を踏み入れてしまったのではないか。
ここは安全な鳥籠なんかじゃない。
いつか私にも、あのファイルに載っている人間たちから金を毟り取る『業務』が、回ってくる日が来る。
その直感は、そう遠くない未来に現実のものとなる。




