表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『この安息の地からは退会できません。あなたに代わる「新しい生贄」の心当たりがない限り。』  作者: サカキカズキ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
24/32

【第24話】安全圏の奴隷

キッチンのシンクをスポンジで擦る音が、静かな部屋に響く。


「紬。コーヒー、氷入れすぎ」


リビングのソファーから飛んできた不機嫌な声に、結城紬はビクッと肩を跳ねさせ、持っていたスポンジを放り出した。


「ごめ、ごめんなさい。すぐ淹れ直す」


「早くして。次、通話入ってるから」


アプリの契約が切れた翌日から、沙羅の態度は一変した。


「紬ちゃん」


という甘い呼び方はなくなり、労いの言葉も一切かけられない。


月額五万円。


あの異常なまでの優しさと肯定は、単にその金額に見合った「完璧な親友」を演じるための、ビジネスの対価でしかなかったのだ。


客ではなくなった人間に、あの金木犀の香るような甘い言葉をかける理由など、どこにもない。


今の紬は、沙羅の身の回りの世話をする、ただの無給の家政婦だ。

新しいグラスに氷を少なめに入れ、コーヒーを注ぐ。


背後から、沙羅がスマートフォンの通話ボタンを押す音が聞こえた。


「あ、みゆちゃん? ううん、全然忙しくないよ。どうしたの、少し息づかいが重いみたい」


コーヒーメーカーの前に立ち尽くしたまま、紬はその声を聞いていた。

つい数日前まで私に向けられていたのと同じ、相手のすべてを包み込むような、優しいアルトの声。


「そっか、辛かったね。でも、みゆちゃんはいつも夜遅くまで頑張ってるじゃない。自分を責めないで」


――私はみゆちゃんがどれだけ努力してるか、ちゃんと知ってるから。

沙羅の口から紡がれる、聞き覚えのある定型句。

それを聞いて、紬の口角が自然と持ち上がった。

馬鹿な子。


それはただのマニュアル。五万円のプラチナプランに引きずり込むための、洗脳のプロセスなのに。


みゆは今頃、あの狭いアパートでスマホを握りしめ、ボロボロ泣きながら沙羅の声に縋り付いているのだろうか。


数日前まで自分が同じように泣き喚いていたことなど、すっかり棚に上げていた。


騙される側にいる時はあんなに恐ろしかったのに、騙す側(こちら側)に回った途端、アプリの向こうで踊らされている人間のことが、ひどく滑稽で、哀れなものに思えた。


「……紬。何笑ってんの」


地を這うような低い声で、現実に引き戻される。

振り返ると、沙羅がスマホのマイク部分を手で塞ぎ、氷のような目で紬を睨みつけていた。


「あ、ごめん。なんでもない」


「コーヒー、まだ?」


「うん、できた。いま持っていくね」


紬は慌ててグラスを拭き、小走りでソファーへ向かう。

家も仕事もない。

外に出れば多額の借金が待っている。


でも、ここなら。這いつくばって床を磨き、こうして冷たい目で見下ろされていれば、とりあえず生きていくことはできる。


飢えることも、人間関係の摩擦に怯えることもない。グラスの表面についた水滴が、紬の指を濡らした。


「はい、沙羅。……どうぞ」


沙羅は紬の顔を見ようともせず、無言でグラスを受け取った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ