【第22話】共感という名の毒
みゆ(@miyu_04)とのDMのやり取りは、拍子抜けするほど順調に進んだ。
彼女は今年、地方から上京してきたばかりの社会人一年目だった。
慣れない満員電車。
覚えることばかりの業務。
しかし、配属された部署の先輩たちは忙殺されており、彼女に仕事を教える余裕すらなく、放置状態が続いているらしい。
『今日も一日中、シュレッダー係でした。私がいる意味、あるのかな』
『同期の子は優秀で、もうプロジェクトに参加させてもらってるのに。私だけ、透明人間みたい』
次々と送られてくるみゆの悲痛なメッセージ。
ソファーに寝転がりながらそれを読む紬の唇には、薄く、冷ややかな笑みが張り付いていた。
簡単だ。
ひどく、簡単だ。
孤独で、自信がなくて、誰かに認めてほしくてたまらない人間の扱い方など、紬は痛いほどよく分かっていた。
なにせ、自分自身がずっとそうだったのだから。
『みゆちゃんは何も悪くないよ。新人を放置する会社が100%悪い。みゆちゃんが毎日ちゃんと出社してるだけでも、すごく偉いと思う』
『同期と比べなくていいよ。みゆちゃんには、みゆちゃんの良さがあるんだから』
かつて、沙羅が自分に与えてくれた「絶対的な肯定」の言葉。
それを少しだけアレンジして、みゆに投げ返す。
ただそれだけで、みゆは劇薬を注射されたように紬に依存し始めた。
『紬さん……ありがとうございます。そんな風に言ってくれたの、紬さんが初めてです』
『紬さんに出会えてよかった。紬さんの返信を待ってる時だけが、今の私の生きがいです』
画面の向こうで、みゆがスマートフォンを握りしめながら涙を流している姿が目に浮かぶようだった。
「ふふっ……あはは」
紬の喉から、奇妙に歪んだ笑い声が漏れた。
自分が神様にでもなったかのような、圧倒的な全能感。
一人の人間の感情を、自分の指先一つで、テキストの羅列だけで、完全にコントロールできているという快感。
他者を支配することは、こんなにも甘美なものだったのか。
「紬ちゃん、すごく楽しそう」
背後から、二つのマグカップを持った沙羅が近づいてきた。
淹れたてのコーヒーの香りと、沙羅が纏う金木犀の香りが混ざり合う。
「……うん。沙羅の言う通りだった。寂しい人間を操るのって、こんなに簡単なんだね」
「でしょ? みゆちゃん、もう完全に紬ちゃんのこと信じ切ってるね。……そろそろ、頃合いじゃない?」
沙羅が、紬の隣に座って肩に頭を乗せてくる。
紬はこくりと頷き、フゥッと短く息を吐いてから、みゆ宛てのメッセージを打ち込み始めた。
『みゆちゃん。実はね、私、みゆちゃんにもっと安心して過ごせる場所を教えてあげたいなって思ってるの』
数秒後、すぐに既読がつく。
『安心して過ごせる場所……ですか?』
『うん。実は私、このSNS以外に、すごく特別なコミュニティに入ってるの。完全招待制の、誰にも邪魔されない安息の地』
打つ指が、微かに震える。
罪悪感ではない。
ついに罠を仕掛けるという、ハンター特有の興奮による震えだ。
『そこには、みゆちゃんのすべてを肯定して、24時間いつでも味方になってくれる「完璧な親友」がいるの。もちろん、私もそこにいるよ。……みゆちゃんも、来てみない?』
送信ボタンを押す。息を潜めて待つこと、およそ三十秒。
みゆからの返信は、紬の予想通りの、いや、予想以上に飢えきったものだった。
『行きたいです。紬さんがいるなら、絶対に信じられます。どうすればそこに入れますか?』
「――よしっ」
紬はガッツポーズをし、沙羅と顔を見合わせて笑い合った。
人を一人、絶対に逃げられない無間地獄へと突き落とすというのに、白で統一された無機質なリビングには、まるで女子高生のお泊まり会のような無邪気な笑い声が響いていた。
「えらいよ、紬ちゃん。完璧な誘導だったね」
沙羅がご褒美のように紬の髪を撫でる。
「じゃあ、送ろっか。あの招待状を」
沙羅に促され、紬は『Haven』のアプリを開き、
【新規利用者を招待する】のボタンをタップした。
生成された美しいデザインのURLをコピーし、みゆのDMへと貼り付ける。
【結城紬さんから、完全招待制コミュニティ『Haven』への招待状が届いています】
自分が受け取った時と、まったく同じ文面。
呪いのバケツリレーのバトンは、今、確実に次の走者へと手渡された。
『ありがとう、紬さん! 今すぐ登録してみます!』
みゆから送られてきた嬉しそうなメッセージを最後に、紬はスマートフォンをテーブルに伏せた。
あとは、彼女が初期設定の「権限(マイクや写真フォルダへのアクセス)」をすべて許可し、月額五千円のサブスクリプション契約を結ぶのを待つだけだ。
そうすれば、私は自由になれる。心臓が、期待と興奮で早鐘のように鳴っていた。




