【第18話】生贄の選別
「選んで。このまま一生、私のお人形でいるか。それとも……誰かをここに引きずり込んで、自分だけ助かるか」
沙羅の言葉が、耳の奥で何度もリフレインしていた。
紬の手に握らされたスマートフォンの画面には、連絡帳のリストが表示されている。
五十音順に並んだ名前。学生時代の同級生、親戚、そして昨日退職したばかりの会社の同僚たち。
この中の誰かにチェックを入れ、「招待状を送信する」のボタンを押せば、私はこの狂った女の支配から解放される。
――誰を?親や親戚を売ることはできない。
会社の同僚たちは、あんな暴言を吐かれた後で、私からの怪しい招待URLなど開くはずがない。
「ほら、紬ちゃん。誰にする?」
沙羅が、背後から紬の首筋に腕を回し、耳元でクスクスと笑う。
その柔らかな感触と金木犀の香りが、今では吐き気を催すほど恐ろしかった。
「誰でもいいのよ。SNSのフォロワーでもいい。紬ちゃんみたいに、夜中に病んだ投稿をしてる子なんて、検索すればいくらでもいるでしょ? そういう子にDMで送るのが一番手っ取り早いかな」
沙羅は、まるでゲームの攻略法を教えるような軽い口調でそう言った。
確かにそうだ。SNSで承認欲求に飢えている人間を探し出し、言葉巧みに誘導すればいい。
自分がそうされたように。
しかし、紬の指は震えて動かなかった。過去に、いじめられていた親友を見捨てた時の記憶が蘇る。
自分が助かりたくて、目を背けた。その結果、親友は学校を去り、紬の心には一生消えない罪悪感が刻み込まれた。
もし今、ここで誰かを身代わりにすれば。
私はまた、同じことを繰り返すことになる。見ず知らずの誰かを、この絶対に逃げられない地獄に突き落とすことになる。
「……できない」
「え?」
「できないよ、そんなこと! 私が助かるために、関係ない人を騙すなんて……っ」
スマホを床に投げ捨て、紬は両手で顔を覆った。
そんな紬を見下ろし、沙羅は冷たく、そして可哀想なものを見るようなため息をついた。
「そっか。紬ちゃんは優しいね。美咲ちゃんとは大違い」
「っ……」
「美咲ちゃんはね、一瞬もためらわなかったよ。自分より下で、自分より孤独で、過去のトラウマから人に強く出られない紬ちゃんのことを『最高のカモだ』って笑ってたもの」
その言葉が、紬の心臓を鋭く抉った。
美咲が笑っていた。
大人しくて、いつも目立たなかったあの同僚が。
私の孤独と弱さを利用して、私をこの地獄に売り飛ばして、自分は安全な場所で笑っている。
『紬ちゃんなら、痛みが分かると思ったから』
美咲がかつて言ったというその言葉の真意。
それは「同情」ではない。
「過去に親友を裏切った負い目がある紬なら、自分が同じように裏切られても、強く反撃してこないだろう」という、極めて残酷で計算高い『見下し』だったのだ。
ギリ、と。
紬の奥歯が鳴った。
悲しみと恐怖で満たされていた紬の心に、これまで感じたことのない、どす黒い泥のような感情が湧き上がってきた。
怒りだ。
私の人生をめちゃくちゃにした、桐谷美咲に対する、純粋で暴力的な憎悪。
「……沙羅」
顔を覆っていた手をどけ、紬はゆっくりと立ち上がった。
その目には、先ほどまでの怯えはなく、冷たい光が宿っていた。
「美咲の……桐谷美咲の今の居場所、分かる?」
「ん? 分かるよ。彼女のスマホのGPS履歴、私のデータベースに残ってるから。でも、どうするの?」
沙羅が面白そうに目を細める。
紬は床に落ちたスマホを拾い上げ、沙羅の目を真っ直ぐに見据えた。
「会いに行く。あいつに直接会って……話を聞く」
こんなところで泣き寝入りして、終わらせるわけにはいかない。
私を売った女が、今どんな顔をして生きているのか。
その目で見届けなければ、絶対に納得できない。
「いいよ。連れてってあげる」
沙羅は嬉しそうに微笑み、紬の髪を撫でた。
「でも、逃げられないからね。一歩でも変な動きをしたら、紬ちゃんの恥ずかしいデータ、全部ばら撒くから」
首輪を握られたまま、結城紬は地獄の底から這い上がるための最初の一歩を踏み出した。
その足取りが、さらなる悲劇へ向かっているとも知らずに。




