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煙屋のジャン 〜異世界の塹壕で、僕は今日もタバコを配る〜  作者: mickmick893
第一章 もう一本くれよ
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第9話 煙をくわえた人形が、敵を暴く

フローリア暦二一四年 十月十二日


笑っていた。

貼りつけたのではなかった。頬が、勝手にゆるんだ。

煙を「得体の知れない草」と呼び、禁じ、部下を縛り上げた男が。テントの隅に、こっそり酒瓶を隠している。

この人も、同じなんじゃないか。

眠るために。頭に入り込んでくるものを、少しでも遠ざけるために。手放せない何かを、隅に隠して生きている。

上官の視線が、僕の目線を辿った。木箱の陰の瓶に行き着いて、止まる。

太い眉が、ぴくりと動いた。

「……何がおかしい」

あの塹壕で、ニコルたちに向けられたのと同じ言葉だった。低く、静かで、怒鳴り声よりずっと重い。

僕は、答えなかった。答えるかわりに、もう一度だけ、瓶を見た。

上官の顎に、ぐっと力がこもる。

何かを言いかけて、口が開いた。

その瞬間、夜が裂けた。

 

轟音が、テントを揺らす。

蝋燭が倒れ、地図の上を転がって消える。暗闇の中で、土の雨がばらばらと布を叩く。

上官は跳ねるように立ち上がり、テントの外へ出た。杭に縛られたニコルとロドリゴの縄を、腰の短剣で一息に断ち切る。

「持ち場へ戻れ!」

二人が駆け出していく。

上官は、振り返りざまに僕の襟首をつかむ。

「お前は来い」

息がかかるほどの距離で、上官は低く言った。

「お前を見つけた夜に、砲撃が来た。偶然だと思うか」

答えようがなかった。間が悪すぎる。疑われて当然だった。

引きずられるように、塹壕を走る。砲弾が落ちるたびに、地面が跳ね、耳の奥がきんと鳴った。

前線の壁際に、兵士たちが張りついている。

震えている者。壁にしがみついたまま、動けない者。

その中で、何人かが、背中を丸めて手を口元へ運んでいた。両手で火を覆い、短く吸って、吐く。

そして、銃を構えて、壁の上へ身を乗り出していった。

ロドリゴもいた。震える指で一本をくわえ、一口だけ吸い込む。吐いた煙が砲火に照らされて、すぐに夜へ溶けた。

次の瞬間には、ロドリゴの指は、もう震えていなかった。

僕の襟首をつかんだまま、上官は、それを見ていた。

 

砲撃が、ようやく途切れた。

かわりに、乾いた銃声が闇のあちこちから響きはじめる。壁の上に頭を出した兵士が、一人、また一人と崩れ落ちた。敵の狙撃手が、どこかに潜んでいる。

「どこから撃ってきてんだよ……!」

ニコルが、銃を握りしめたまま壁に張りついていた。泥だらけの顔が、悔しそうに歪んでいる。

その顔が、ふいに止まった。

何かを思いついた顔だった。

ニコルは銃を置き、泥を蹴って、こちらへ駆けてきた。

「上官! ジャンの木箱、貸してください!」

「……何だと」

「煙が居場所を教えるんなら、教えてやりゃいいんです!」

息を切らしながら、ニコルは早口でまくし立てた。土嚢でも、木切れでも、なんでもいい。人の形にして兜をかぶせ、タバコをくわえさせて火をつける。敵がそれを狙って撃ってくれば、その発砲の光で、向こうの居場所が分かる。

上官は、しばらく黙っていた。

それから、僕の襟首をつかんでいた手を離し、取り上げていた木箱を、ニコルに放った。

「やれ」

「ちょ、ちょっと待ってください〜! それ上物なんですよぉ! ぶっ飛ばすのはもったいないですって〜!」

思わず叫んだ僕を、上官がじろりと睨んだ。ニコルは聞こえないふりをして、もう木箱を抱えて走りだしていた。

 

土嚢を積み、折れた杭を腕にして、古い兜をかぶせる。その口元に、火のついたタバコを一本。

闇の中に、小さな橙色の光が、いくつも灯った。

ほどなくして、向こうの闇が瞬いた。一つ、二つ。偽物の兵士の兜が、甲高い音を立てて弾け飛ぶ。

「そこだ!」

ロドリゴの銃が、光った場所へ火を噴いた。続けて、何丁もの銃声が重なる。

やがて、向こうの闇は、二度と瞬かなくなった。

 

静かになった塹壕で、土嚢の人形が、まだ煙をくゆらせていた。

僕のタバコだった。

心を軽くするために作ったものが、今夜は、誰かを撃つための餌になった。

上官は、その煙を見つめたまま、長いこと黙り込んでいた。

次回「『お前、本当は笑ってないだろ』」 本日20時10分更新です。

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