戦場の顔
森の中でパシャリとカメラがシャッターを切る。
それは、マルティン軍曹率いる分隊が制圧した対戦車砲陣地に潜り込んだ広報官―――ヨゼフィーネ・ルーベンスによる撮影だった。
カメラを下ろしながら、その口は自然とシンプルな感想を漏らす。
「……凄い」
林縁に身を置いた彼女の視線の先では、ティーガー412号車が最後のT-34の砲塔を吹き飛ばし、その横を通り過ぎて、この森の更に北寄りへと前進していく。
あちこちの装甲が傷だらけで、いろいろなパーツが脱落し、なんならちょっとヤバそうな感じの煙を吹きながら、素人目にもかなりヨタヨタと走っているような挙動。
それは、あのティーガーが生還こそしたものの、度重なる被弾で機械的な限界寸前もいいところなのだと言うのがよくわかる。
ティーガー413号車が擱座したと中隊指揮所で聞いた時、フィーネは直感した。
窮地に陥った仲間の為に、兵士達は何をするのだろうか。
これを見逃すのはあり得ない、取材するべきだと。
それが劇的な救出劇になるのか、冷徹な見捨てるという選択肢に辿り着くのか、その是非を彼女は論じるつもりはなかった。
だって、彼女は戦闘のプロではない、あくまでも記者だからだ。
命懸けで、尚且つ決して長くない時間制約すらある中で下す判断。
その良し悪しを無責任に語るつもりは、今も、そしてこれからもない。
それを語る上では、彼女はあくまでも外野で、しかも戦闘のプロフェッショナルとして訓練を積んだわけでも、実戦の修羅場をくぐり抜けてきたわけでもないのだ。
そんな立場で思い浮かぶ"名案"なんてのは、後からだからこそ好き放題言える理想論を厚顔無恥に披露するか、後出しと言う絶対的アドバンテージがある癖に現実と乖離した自分の馬鹿っぷりを晒すか、いずれかになるだけだ。
何より、それを考え始めると"記者の主観"が大量に入ってしまう。
考えるのは読者だ。
答えを出すのも読者だ。
記者の使命とは、あくまでもありのままを伝えるのみ。
望む期待に誘導するのは、ペンの強さを信じるからこそ、その使い方に気をつけるべきだと言う、彼女のジャーナリストとしてのポリシーに反する。
無論、フィーネとて人間だ。
何かしらの印象は心に抱くだろうし、つい自分の考えに文面が引っ張られることもあるだろう。
そうであっても、その判断、その姿は、可能な限りそのまま紙に書き起こすことを忘れてはならない。
結果、彼女は目撃することができた。
仲間の為に命を懸けたのだろう、気高く勇敢なる戦いを。
凄い迫力だ。
ティーガーを始めとする戦車たちの砲撃も、装甲板に阻まれて跳弾する敵の対戦車砲の曳光も、降り注ぐ砲弾の雨も、爆散する敵戦車も。
自分がファインダー越しに撮影した数々の写真は、半人前のフィーネでも一つの確証を得ていた。
自分が撮った写真は、間違いなく"かっこいい"。
母国の少年たちが見たなら、血が湧き、肉が躍る英雄譚を夢想し、そして自分もそのような"主人公"になりたいと憧れるだろう。
―――でも……
改めて周囲を見回し、そして彼女は思いっきり吐いた。
今の今まで使命感により置き去りにしていた、本日2度目の嘔吐だった。
「うっ、おえ!! …げほっ、げほっ…」
当たり前だ。
さっきまでここもまた、命のやり取りがあった場所だ。
周囲に転がる死体の数々はあまりに無残で、何か落ちてるなあと思ったら、それが人間の何かしらのパーツだったりする有様である。
フィーネとて葬式というものには参加したことがあるから、"人間の死体"そのものは見たことがある。
でも、ここに転がる"人間の死体たち"は、葬式で棺に納められるそれとは全く別種のものだった。
最初の嘔吐は、キューベルワーゲンで送ってもらい、下車して森に駆け込んだ直後に目撃した、敵の歩哨らしき死体だった。
年の頃は、まだ10代後半くらいか。
首をナイフか何かで切られ、白目を剥いた、初めて見た"戦場の死体"―――"明らかに誰かによって殺された死体"は、あまりにショッキングだった。
正直に言えば、もうその時点で帰りたくなった。
死者には大変申し訳ないが、我慢する暇すらなしに、その場で思いっきり嘔吐してしまった。
帝国の国粋差別主義者たちが、連邦人や共和国人を無知で愚かな下等生物、或いは駆除すべき害虫呼ばわりしたり、西方連合の人々を横暴で傲慢な野蛮人呼ばわりしたり―――あそこまで極端な差別主義者ではなくとも、戦争の指導者たちが自分たちの正義をこれでもかと主張する理由。
その一端が、なんとなく分かった気がする。
何故なら、無理だからだ。
相手を同じ人間と認めたら、とても戦いや弾圧なんかできない。
大多数を占める普通の感性の人々が、敵も同じ人間なのだと意識してしまうと、戦争そのものが成り立たなくなる。
それが良いか悪いかはともかく、自分たちの残酷な手段を正当化し、前線の兵士を宥めて引き金を引かせるには、"明確な正義の理由"が必要なのだ。
ただし、最初のブレーキさえ壊れてしまえば、あとは何とでもなる。
無限に積み上がる憎しみ合いで、正義と言う名の免罪符発刊は勝手に際限なく加速していくからだ。
フィーネは、震える手でその死体を撮影した。
別に猟奇的な趣味があるわけじゃない。
ただ、その犠牲者の姿はおそらく、従軍記者として、ジャーナリストとして、ヨゼフィーネ・ルーベンスにとっての原点になると思ったのだ。
―――忘れない。ボクは、確かにここに生きていた君のことを、絶対に忘れないよ。
だからなんだと言われたらそれまでだろうが、それでもそう思わずには居られなかった。
その後、死体の瞼をそっと下ろしてから、更に森の中へと突き進んだ。
事あるごとに見かける戦闘の残滓は、たちの悪い悪夢がそのまま具現化したような情景だった。
ふと見上げた木に、砲迫射撃で吹っ飛んできたのだろう、中途半端に原型を留めた人間の残骸がぶら下がっている様など、何かの冗談だと嗚咽混じりに変な笑いが出そうになった。
だが、彼女はその臭いを、音を、景色を拒まない。
この目の前にある現実の全てを伝える。
それが、ジャーナリストたるヨゼフィーネ・ルーベンスの誓いだから。
シャッターを切り続け、全てを脳髄に刻み込み―――そして見た。
"銀色に輝く孤高の英雄譚"を。
―――先に知っておいて……きっとよかった。
華々しい活躍の陰に広がる、陰惨な世界を。
涎を拭い、目元の涙もこすり取りながら、フィーネは思い至った。
―――ああ、そうか……だから英雄の物語は、いつだって"眩しい"んだ。
●
「ティーガーが来たぞ!!」
部下の一人がライフルを撃つのをやめて喝采じみた声を上げた。
マルティン軍曹も 、道路を挟んでお互い林の中から撃ち合う状況下において、まさにティーガー412号車がこちらの方へと走ってくるのを目撃した。
こちらに車体正面と砲塔の右側面を見せる姿勢で一発主砲を撃ち、更に機関銃を撃ちまくりながら走るのは、例の奥側の対戦車砲陣地への牽制か?
ともかく、道路上を走りながら林内へと至ったティーガー412号車は、そのまま暴虐の牙をマルティン軍曹らの正面に立ち塞がる敵兵たちへと向けた。
機銃掃射しながら412号車はマルティン分隊のすぐ左斜め前10mくらいに停車し、榴弾をぶっ放して敵の抵抗を粉砕しにかかる。
もうこうなったら敵兵は無力だ。
鋼鉄の怪物に対する碌な対抗手段がない連邦兵たちは、完全に士気崩壊して我先にと逃げ出し始める。
相互支援もクソもなく背中を見せて逃げる姿に、マルティン軍曹は叫ぶ。
「今だ、2班突撃しろ!! 1班は引き続き射撃だ!! カル!! シュパン!! 援護しろ!!」
弾かれたように仲間たちが走り出す中、マルティン軍曹はティーガー412号車へと駆け寄る。
こう言うよじ登る時には砲塔がいきなり急旋回しないかがとても怖いが、コンタクトを取らねば連携もクソもない。
すると、向こうもこちらに気付いてくれたらしい。
車長ハッチが開き、クラッシュキャップを被った長い銀髪頭が姿を現した。
手を挙げれば、向こうも頷きながら手を挙げてくれた。
マルティン軍曹はティーガーに飛び乗り、銀色の英雄譚の主人公に笑いかける。
「大立ち回りの後に、救援に感謝する!! ラインフェルト少尉!!」
「当然のことをしたまでです、マルティン軍曹。T-34が進出してきた経路は?」
まるで、どこかを散歩でもしてきただけかのような、無感動な表情と声音だった。
「話が早くて助かる。右前方の切れ目が見えるか?」
「……確認しました。地雷で閉塞される前に、行けるところまで打通します」
「だが、大丈夫なのか? 素人目にもだいぶガタが来てるぞ?」
「問題ありません。あと一押しならば」
迷いというものが全く感じられない。
大したものだ。
見た目に騙され、少し侮っていた自分を自覚せざるを得ない。
マルティン軍曹は感心しながら、クラリッサに言った。
「分かった、脇は俺たちが固める!! できることなら、このまま林縁まで押し込もう!!」
「了解」
頷いたマルティン軍曹は素早く戦車から飛び降り、援護射撃していた第一班に命じる。
「1班、俺に続け!! 2班に遅れるな!!」
●
結論から言うと、マルティン軍曹率いる分隊はティーガー412号車と共に、完全に浮足立った敵を森から追い払った。
その戦いは、さほど特筆するようなものではない。
脇目も振らずに逃げていく敵を圧倒していった先で、ラッツィンガー砲兵中隊による戦果―――めちゃくちゃになった対戦車砲陣地を横目に、勢いのままガンガン攻め上がり、彼らは敵の第2線陣地を睨む林縁に至った。
ちょっと派手な場面があったとすれば、第2線陣地の麓にある村の外縁に待ち構えていた対戦車砲により、412号車が一発撃たれはしたが、装甲で弾き返しつつ逆に撃ち返して仕留めたくらいか。
いずれにせよ、この戦いにより連邦軍突出部隊の2個連隊のうち、片方は第1陣の陥落と主力2個中隊の壊滅と言う打撃を受け、残るは第2陣の1個中隊となけなしの機甲戦力予備部隊のみとなった。
数日後。
その立役者として412号車が―――クラリッサ・ラインフェルトが果たした役割を耳にして、エルネスタ・フォン・オーフェルヴェークが珍しく上機嫌な高笑いをし、彼女の報告を受けた女性の権利拡大を企図する政治家たちが歓喜に沸いたのは、無論言うまでもない。
第12章 死告天使の輪舞 了




