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死告天使の輪舞 4

―――敵もやるわね、でも、ここからが勝負よ!!


 自らを鼓舞するように、胸の内でマイヤは叫んだ。


 あのチーグルは、自分たちに構おうとすれば、第2線陣地の丘に側面を晒す。

 降り注ぐ大量の砲弾を目撃したことで、そこを心理戦に持ち込むという作戦は封じられたことをマイヤは直ちに理解した。

 

 だが、何も彼女はそれだけに頼ってこの突撃を敢行したわけではなかった。


 ”かのチーグルは危険地帯から退避するためには停車できないという弱点を突く”という、彼女には次善の策があった。


 それは、命中精度だ。


 走りながらの射撃―――すなわち行進間射撃というものは、後世のコンピュータによる照準補正を搭載した主力戦車ですら、乗員には相応の技量を要求する高等な技術である。


 まず砲手は、揺れる車内で敵を照準しなくてはならない。

 揺れるのは砲手の視界だけではない。

 弾を吐き出す砲身そのものだって、長ければ長いほど、当然ぐらぐら揺れるのだ。

 ましてや、コンピュータによる補正も、高度なセンサーによる手助けもないこの時代の戦車である。走りながらの射撃は、撃つ事そのものこそできるにしても、命中させるとなるとまさに神技の領域だ。


 操縦手にも技量が必要だ。

 砲手と戦車の性能を考慮して速度を一定に保ちつつ、さらに地面の起伏などの射撃するにあたって邪魔になる要素を排除できる経路を選ばねばならない。

 速度が早すぎれば照準を困難にするのは当然だが、かと言って遅すぎると今度は履帯の構造―――無数の板を連結している形状であるが故に、1枚1枚が地面に接する際のスムーズさが失われ、揺れが増えてしまう。

 当たり前だが、できるだけまっすぐかつ一定速度を維持して走らなければ、砲手の照準リードが狂う点も重要だ。


 装填手にも技量がいる。

 後世に見られる自動装填装置ではなく装填手による装填の場合、当然走行によって揺れる車内で重量物を取り扱う装填動作は困難を極める。

 まして、長砲身の本格的対戦車戦を考慮された戦車砲の砲弾なんて、大きさも重さも到底片手でどうこうできる代物ではない。


 もうこの時点で乗員に求められるハードルはかなり高い。


「通信手、伝達して!! アスタホフ曹長は左へ!! 私とイヴァンは右に!!」


 3両のT-34がより大きく散開、これは相手に対し選択を突き付けたといえる。


 左に回る1両を無視した場合、右の2両に対処している間に接近される。

 当然、右から回る2両も団子になるわけではないので、この時点でどうしても2両を潰すのに時間がかかる。

 生き延びた残り1両が接近できる可能性は高い。


 逆もまた然り。

 仮に左からくる1両を先に倒しても、右から回る2両が散開しながら迫るため、結局最後の1両にまで照準が向くのは時間がかかる。


 そして、隙を見て、狙われていない戦車が度々停止して、しっかり狙いを定めて射撃する。


 捨て身の戦法ではあるが、そうでもしなければチーグルは倒せない。

 まさに怪物。

 当代最強の名にふさわしい、まさしく戦車の王者。

 だが、怪物とて超常の力に守られた存在ではない。


―――走りながらの射撃なんて早々当たらない。そして貴方は早々止まれない。私達は止まれる猶予がある。加えてそれだけの長い砲身。止まったからと言ってすぐに撃てるものでもないわ。この勝負、私たちの勝ちよ!!


 彼女がほくそ笑む間にも、低速ながら走り続けるチーグルの砲塔が旋回し始めた。


 狙いは――――



―――確かに理屈はその通り。ですが、先に短時間で1両を仕留めれば、2両の方向に側面を晒す時間は最小限になる。


 3両の動きを見ながら、クラリッサは冷たい瞳で敵の動きをしっかり見ていた。

 既に砲塔旋回は始まっている。


―――それにこちらには、切り札がある。



「曹長が狙われてるわよ!! 小隊各車、射撃開始!!」


 撃破狙いというより、その被弾の衝撃によって狙いを狂わせ、あるいは乗員たちの気を散らせることで味方を守ることを目的とした行進間射撃。


 しかし当然というべきか、その第一射目の射撃はチーグルの手前の土砂を吹き飛ばし、あるいはその近くを掠めすらせず通り抜けていくにとどまる。


「砲手再装填!!」


「了解!! 装填よし!!」


 がしゃん、と閉鎖機が閉まる音。


「操縦手止まれ!!」


 次は当てるつもりだ。


 T-34が急ブレーキで止まり、その揺れが収まってから、パグロウ少尉は狙い直して再度発砲。

 チーグルの車体前面に命中するも、当然のようにその砲弾は弾き返されてしまい、次の瞬間には、チーグルが走りながら発砲したのが見えた。 


「曹長は無事!?」


「はい、外れました!!」


 覗き穴から様子を確認した装填手が叫んだ。


 そら見たことか。

 停車して狙われているなら絶望的だったろうが、走りながらの射撃であるならば―――


 照準器の視界の中で再びチーグルが発砲。

 今度は急停車しながらだ。


 止まりたい気持ちはわかるが、無駄なことを。

 それとも焦ったのか?

 戦車が大きく揺れながら撃つ様は、明らかに照準の難易度を跳ね上げている。

 そんなのが早々当たるものか。

 パグロウ少尉がほくそ笑んだその時だった。


「……は?」


 聞こえてきたのは装填手の呆然とした声だった。


「どうしたの同志!! 早く次弾を装填しなさい!! ぼさっとするな!!」


 自分たちが射撃をやめるということは、同志曹長を狙う敵弾の命中率が上がることを意味する。


 照準器から目を離し、相手を直接見て、味方を殺す気かと叫んだ彼女に装填手はすぐに答えなかった。


「何をしているの!! 早く装填を―――」


 次の瞬間車内で鳴り響くのは釣り鐘を打ったかのような騒音と気分が悪くなるような衝撃。


―――被弾!?



 しまった、第1線陣地を占領した敵の攻撃か?

 歯をくいしばって耐えながら、再び照準器を覗いた彼女が見たのは、


「……え?」


 こちらに砲身を向けつつ、左に車体ごと旋回することで、こちらに対し改めて車体の角度を斜めとなるように取らんとしているチーグルの姿だった。


 つまり、アタホフ曹長のT-34は、最早狙われる価値が無くなったということ―――それは明確に、1両で反対方向に逸れて行ったアタホフ曹長のT-34が、ろくに時間を稼げずに瞬殺された事実を示していた。



「ば、馬鹿な―――」


 イヴァン・ユージン軍曹は確かに目撃した。


 アタホフ曹長のT-34に対するチーグルの2射目は、停止して前につんのめるような姿勢になるとほぼ同時に射撃した。


 躍進射撃における超高等技術、最速の早撃ち。

 

 停止したことによる反動で、車体が前につんのめるような態勢となったその瞬間―――いわば砲身を含めた戦車の全身の”たわみ具合”が極限状態となって、ある意味ではあらゆる揺れが静止状態に近い状態となったその瞬間を捉えて射撃する神業だ。


「そ、曹長……アスタホフ曹長……」


 一見すれば無謀な態勢、しかしその実態は極めて計算され尽くした姿勢でチーグルが放った第2射目は、アスタホフ曹長のT-34の前面装甲に直撃した。


 その一撃は容赦なくT-34を撃ち抜いて弾薬庫に直撃。

 大爆発が起き、その砲塔は天高く舞い上がったのちに地面へと落ちたのである。


 偶然のラッキーヒットで片付けることは許されなかった。


 この相手はその曲芸じみた躍進射撃ができるのだと、本能で理解した。


――それになんだ!? あの動きは!?


 巨体のくせに、異様に車体が旋回するスピードが早すぎる。

 IV号戦車やⅢ号戦車、なんなら強敵パンターをも討ち取ったことがあるパグロウ小隊だが、あんなのは見たことがない。


 T-34を始め、大半の戦車は履帯の片側をブレーキして旋回する信地旋回ができる。


 しかし、チーグルの動きは明らかに違和感があった。


―――まさかあいつ、その場で旋回できるのか!?


 その正体は、左右の履帯がそれぞれ逆方向に回ることで、その場で旋回する動き―――超信地旋回。


 後世から見れば、別に驚くようなものではないと思うかもしれない。


 だが、この超信地旋回なんてものは、実はそもそも搭載している戦車の方が、少なくともこの世代では圧倒的に少ないのだ。

 

 履帯が切れる危険などを始めとして、足回りには相応の負担が掛かる。

 地面をかなり抉ることから、地質次第ではスタックの可能性も上がる。

 これらのリスクから、できるだけ避けたい挙動という一面もある。


 しかし、リスクはあれども厳然たる事実として、ティーガーは同世代では希少な超信地旋回の機能を持ち、T-34を上回る瞬発力で車体ごと旋回できる。

 そして連邦製の戦車には、超信地旋回できる戦車自体がない。

 なんなら、超信地旋回という言葉そのものも、概念も知らない。


 連邦が保有する戦車で唯一の例外があるとすれば、開戦当初に西方戦線で帝国に惨敗し、しばらく本国に引きこもっていた西の島国から支援として供給されているチャーチル歩兵戦車だ。

 最高時速20kmと言う、戦車としてはかなり鈍足となった欠点と引き換えに、そんじょそこらの対戦車砲弾は鼻で笑いながら弾き返す重装甲。

 速度はかなり遅くとも、歩兵が行けるところならどこでも行ける、他の戦車が絶対に行けない地形もずんずん走ると評されるほどに突出した走破性。

 その2点に特化したかの戦車は、確かに超信地旋回が可能だ。

 だが、生憎ユージン軍曹はその戦車を見たことがない。


 左右の履帯の逆回転と言う理屈を説明されれば、別に悩むまでもなく"ああ成程"となるだろうが、ユージン軍曹が驚いたのも無理はないのだ。


――まずい……


 車体を斜めに傾け、砲身はこちらに向けたチーグルが走り出す。

 第2陣の丘における対戦車砲の射線上から逃れるために。


 それはこちらにとって、まさに計画通りのはずだった。


 だが、敵乗員の尋常ならざる驚異的な練度と、それにいくらでも応え得る圧倒的戦闘性能が合わさった結果、T-34小隊が得られるはずだったアドバンテージなど初めから存在しなかった。


―――くそ、マイヤを、マイヤだけはやらせてたまるか!!


 愛する女の笑顔が脳裏を過り、男は絶叫するように命じる。


「同志装填手!! 死にたくなかったらさっさと装填しろ!!」


 我に返った装填手が徹甲榴弾を装填。

 チーグルの車体に照準、発射。


 命中、しかし前面装甲に火花が散るのみ。

 自分の戦車を追い抜きながらパグロウ少尉が放った一撃も、あっさり弾かれたのが見えた。


 次弾装填。


「操縦手止まれ!!」


 今度は躍進射撃。

 急停車の揺れが収まってから、狙いを操縦手バイザーへ。

 発射。


 しかし、駄目だ。

 大砲や銃には散布界と言うものがある。

 完璧に同じ条件を整えて撃ったとしても、どうしても弾着は一定の範囲で散ってしまう。

 それをどれだけ抑えられるかが命中精度であり、技術屋たちの腕の見せどころだが、所謂ワンホールショットは偶然を除いてまずできない。

 これは、技量の話ではない。

 物理的にそもそも不可能なのだ。

 そして、そもそも連邦の戦車は、そこまで極端な命中率を期待して作られてはいない。


―――だが、間もなく射距離は500mを切る!!

正面装甲と言えど、何かしらのダメージは……


その時だった。


 チーグルの車長用ハッチから―――おそらく状況確認の為であろう―――敵の車長が顔を出した。


「ッ!!?」


 ぞっとするとはまさにこのことだった。


 顔を出したのは、クラッシュキャップを被り、銀色の長い髪を持つあまりに美しい女だった。

 精巧に作られたお人形を思わせる、まるで作り物めいた絶世の美貌。

 気品を感じさせる上品な立ち振る舞いをすることが容易に察せられる、静謐な性格が滲み出た無表情。


 血と硝煙、暴力と絶叫、そして死の支配する戦場にはあまりに似つかわしくないその女は、当初パグロウ少尉のT-34の方向を一瞬確認し、そしてその顔がこちらに向いた。


 そんなはずはないのに、照準器越しに相手と目が合った気がした。

 クラッシュキャップのひさしの下から覗くその瞳に射竦められたかの如く、いつの間にかユージン軍曹は主砲を撃つことすら忘れて凍り付いていた。


「ど、同志軍曹!! どうされたのです!?」


 彼が装填手に呼びかけられて我に返った次の瞬間だった。


 チーグルが走りながら主砲を発射した。


 風の知らせとでもいうのだろうか。


 ユージン軍曹の額から、冬だというのに滝のように汗が流れ始めた。


 しかし、理性は彼を落ち着かせるべく叫んでいる。


 大丈夫だ。

 当たるわけがない。

 だって、アタホフ曹長のT-34相手にも外していたじゃないか。

 T-34側だって、行進射はチーグルの巨体に当てるのすら大変なんだ。

 あんなに砲身が長いチーグルなんて、尚の事―――


 でも、もう一つ―――冷静な戦士として、彼は一つの事実に思い至っていた。

 自分はさっき、なんて思った?

 自分で考えたじゃないか。


 戦い始めた時より、遥かに射距離が短くなったと。


 それに何より―――




 仮にマイヤのT-34が健在であるならば、なぜ、照準器の向こう側では、チーグルの砲塔がこちらを狙うべく旋回を始めている?





「装填手……同志少尉は……マイヤは……無事か?」


 再び、敵の車長が顔を出した。

 "何か"を冷たく一瞥してから、その顔と視線が明確にこちらを見た。


 異質な色彩の長い銀髪が、戦場の風に揺れている。


「……」


 装填手が何も言わずに絶句している。

 もうそれだけで十分だった。


 クラッシュキャップの庇から覗く、精巧なお人形のように作り物めいた顔。

 照準器越しの相手は、明確に"自分"を見ていて、近付いたものを暗闇に引きずり込む、底知れぬ深海のように濁った不気味な瞳が物語る。

   

 そこには、戦いのスリルへの高揚も、命がけの必死さも、敵への嘲りもなければ、同情や敬意の類も、恨みや怒りもない。


 路傍に転がっていた石を蹴ったとて。

 服についた埃を一つ払ったとて。


 その行為に特別な意味などあろうはずもなく、そんなものでいちいち心を動かす者はいないのだ。

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腕前もさることながら、車両にガタが出始めているにもかかわらず、運転に支障なく応えてくれる幸運も含め、まさに英雄だと感じました
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