死告天使の輪舞 3
<<フェヒター4視界不良、制圧射撃を受けている!!>>
「くっ……小隊各車、一時退避!! 操縦手、後退用意!! 後へ!!」
ヴォルフのティーガーが後退を始める最中にも、その周辺では次々に降ってきた砲弾が炸裂し、それに紛れた煙幕弾による煙が周囲に立ち込める。
多少のことなら踏みとどまる覚悟ではいたが、これでは、クラリッサのティーガーを支援することは物理的に不可能だ。
視界不明瞭な中でうっかりティーガーをぶつけないよう慎重に誘導しながらヴォルフは無線で呼びかける。
「フェヒター2、小隊からの支援射撃は不可能!! 聞こえるか!?」
必死の呼びかけに答える声はない。
どんなに目を凝らしても煙幕の向こうが見えない。
―――まさかやられたのか? いや、俺が部下を信じなくてどうする!!
ヴォルフは奥歯が砕けるのではないかとばかりに歯を食いしばりつつ、祈るように心の中で呼びかける。
―――頼むラインフェルト少尉、無事でいてくれ!!
●
味方が制圧した筈の丘を凄まじい弾幕射撃が襲ったのはクラリッサからも見えていた。
彼女のティーガーは集中砲火の衝撃によって無線アンテナ周りが破損しており、外部との通信が一切不可能という状況に陥っていた。
車内通話こそまだ問題ないが、そちらも雑音が時折発生している。
また、弾薬ラックが一部衝撃で破損していた。
三発の砲弾がゴロゴロと床の上を転がったのを、今は装填手が抱え込むようにしてなんとか抑えつつ、既に空になったラックになんとか押し込もうと奮戦している。
防弾ガラスの類も程度の差はあれど、ひび割れが発生していないものはほとんどなかった。
ついでに車体機銃は部品が破損し、現在部品交換による応急修理中につき射撃不可。
砲塔の旋回こそまだ異常なしだが、仰俯角については何やら異常が起きつつあるらしく、動きはするものの途中で引っかかるような様子を見せることがあった。
相応に無理をさせてしまった結果、転輪にも相応にガタが来始めているらしい。
振動の具合が、普段の乗り心地よりも若干酷く感じられつつある。
車内にいるクラリッサたちには正確に把握しようがないが、外観の話で言えば無線のアンテナはへし折れ、右側のフェンダーは全て吹き飛び、砲塔側面などに装甲板代わりに貼り付けていた履板を始めとする付属品の数々も、そのほとんどが行方不明になっていた。
いかにティーガーが頑丈と言えど、敵弾の貫徹こそ許さず乗員を守っているとはいえ、やはり機械的な限度というものは存在する。
「……来ましたか。砲手、砲塔旋回左、西の森にT-34が2―――いえ、3両」
クラリッサの視線は逃げ込もうとしていた森正面へと向けられていた。
視線の先では、3両のT-34が丁度林縁に姿を現した所だった。
後ろの丘は、平原を挟んでの撃ち合いで手一杯。
戦車への対処は当然、自分たちでしなければならないだろう。
だが、彼らと対決するべく旋回すれば、奥側の丘の敵に側面を完全に晒してしまうことになる。
―――無線が生きていれば、砲兵隊と迫撃砲の状況が分かりましたが……
奥側の丘を目潰しできればどうにかなるかもしれない。
だが、今この瞬間に味方がどういう配置で何をしているか、クラリッサには知る方法がない。
射撃可能だとしても要請する手段がなく、そして今からすぐに撃ってくれと言ったとしてもそれが実現可能かはわからない。
―――我ながら、無茶が過ぎましたか。
傍から見る限り、まるで他人事のようにクラリッサは平静だった。
その毅然とした姿があるからこそ、乗員たちはこの状況下においても全員が冷静だった。
そして、その平然とした様子に違わず、クラリッサの頭脳はあくまでも現状を如何にして切り抜けるかをただひたすら計算して行く。
―――最悪一旦停止して後退しながら戦う……速度が大幅に落ち、今以上に集中砲火を受ける中、どこまで下がれるか……
砲塔から射出する発煙弾で誤魔化しながらになるだろうが、それだけで逃げ切れるだろうか。
少なくとも反転回避はやめておいたほうがいいだろう。
エンジン周りがやられたらどうにもならない。
クラリッサがリスク承知でシュピーラーに停止と後退を命じようかと考え始めた、その時だった。
「……!!」
奥側の丘に、数発の煙弾が撃ち込まれるのが見えた。
物凄い勢いで、立て続けに撃ち込まれる煙弾は、ティーガーのものではない。
ティーガーの8.8cm砲に煙弾はないからだ。
煙弾を主砲から撃てるのは、Ⅲ号突撃砲とIV号戦車やⅢ号戦車―――
―――……。成程、ヴァルター中隊長とトラレス中尉ですか。
自身はティーガーに乗るが、Ⅲ号突撃砲を直接率いているヴァルター中隊長。
一方でトラレスは、第4中隊の第2小隊―――Ⅲ号戦車の小隊を率いて、小隊長代理として隣接部隊の支援に加わっていたはず。
敵陣陥落と状況を鑑みて、敵を制圧したトラレスの小隊も来てくれたのだ。
味方の弾幕射撃を要請し、それに乗じて東の森へと駆け抜ける―――それこそが、彼女が当初思い描いていた計画。
頭を切り替えたクラリッサは、突進してくるT-34の小隊を見つめる。
―――こちらの悩みは、当然読まれていますね。
正確に狙うためにこの場で停車したいが、一刻も早く現在地から退避したいのも事実。
敵戦車を潰さぬことには接近戦に持ち込まれ、いかにティーガーと言えど撃破されかねないが、だからといって何が潜んでいるか分からない奥側の丘には、あまり側面を向けたくない。
―――ティーガーの装甲を容易に抜ける敵が居たなら、413号車はとっくに狙われていた筈。413号車が撃破したズヴェロボーイ1両は居ましたが、あれ以降それに類する敵が見当たらない。そして今まさに、このティーガーにそのような敵が攻撃してきていない。そこは少なくとも当面、心配しなくても大丈夫だとは思いますが……
そう言ったこちらの心理を突いたその突撃は、一見無謀なようで相応に理に適っていた。
―――……敵対戦車砲の攻撃自体が少しずつ激しさを失っている。炙り出しの意図を読んだとするなら、むしろ好都合ですね。
「操縦手、T-34に正対。砲手、敵のT-34を引き続き捕捉。目標は―――」
●
クラリッサのティーガーが方向を変換し、側面を晒し始めた時、いくつかの対戦車砲はそれをどうにか視界に捉えてはいた。
いくらⅢ号戦車やⅢ号突撃砲、そして砲兵隊の煙幕弾を含んだ支援砲撃が目潰しとして強力とは言え、すべての連邦兵の視界を奪えるかというと、当然必ずしもそうではない。
いくつかの陣地は、まだ煙に完全には覆われていない。
元から緊急時に急遽要請した射撃である上に、全ての陣地を完璧に捕捉するなどは不可能だ。
だが、彼らは直ちにそれを撃つことができなかった。
「は、班長!! チーグルが側面を見せています!! 撃ちましょう!!」
「待て!! 射撃中止命令が下ったばかりだ!! 本部に確認を―――くそ、さっきの伝令どこに行った!?」
「しかし、このままじゃ射角外に……ああっ、逃げられた!!」
ある班ではちょうどその直前に射撃中止の命令が来たがばっかりに機を失い、
「何をしている、早く動かせ!!」
「くそ、動け!! 動けこの!!」
それまでの戦闘の余波で砲そのものが破損してしまっているせいで照準ができず、あるいは砲の向きを変えることができず、あるいは人員は全員無事でも肝心の砲自体が完全に破損してしまったせいで何もできずに終わり、
「目標照準よし!!」
「撃――ぐわあああああっ!?」
「足が!! 俺の足がああああああああ!!」
「ファレエフ!! おいファラエフ!! しっかりしろ!!」
露天陣地、あるいは即席で撃てる位置に配しただけの対戦車火器がいかに脆いのか。
それを知らしめるがごとく、独自判断で今まさに射撃しようとしたその直後に、上から降ってきた砲弾によって運悪く吹き飛ばされたり。
そして。
第2陣の東側の対戦車砲陣地においてさらに悪かったのは、配備されていた兵士たちである。
そこに配備されている人間は、正規兵ではなく、ほぼ全員が近隣の村や町から無理矢理引っ張ってきて動員されたような兵士たちだった。
この丘の一帯に元から住んでいた人々も含む彼らは、反乱の恐れから銃を持たせるわけには行かない使い捨ての連中だった。
しかも、つい先程に政治将校がやってきて、別命なければ対戦車砲を撃つなという命令が下ったばかり。
拳銃片手に陣地を見て回る3人の政治将校から命じられた以上、彼らは忠実に発砲していない。
だが、さっきまでこちらに正面を向けていた化け物戦車が向きを変えた。
これはどうすればいいのか?
例えば、とある対戦車砲の陣地では、4人の男たちが顔を突き合わせて混乱していた。
「お、おい、これ撃っていいんじゃないのかよ!? 戦車は側面が弱いんだろ!?」
「だが、政治将校たちは撃つなってついさっきに……」
年齢61歳、この丘の村の住民だった男性ローペ・リンコは、偶然チームを組むことになった男性の一人―――隣村から連行されてきた47歳の男性―――に対し、慌てて首を横に振って反論した。
「なら、東の森に向かわされた連中には死ねってのか!? 戦車が突っ込んでくるのをさせるがままにして!? あそこには俺の息子が―――」
「でも、下手に撃ったらそれこそ俺たちが政治将校に撃ち殺されちまうよ!!」
他の2人の中年男性も、隣村から無理矢理に連行されてきた男たちだった。
彼らが相応に軍事訓練を受けた身であれば、たとえ射撃命令を受けずとも独自に判断して、勝機と見れば射撃するといった行動に出れただろう。
そうでなくても、せめて上司が拳銃片手に脅してくるような連中でなければ自身の生存のために射撃するかもしれない。
しかし、そうはならない。
彼らは所詮素人に毛が生えたようなレベルで、対戦車砲の撃ち方と狙いのつけ方、装填要領すらも、どうにかつい数日前に覚えたという程度。
誰かの言うことに従えはしても、まして"勝手なことをするな"と政治将校に殺されるかもしれない状況下、自分たちで判断するなどできるわけもなかった。
それでも、恐慌状態に陥った一つの班が命令を待たずして射撃した。
碌に狙いも定めず放たれて飛んでいった弾は、戦車の足元の雪を巻き上げただけ。
続いて放たれた2射目は、砲塔を掠めただけだ。
無理もあるまい。
戦車砲射撃とは、どこまで行っても狙撃銃による狙撃と同じ職人芸。
対戦車砲も結局は戦車砲と仕組みが同じ以上、使い方だけが分かった所で、出来ることは"弾を撃つこと"であって、"狙って当てる"のは全く別の話だ。
むしろ、掠めるようだろうが、2発目で至近弾を出せただけでも大したものだ。
「誰だ!? どこの班が撃った!?」
困惑しながらローペは冷や汗を流す。
ついさっきまで撃つなと言っていた癖に、いきなり"なぜさっさと撃たない!?"などと銃口を向けて来かねないのが自分たちの支配者だ。
もう何を信じればいいのだろうか?
「俺達は撃たなくていいのか!?」
「そんなの、俺に聞かれてもわからねえよ!!」
あるいは、指定した砲が撃ったら他の者も撃つという命令を事前に徹底するといった方法もあったろうが、そういった処置対策をする前に戦闘が始まってしまった。
故に、誰かが独自判断で撃ち出したとしてもこの有様である。
この場にいる誰も知りようがない答えを求めて、彼らは終わりのない論争を続ける。
ただ、そうこうしている間に最初の一撃を放った班に触発されて撃ち始めた班もあった。
かすりもしない、あるいは雪を巻き上げるだけ、もしくは運よく当たるが装甲に阻まれつつも、沈黙しようとしていた対戦車陣地の一部が、良いか悪いかはさておき交戦の意思を見せ始める。
「う、撃とう!! 俺たちも!!」
すぐ隣にいた班が撃ち始めたのを音で認識し、名前も知らないチームメイトの一人が叫んだ。
「いや、でも……」
「もうやるしかねえだろ、畜生!!」
悪態をついたチームメイトの一人に頷きつつ、ローペは弾薬箱から徹甲弾を手に取る。
何度も練習させられたことで、徹甲弾を榴弾と間違えたりすることはなかった。
こうして、この班もようやく射撃―――とはいかなかった。
発砲炎を頼りに、平原を走る戦車ではなく、敵に奪われた丘にいた戦車―――ティーガー414号車が榴弾で反撃した。
よりによって吹き飛ばされたのは、派手に撃ち始めていた、彼らのすぐ隣の班だった。
爆発の衝撃と轟音、降り注ぐ泥の雨。
原型を留めず、滅茶苦茶になった対戦車砲。
冗談のように空を舞い、地面に叩きつけられる見知った人間たち。
それは、対戦車火器が敵に居場所をバレると何が起きるかという恐怖を問答無用で植え付けた。
素人の彼らでもわかる。
発砲による光が、敵の反撃を自分たちに導くのだと。
それが益々、第一射目を撃つことを躊躇わせる。
「ドナート……ドナートぉ!!!」
片手片足を失いながら吹っ飛んできた人間の残骸に、班員の一人が血相を変えて駆け寄ろうとする。
それがもはや無駄な行為だと頭のどこかでは理解しながらも。
直後、拳銃の銃声が響き渡った。
背中を撃たれて倒れ伏す、死んだ同胞に駆け寄ろうとした動員兵士。
愕然とする彼らが振り返れば、顔を興奮で真っ赤にした政治将校の一人がいた。
「あ、あんた、なんてことを!!」
「うるさい!! 逃げ出す臆病者は、我が軍に必要ないのだ!!」
こいつは何を言っているのか?
目の前で傷ついた仲間に駆け寄ることすら許されないのか―――否、無いのだ。
そんな"人間として扱われる権利"など。
たとえそれが如何なる理由であろうと、先祖が決めたことで自分たちに選択の余地がなかったとしても、理不尽を受け入れ、武力でも政治でも戦うことをせず、隷属の道を歩んだ彼らの民族には。
ローペの抗議を押さえつけるが如く、ほとんど絶叫するような声。
恐らくは政治将校当人も、死への恐怖と戦っているだろう金切り声とともに、拳銃が男たちに向けられる。
「お前らの糞虫仲間が許可なく撃ったことは許してやる!! 敵戦車が隙を晒したからな!! さあ戦え!! 戦うんだ!!」
そうこうしている間にも、またしても対戦車砲が一門吹き飛ばされた。
「ここであのチーグルを仕留めれば勲章ものだぞ!! 早く撃て!!」
ちっとも心に響かない、"魅力的な未来"を熱く語って見せる政治将校。
一方、彼らがやり取りをしている間に度重なる被弾を受けても、ティーガー412号車が止まる気配はなかった。
この丘に配備されているのは、M-42 45㎜対戦車砲。
その徹甲弾の貫徹性能は、500mで最大61mm。
ティーガーは側面すら80mmの装甲板だ。
Ⅲ号戦車やⅣ号戦車相手ならば一番硬い前面装甲すら撃ち抜けても、ティーガー相手ではまるで歯が立たない。
素人である彼らにはそんな情報知りようがないが、それでもガンガン弾を弾きながら走り回る様は、"俺たちの攻撃はあいつに全く通じてないのではないか?"と疑念を植え付けるに十分過ぎる。
貫徹できない以上は着弾の衝撃で内部の機器が何かしら破損するのを祈って撃つしかないわけだが、当然その間にも他の戦車や自走砲が反撃し、砲兵隊も雨霰と火力を向けてくるので、そう言う意味でも分が悪いとしか言いようがなかった。
「ッ!? おい貴様ら!! 逃げるな!!」
どこか別の班から逃げてきたのだろうか。
恐慌状態に陥って逃げ出そうとする2名の動員兵士を偶然目撃し、政治将校は怒声を上げながら反射的に拳銃をそちらに向ける。
そのうちの一人は、まだ年端も行かぬ子供だった。
だが、政治将校は真の意味では理解していなかった。
或いは、相手は銃を持たず、自分は銃を手にしているからと油断し、目を背けていた。
互いの信頼関係ではなく、銃口を向けて言うことを聞かせるという行為。
それが孕んだ、絶大なリスクを。
拳銃を向けられた少年は、平和だった頃、ローペの家の近所に住んでいて、歌が好きなローペが歌う民謡を楽しそうに何度も聴いてくれていた子供たちの一人だった。
妻に先立たれ、子供がいなかった彼にとって、我が子、或いは孫同然の一人だった。
対戦車砲陣地のすぐ傍らに置かれていた、1本のスコップ。
今まさに自身の背後で、小さな命を救うため、初老の男が必死の形相でそれを大きく振りかぶったことに、政治将校はついぞ気づくことはなかった。




