第八話 切り札
翌朝、バロックが動いた。
予想より、ずっと早く、ずっと汚い手で。
村人を広場に集めさせ、自分は家の前の高い段の上に立った。見下ろす位置。それだけで、力関係を思い出させる演出だ。さすが、二十年この村を握ってきただけはある。
「ゆうべの集まりのことは、聞いている」
バロックの声は穏やかだった。穏やかすぎて、寒気がした。
「お前たちは知らんようだから、教えてやろう。村長に逆らうということは、村長を任じた領主様——ザイン・ドレス男爵様に、逆らうということだ」
村人たちの顔が、こわばった。
「つまり、ゆうべの集まりは、男爵様への反逆だ。わしが一筆書いて送れば、兵が来る。村は焼かれ、お前たちは反逆者として縛り首だ」
しん、と広場が静まった。
ゆうべの熱が、潮の引くように消えていく。
恐怖。それが、バロックの本当の武器だった。
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俺は、村人の後ろで舌打ちしそうになった。
まずい。これはまずい。
バロックの言っていることが本当かどうか、俺には判断できない。
この世界の法律を、俺は何ひとつ知らない。村長の権限がどこまでか。領主への「反逆」がどう裁かれるのか。村に抵抗の権利はあるのか。——全部、未知だ。
ゲームで言えば、ルールブックを一度も読まないまま、対戦卓に放り込まれたようなものだ。
俺の「メタ読み」は、ルールを知っていて初めて使える。ルールそのものを知らなければ、ただの素人だ。
ハロルドを見た。彼も、言葉に詰まっていた。覚悟はある。でも、法を相手に戦う武器を、彼も持っていない。
このままでは、ゆうべ灯った火が、たった一晩で消える。
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その時、村人の列の後ろから、ゆっくり進み出る者がいた。
クラウスだった。
「……バロック。ひとつ、訊いていいかな」
古老の、しわがれた声。だが、不思議とよく通った。
「お前さんの言う『反逆』。それは、グレイン王国法の、どの条項のことかね」
バロックの眉が、ぴくりと動いた。
「……何だと」
「地方統治令、第十二条。村長は領主の代理人として徴税を行う。だが同じ条の但し書きに、こうある」
クラウスは、淡々と続けた。
「『村長が私的に徴収を加増したる場合、村民は領主に対し、直接の査問を請願し得る』——とな」
「つまりじゃ。ゆうべの集まりは『反逆』ではない。『正当な請願の、準備』じゃよ。法に、ちゃんと書いてある」
俺は、息を呑んだ。
この爺さん……法を、丸ごと暗記している。
元・王都の官吏。村に流れ着いた、訳ありの老人。眠っていた知識が、今、牙を剥いた。
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ハロルドが、顔を上げた。失っていた言葉を、取り戻していた。
「バロック。あんたの取り分は、五年で二割から四割に増えた。記録が、ここにある」
俺が集めた、五年分の徴税記録。ゆうべは村人を動かせなかった数字が、今度は、別の意味を持つ。
「これは『加増』だ。なら、俺たちには男爵様へ査問を請願する権利がある。あんたの言う通り、男爵様に判断してもらおうじゃねえか。——どっちが裁かれるか、な」
バロックの顔から、穏やかさが消えた。
切り札だったはずの「反逆」が、そっくりそのまま、自分に返ってきたのだ。
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俺は、内心で唸った。
俺が記録を集め、ハロルドが村人に語り、クラウスがルールを示した。
三人で、やっと一手。
俺一人なら、ルールを知らずに詰んでいた。ハロルド一人なら、武器を持てずに潰れていた。クラウス一人なら、動く理由がなかった。
……人は、足りないものを、持ち寄る。
当たり前のことが、また一つ、腑に落ちた。
ただし、楽観はできない。
「男爵様に請願」——その男爵、ザイン・ドレスが、まともな領主なら、の話だ。
もし男爵自身が腐っていたら? 請願は握り潰され、村は本当に焼かれる。
この村の問題は、村の中だけじゃ、終わらない。
その予感だけは、嫌になるほど、はっきりしていた。
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その夜。
クラウスの家の戸を、ヴァルガが叩いた。村外れの宿にいた、あの流れ者だ。
「旦那。妙な連中が、村に近づいてる。十人前後。——武装してる」
俺の背筋が、冷えた。
バロックは、法では勝てないと悟った。だから、法より早い手段を選んだ。
——力だ。
請願が男爵に届く前に、火種ごと、村を黙らせるつもりだ。
法廷は、明日。だが、ならず者は、今夜来る。
俺は、エルナのステータス画面を、頭の中に呼び出した。
ここからは——俺たちの出る幕じゃない。エルナの出番だ。




