第七話 風が変わる
ハロルドが村人に呼びかけたのは、その三日後だった。
動くと決めてから、彼は無口になった。たぶん頭の中で、何度も言葉を組み立てては壊していたんだと思う。
俺は、できる手伝いをした。といっても、戦えない俺にできるのは、設計だけだ。
「徴税の記録を、過去五年分集めました。バロックの取り分が、年々増えてる。数字で見せれば、村人も納得します」
羊皮紙に整理した数字を、ハロルドに渡す。
前世のプレゼンと同じだ。感情論じゃなく、データで示す。論理で相手を動かす。それが、俺の知っているやり方だった。
ハロルドは紙をじっと見て、頷いた。
「……わかった。これで、話してみる」
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夜、村の広場に、二十人ほどが集まった。
久しぶりに人の集う広場は、それだけで少し、空気が違って見えた。
ハロルドは、俺の用意した数字から話し始めた。
「五年前、バロックの取り分は収穫の二割だった。それが今年は、四割だ。記録が、ここにある」
正論だった。完璧な論理だった。
なのに、村人たちの顔は固いままだった。
誰も頷かない。誰かが、ちらりとバロックの家の方を見た。
……まずい。
俺は、自分のミスに気づいた。
彼らは、数字を知らないんじゃない。知っていて、それでも動けないんだ。怖いから。逆らえば、来月の取り分がもっと増える。下手をすれば、村にいられなくなる。
論理は、恐怖の前では無力だった。
俺のプレゼンは、会議室でなら通用する。でも、ここは会議室じゃない。命のかかった、村の広場だ。
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ハロルドも、それを感じたんだろう。
手にしていた羊皮紙を、ゆっくりと畳んだ。
そして、数字じゃない言葉で、話し始めた。
「……十年前のことを、覚えてるか」
広場が、静まった。
「流行り病で、俺の女房と、娘が死んだ。隣のミナ婆さんも。タルクんとこの子供も。薬を買う金は、村にあった。なのに、買えなかった」
ハロルドの声は震えていた。でも、止まらなかった。
「俺は、あの時、何もできなかった。村長の息子のくせに、ただ見てるだけだった」
「もう、嫌なんだ。誰かが、金や立場のせいで死ぬのを、黙って見てるのは」
誰かが、すすり泣く声がした。
あの病で家族を亡くしたのは、ハロルドだけじゃない。広場の半分が、同じ傷を抱えていた。
「俺は強くねえ。賢くもねえ。でも、もう一度だけ、あんたたちと一緒に、この村をまともにしてえ。……力を、貸してくれねえか」
最初に立ち上がったのは、白髪の老農夫だった。
「……ハロルド。お前の親父さんなら、とっくにそう言ってたよ」
次々に、手が挙がった。
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俺は、広場の隅でそれを見ていた。
俺の完璧な数字は、誰一人動かせなかった。
ハロルドの、震えた、不器用な言葉が、村を動かした。
クラウスの言葉が、また耳の奥で鳴った。「動かさねばならんのは、井戸でも畑でもない。一人の人間の覚悟じゃ」と。
俺は、人を強くする力は持っている。
でも、人の心を動かす言葉は、持っていない。
それを持っているのは——俺が選んだ、この男の方だった。
悔しさは、なかった。むしろ、少しだけ、安心した。
俺一人じゃ、どうにもならない。だから、人に賭ける。
その賭けが、今、当たった。
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その時、視界の隅で、ウィンドウが光った。
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ハロルド・マーシュ Lv1 → Lv2
経験値取得:
・自らの言葉で村人を結束させた(統率・大)
・先頭に立つ覚悟を示した(統率・中)
ステータス上昇(内政系):
INT 18 → 19
VIT 16 → 17
HP 24 → 26
※「統率」系の傾きが芽生え始めています
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伸びた。
剣を一度も振らず、敵を一体も倒さず、ハロルドは強くなった。
人を束ねた。ただ、それだけで。
……ああ、そうか。
経験値の入り方は、その人が「何者になるか」を映す鏡だ。
エルナは、敵を倒して伸びる。ハロルドは、人を束ねて伸びる。
同じレベルでも、伸び方の意味が、人によってまるで違う。
戦わない男が、戦わないまま強くなる道もある。
なんて、面白い世界だ。
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広場の熱が、夜の村に広がっていく。
その時、気づいた。
村で一番大きな家の窓が、また、薄く開いている。
バロックだ。
今度は、笑っていなかった。
窓の内側の暗がりで、その目だけが、じっと広場の灯りを見つめている。
静かな均衡が、今夜、確かに崩れた。
明日から、あの「重し」が、動き始める。
俺は、夜空を見上げた。二つの月が、村の屋根の上に並んでいる。
さあ——バランスを整え時だ。




