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第六話 村長の息子

翌朝、俺はハロルドの畑にいた。

 彼は一人で、固い土を鍬で起こしていた。朝靄の中、大柄な背中が黙々と上下している。

 「手伝います」

 もう一本あった鍬を取ると、ハロルドは少しだけ驚いた顔をして、「好きにしろ」と言った。

 しばらく、二人で無言で土を起こした。

 俺の鍬さばきは素人丸出しで、十分も経たずに息が上がった。前世はデスクワークだ。土なんて、耕したことがない。

 ハロルドが横目で見て、ふっと笑った。

 「旅人。ひどい手つきだな」

 「自覚はあります」


---


 息を整えてから、俺は本題を切り出した。

 「ハロルドさんに、聞きたいことがあって来ました」

 「なんだ」

 「もし、この村を本気で立て直せるとしたら——あなたは、やりますか」

 ハロルドの手が、止まった。

 長い沈黙。鍬の先から、土がぱらぱらと落ちた。

 「……何の話だ」

 「言葉のままです。腐った村長を退けて、徴税を正して、井戸を増やして、畑を変える。村を、まともにする。その先頭に、あなたが立つ気はありますか」

 「俺に、そんな力はない」

 即答だった。でも、目が逸れた。

 力がない、じゃない。力がない、と思い込もうとしている目だ。


---


 「先代の村長の息子だと、聞きました」

 ハロルドの肩が、わずかに強張った。

 「昔の話だ」

 「昔、奥さんと娘さんを亡くしたことも」

 鍬が、土に突き立てられた。鈍い音がした。

 「……誰に聞いた」

 「すみません。でも、知った上で言っています」

 ハロルドは、しばらく黙っていた。やがて、絞り出すように口を開いた。

 「十年前、流行り病が出た。薬を買う金は、村にあったんだ。だがバロックは出し渋った。自分の蓄えを減らしたくない、それだけの理由で」

 「俺の女房と、娘が、最初に逝った。次に、隣の婆さん。その次に、子供が二人」

 声が、低く震えていた。

 「俺は、何もできなかった。村長の息子のくせに、ただの農夫で。薬一つ、買う権利もなかった」

 ハロルドは、土を見たまま続けた。

 「だから、村を出られねえ。出たら、あいつらを置いていくことになる。守れなかった連中を、二度と、同じ目に遭わせたくねえ。それだけだ」


---


 俺は、鍬を置いた。

 「だったら、力を持ってください」

 「持てるもんなら、とっくに持っとる」

 「持てます。俺が保証します」

 ハロルドが、俺を見た。怪訝な目だった。

 その目を見返しながら、俺は心の中だけで、付け加えた。

 ——あなたを、駒としてじゃなく、あなたとして選ぶ。

 昨日、エルナで間違えたことだ。

 今度は、間違えない。

 俺は、ハロルドに意識を集中した。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

対象:ハロルド・マーシュ(48)

職業:農夫

現在のレベル:概念なし

【概念付与:レベル】を使用しますか?

▶ はい

いいえ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 はい、を選んだ。

 ハロルドの大きな体が、薄い金色の光に包まれ、すぐに消えた。

 本人は、何も気づいていない。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ハロルド・マーシュ 付与完了

現在Lv:1

───────────────

HP 24 / MP 7

STR 13

AGI 8

VIT 16

DEX 11

INT 18

───────────────

経験値の主な獲得源:

・村人の統率/もめ事の仲裁

・徴税の交渉/村政の差配

付与可能残数:3 / 5

※対象者には何も見えていません

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


---


 二人目。

 そして、初めて——比べる相手ができた。

 エルナは、彼女の数字の中ではAGIが一番高く、MPが一番低かった。前へ駆け抜ける、刃のような形。

 ハロルドは、逆だった。彼の中ではAGIが低く(足が遅い)、代わりにINTが一番高い。動かず、構え、考える形。

 同じ「人間」でも、偏り方がまるで違う。

 当たり前のことが、初めて、数字で腑に落ちた。

 もっとも、この数値が世間と比べて高いのか低いのかは、二人ぽっちじゃ、まだわからない。

 それでも、ゼロが2人になった。比べられること自体が、小さな前進だった。


---


 付与したからといって、ハロルドが今日いきなり強くなるわけじゃない。レベル1は、レベル1だ。

 経験値を積まなければ、何も動かない。そして彼の経験値は、戦いでは得られない。人をまとめ、村を回し、誰かと交渉する——そういう、地味で、終わりのない仕事の中にある。

 つまり、彼が「村長の仕事」を始めた時、初めて伸び始める。

 変わるべきは、数字じゃない。本人の、覚悟だ。

 俺は、ただそのきっかけを、土に一粒、埋めただけ。


---


 ハロルドが、土に突き立てた鍬を引き抜いて、立ち上がった。

 「……やってみる」

 低い声だった。でも、さっきまでの「力がない」とは、別の声だった。

 「何から始めりゃいい、リョウ」

 初めて、名前で呼ばれた。

 「まずは、村のみんなと、もう一度ちゃんと話すことからです」

 「演説でもしろってか。柄じゃねえ」

 「柄じゃない人が言うから、伝わるんです」

 ハロルドは、ふん、と鼻を鳴らした。けれど、その横顔は、昨日までより少しだけ、前を向いていた。

 俺は、心の中だけで付け加える。

 ——あなたが動き出せば、バロックは必ず気づく。

 村の、静かな均衡が、これで崩れる。

 でも、それでいい。

 バランスは、整えるためにある。一度、壊してでも。

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