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第四話 最初の付与

翌朝、村に来たのは森のモンスターではなく、盗賊だった。

 昨夜のあの咆哮が何だったのか、結局確かめる暇はなかった。

 俺はクラウスの家の窓越しに、広場に乱入してくる五人組を見ていた。

 粗末な革鎧、農具程度の武器、痩せた馬。

 本格的な武装ではない。だが、農民相手には十分すぎる戦力だ。

 恐怖で頭が真っ白になる——前に、職業病が勝った。

 こいつら、配置がテンプレすぎる。

 リーダー格が一人、前に出て威圧。残り四人は左右に展開して退路を塞ぐ。

 前世で作った『エルクロ』の、序盤に出てくる山賊エンカウントとほぼ同じ陣形だ。

 あの時、俺は「初心者でも勝てるよう、あえて隙の多い配置にしてください」とプランナーに発注した。

 目の前の盗賊たちも、同じくらい隙だらけだった。

 ……いや、現実の人殺しを、自分の作ったザコ敵と同列に見るな。

 脳のチャンネルが、緊張のあまり完全に仕事モードに振り切れている。重症だ。

 「食料を出せ」

 それだけだった。

 理由も交渉もなく、ただ要求した。

 恐喝の文法は、たぶん異世界でも変わらない。


---


 バロック村長は?

 見回すと、彼はすでに自分の家の扉を閉めていた。

 なるほど、そういう村長か。俺の中で、腐敗しているだけでなく、臆病でもある。最悪の指導者の条件を揃えている。

 同時に、別の観察もしていた。村の入口に防護柵がない。広場には盗賊が馬を乗り入れられる開けた構造になっている。逃げ込むための堅固な共用建築物もない。

 設計の話で言えば、ターン村は「敵対者に対して完全に無防備な設計」だ。

 もし俺が再設計するなら——

 いや、それは後でいい。今は、目の前で起きていることを、どう収めるかだ。

 「設計者の悪い癖だ」と俺は内心で苦笑した。修羅場でも仕様書を書こうとする。職業病だ。


---


 その時、広場の端から走ってくる影があった。

 エルナだ。

 手に持っているのは木の棒——いつも素振りに使っているやつ。剣ではない。

 それでも彼女は迷いなく、盗賊のうちの一人に向かって走っていた。

 俺は窓越しに彼女の顔を見た。

 怒りの顔ではなかった。

 恐怖の顔でもなかった。

 もっと別の何か——「これだけは、二度と」というような、過去から引きずってきた表情だった。

 たぶん、彼女には、盗賊に対して個人的な何かがある。

 まだ俺には、その何かはわからない。

 「エルナ!」

 誰かが止めようとした声が聞こえた。

 止まらなかった。

 エルナは走りながら棒を振り上げ、馬上の盗賊の肩を叩いた。

 盗賊は驚いて馬から落ちかけ、仲間たちの視線がエルナに集まった。

 「この村から出て行け!」

 声が震えていなかった。

 体は震えていたかもしれない。でも声は、まっすぐ飛んでいた。

 五対一だ。武器の差もある。

 どう見ても無謀だった。


---


 でも俺は、その瞬間に確信した。

 こいつに最初の付与をする。

 ——いや。

 俺は一拍だけ自分を疑った。

 昨日、エルナに向かって「もったいない」と言って、彼女を不機嫌にさせたばかりだ。

 今ここで彼女を選ぶのは、本当に「最も合理的な選択」だからか。

 それとも、「使えると評価した手駒を真っ先に確保したい」という、俺自身の癖の延長か。

 区別がつかなかった。

 ただ、考えている時間はなかった。

 目の前で、彼女が死にかけている。

 動機を整理するのは、後でいい。

 「バランスは後で整える」

 誰にも聞かれない声で、俺はそう呟いた。

 なぜその言葉が出てきたのか、自分でもわからない。

 ただ、口に出した瞬間、迷いが消えた。

 それは前世で、デスマーチの夜中に何度も自分に言い聞かせてきた言葉だったかもしれない。


---


 俺は窓を開けて、広場に向かって声を出した。

 「エルナさん、少し下がって!」

 エルナが振り返る。

 「何、旅人——」

 俺はその瞬間に、彼女に意識を集中した。

 ウィンドウが開く。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

対象:エルナ・ターン(16)

職業:村娘

現在のレベル:概念なし


【概念付与:レベル】を使用しますか?

▶ はい

いいえ

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 はい、を選んだ。

 次の瞬間、エルナの体がわずかに光った。

 俺にしか見えない、薄い金色の光だ。

 光は彼女の輪郭をなぞり、心臓のあたりに小さく収束して、消えた。

 この世界で初めて、一人の人間に「レベルという概念」が生まれた瞬間だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

エルナ・ターン 付与完了

現在Lv:1

───────────────

HP 18 / MP 4

STR 11(筋力)

AGI 16(敏捷)

VIT 10(耐久)

DEX 13(器用)

───────────────

経験値の主な獲得源:

・敵の撃破(最大)

・実戦の生存

・剣の反復鍛錬

付与可能残数:4 / 5

※対象者には何も見えていません

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 数値が、目の前に並んでいる。

 だが俺はすぐに、もっと重要なことに気づいた。

 ——比較対象が、ない。

 AGI16。STR11。HP18。

 この「16」が高いのか低いのか、俺には判断できない。

 当たり前だ。この世界で数値化された人間は、たった今、目の前のエルナ一人きりなんだから。

 ゲームで言えば、テスト用に一体だけ作ったキャラのステータスを見て「強い」「弱い」を論じるようなものだ。

 基準値がなければ、数字はただの記号でしかない。

 前世で、嫌というほど叩き込まれた。「単体の数値に意味はない。分布を見ろ」と。

 だから今わかるのは、エルナ「自身の中での」偏りだけだ。

 ただ、その偏りは、はっきりしていた。

 STR、AGI、DEXといった身体系の数値に対して、MPだけが極端に低い。4だ。

 彼女の中で、身体能力が突出して、魔力がほとんど死んでいる。

 これは断言できる。絶対値はわからなくても、内訳の傾きは読める。

 エルナは、魔法には向かない。剣に合うようだ。

 三日間、彼女の素振りを見てきた俺の目と、初めて見た数値の「偏り」が、ぴたりと一致した。

 絶対値は、まだ謎のままでいい。

 いずれ他の誰かを付与したら、比べる相手ができる。

 その時、数値の高い低いが、初めてわかる。

 そして経験値の源は、はっきりしている。

 敵を、倒すことだ。

 変化は、すぐには起きない。

 Lv1になったエルナは、まだLv1だ。

 経験値を積まなければ、強くはならない。

 だから今すぐ助けになるわけではない。

 それはわかっていた。

 それでも俺は窓から外に出て、盗賊たちと向き合った。


---


 「ちょっと待ってください」

 盗賊たちが俺を見た。

 明らかに農民ではない格好の、見慣れない男が現れたことで、一瞬空気が止まった。

 「旅の者です。話ができる人間がいれば話をしたい。食料が欲しいなら、なぜこの村なのか教えてもらえませんか」

 「あ?」

 「理由があるなら聞きます。ただ奪いたいだけなら、この村より豊かな場所を案内できます」

 嘘だ。案内できる場所など知らない。

 ただ、会話を引き延ばしたかった。

 心臓が、肋骨の内側で殴られているみたいに鳴っている。喉はカラカラだ。

 戦えない男が、刃物を持った五人の前で平気な顔をするのは、想像の十倍しんどい。

 それでも、声だけは震えさせるな、と自分に言い聞かせた。

 盗賊たちは顔を見合わせた。

 怯えも怒りもなく、淡々と交渉を持ちかけてくる男を、どう扱っていいか迷っているようだった。

 その隙に、俺は周りを確認した。

 広場の端で、村人の何人かが農具を持って出てきている。ハロルドの姿もある。

 エルナが動いたことで、村人たちの空気が少し変わっていた。

 このまま全員で追い払える可能性がある。

 盗賊のリーダーらしき男が馬を進めてきた。

 「面白い旅人だな。でも、その口だけ達者な旅人が何をできる」

 「何もできません」

 正直に言った。

 「でも、彼女は別です」

 俺はエルナを指差した。

 エルナが、俺を見た。「え、あたし?」という顔をしている。

 ——俺のレベルはゼロだ。だから、彼女に賭ける。

 その言葉は、心の中だけで呟いた。

 口には出さない。出しても、誰にも通じない。

 この世界には、まだ「レベル」なんて言葉も概念も存在しないんだから。

 「レベルがどうの」なんて言い出した瞬間、俺はただの頭のおかしい旅人だ。

 だから、声に出したのは、誰にでも通じる言葉だけだった。

 「彼女は、やれます。俺が保証する」

 「保証? 旅人風情が、何を根拠に」

 盗賊のリーダーが鼻で笑った。

 根拠なら、ある。Lv1という、たった今この世界に生まれたばかりの根拠が。

 でも、それは言えない。

 だから俺は、もう一度、同じことだけを繰り返した。

 「根拠は、見ればわかります」

 計算上は、無謀すぎる選択だ。Lv1の彼女に賭けるなんて。

 でも、口に出した瞬間、それが嘘じゃないと自分でわかった。

 俺は、本気で、彼女を信じていた。

 いつの間にか。


---


 エルナはしばらく俺を見てから、盗賊たちを見た。

 体の震えが、止まった。

 何かを感じ取ったのかもしれない。

 Lv1になったことで何か変わったかどうかは正直わからない。

 でも、エルナは棒を構えて、「やってみる」と言った。


---


 その後の数十秒を、俺はずっと固まったまま見ていた。

 エルナが突っ込んでいく。

 俺の目には、それは「戦闘」というよりも、一つの数式に近いものに見えた。

 歩幅、振り上げのタイミング、相手の死角の取り方。

 Lv1の付与ぐらいで彼女のステータスが劇的に変わるわけではない。

 なのに、その動きには、明らかに昨日までと違う「効率」があった。

 ゲームで言うところの「キャラクターが自分のクラスを自覚した」瞬間に近い。

 補正が乗ったのは、たぶん、数値より自覚の方だ。

 盗賊の一人が棒で殴られて尻もちをつく。

 二人目が馬から下りようとした瞬間、横からハロルドが農具を振り下ろした。

 次の瞬間、村人たちが一斉に動いた。

 エルナが先頭を切ったことで、止まっていた空気の流体が、一気に方向を持って流れ始めた。

 俺はただ、それを見ていた。

 付与はしたが、付与者は戦場には立てない。

 俺がしたのは「最初の一手をくべる」ことだけだ。

 あとは、彼女たちの仕事だ。

 その事実が、なぜか胸の奥に小さく刺さった。


---


 結果から言えば、盗賊たちは逃げた。

 エルナが突っ込んでいって、村人たちが農具を持って続いた。

 Lv1のエルナが劇的に強くなったわけではない。

 ただ、諦めなかった。怯まなかった。

 その姿が、村人たちを動かした。

 人間のバランスって、数値じゃないところで動くこともある、と俺は思った。

 盗賊たちが去った後、広場に静寂が戻った。

 エルナが息を切らしながら、俺のところに来た。

 予想していたのは、感謝か、驚きか、興奮か。

 現実は違った。

 「……なんで、あたしだって言ったの」

 声が低かった。

 「強くなると思ったから」

 「根拠は?」

 「あなたが諦めなかったから」

 答えながら、半分は嘘だ、と思った。

 本当の根拠は「魔法じゃなく剣に向いている」「俺の能力が、その伸びを保証できる」だ。

 でも、それは口にできない。

 エルナはしばらく俺を睨んでいた。

 「……あの場面で、あんた、誰でもよかったわけ?」

 「え?」

 「他の村人が走っていってたら、その人を指して『強くなる』って言ったの?」

 俺は答えに詰まった。

 答えなかった。

 答えられなかった。

 エルナの目が、わずかに翳った。

 「……変な旅人」

 二度目の「変な旅人」だった。

 でも、今度はトーンが、昨日とも違った。

 怒っているのとも、呆れているのとも違う。

 何か、もっと寂しい響きだった。

 俺の視界の隅に、ウィンドウが小さく光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

エルナ・ターン Lv1 → Lv2

───────────────

経験値取得:

・盗賊1体を撃退(剣士系経験値・大)

・初の実戦を生き延びた(経験値・中)

・村人の戦意を牽引(指揮経験・小)

───────────────

ステータス上昇(剣士系の成長傾向):

STR 11 → 13(+2)

AGI 16 → 18(+2)

VIT 10 → 11(+1)

HP 18 → 21(+3)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 Lv2。

 HPが+3、STRとAGIに+2ずつ。VITに+1。

 数値の伸び方が、見事に「剣士」をなぞっている。

 経験値の入り方も明確だった。彼女が稼いだのは、敵を退けたという、具体的な戦果だ。

 盗賊を一体、退けた。だから強くなった。

 因果が、はっきりしている。

 ゲームとして、正しい設計だ。

 ……ゲームとして、と考えてしまう自分に、少しだけ嫌気がさした。

 始まった。

 始まったが、何かを、最初から間違えていた気がした。

 仕様書通りに動いたつもりだったのに、最初のテストで品質バグが出た。

 俺は天井を見上げて、息を吐いた。

 たぶんこの感覚は、これから何度も繰り返す。

 でも、もう一つだけ、確かなことがあった。

 俺が「賭ける」と口にした言葉だけは、嘘じゃなかった。

 その言葉の重さは、たぶん、これから何百回でも俺自身を縛る。

 悪くない縛り方だ、と思った。


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