第三話 腐敗の構造
三日が経った。
俺はクラウスの家で雑用をこなしながら、村の観察を続けた。
畑の手伝い、薪割り、川での水汲み。体は正直しんどい。
ゲーム会社で培った体力は主に「長時間椅子に座り続ける体力」であって、農作業向きではない。
二日目で筋肉痛。三日目で全身が悲鳴を上げている。
薪を割るたびに、前世で腰を痛めて通った整体の先生の顔が浮かんだ。あの人、元気だろうか。いや、俺はもう死んでるんだから、関係ないか。
「これはバランスが悪い」
誰にともなく呟いた。
主人公の体力ステータスが低すぎる。最初の村でこれは詰みかねないチュートリアル設計だ。
まあ、ステータスを割り振り直す機能は、俺自身には付いていない。
ロールバックはできない。レベル0は、レベル0のままだ。
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観察した結果、ターン村は閉じた箱だった。
北は麦畑、南は川、東は街道、そして西——森。
その森が、何より気になった。
村人たちは森には入らない。クラウスに聞いたら「悪さするもんが住んどる」と一言だけ返ってきた。
モンスター、なのだろう。
異世界に来てから、まだ一度も見ていない。
でも、いる。
森と村の境界線で、村人たちが薪を集める時の動きがやけに早い。一定の距離より奥に踏み込まない。それは「マナー」じゃない。「リスク管理」だ。
ゲームで言えば、ここは初期マップの安全区域。森に入った瞬間にエンカウントゾーンが始まる。
俺はまだ、エンカウントゾーンに踏み込んでいない。
たぶん、いずれ踏み込むことになる。
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ターン村の構造は、思ったよりも単純だった。
頂点にバロック村長がいる。
次いで、バロックの親族が二家族。
彼らが農地の「管理者」として小作農から穀物を集め、一部を王国の税として納め、残りの大半を自分たちで取る。
農民たちは労働に見合った報酬を得られていない。
典型的な中間搾取の構造だ。
ゲームで言えば、序盤のチュートリアルエリアに必ずある「悪い村人」パターン。プレイヤーの介入を前提に設計された問題配置だ。
頭の中で、勝手にプランが組み上がっていく。
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【脳内メモ:ターン村再設計案ver.0.2】
STEP1:広場の機能回復(週一の市)
STEP2:西側第二井戸の新設
STEP3:輪作の導入(麦+豆類)
STEP4:共同倉庫の設置
※全ての前提:バロック排除
※排除する権限:俺にはない
※承認待ち(永遠)
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最後の三行を見て、自分で吹き出しそうになった。
設計者として完璧なロードマップを作っても、実行権限はゼロ。
仕様書だけ書いて承認が降りない、いつものパターンだ。
異世界に来てもこれかよ、と心の中で呟いた。
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四日目の朝、事態が動いた。
騒ぎ声が聞こえたのは、日の出から一時間ほど経った頃。
村の広場に出てみると、農民の一人——ハロルドという四十代の大柄な男——が、バロックの親族の一人と向かい合っていた。
遠目に見ても、空気がピリついている。
俺は壁際に身を寄せて、観察に徹した。
「収穫量が足りないと言っている。昨年より収穫が少ないのは天候のせいだ。村の記録を見れば分かる話だろう」
ハロルドは低い声で、しかしはっきりと言った。
感情的ではない。事実を述べている口調だ。
「お前の畑の管理が悪かったんだろう。言い訳するな」
「俺の畑だけじゃない。村全体の収穫量が落ちている。公平に計算してほしい」
「村長が決めたことだ。文句があるなら村長に言え」
「村長に言っても同じことを言うだろう」
「ならば従え」
会話が打ち切られた。
ハロルドは拳を握ったまま、しかし動かなかった。
周りの農民たちも、何も言わなかった。
言えなかった、というほうが正確だろう。
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俺はその場面を端から見ていた。
ハロルド。
こいつは使える、と直感的に思った。
感情を制御できる。論理で話す。そして、他の農民たちのために声を上げる意志がある。
リーダーシップの素地だ。
ゲームで言えば、「指導力」や「統率」系の才能を持っている人間の振る舞い。
もちろん、数値は見えない。彼も付与していないんだから。
それでも、頭の中では勝手に人物カードが組み上がっていく。職業病だ。
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【主観メモ:ハロルド】※未測定・ただの勘
・頭が回る。論理で話せる
・感情を抑えられる胆力がある
・人のために前に出られる
※また「人材」として値踏みしてる
※この癖、自分への戒めも仕様化が要る
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俺は内心で苦笑した。
昨日エルナで失敗したばかりだ。
「使える」「素地がある」という評価を、本人に向かって口にしてはいけない。
人は道具として見られると、それを察知する。
ハロルドへのアプローチは、もっと別の言葉で組み立てる必要がある。
仕様変更だ。今度こそ、現場の空気を読んで実装する。
ただ、もう一つだけ、確かなことがあった。
あの男は、拳を握ったまま、何かを守るために動かなかった。
怒りで動かないんじゃない。
怖れで動かないんでもない。
もっと別の重さがあった。
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その夜、俺はクラウスに聞いた。
「ハロルドさんって、昔から村にいる人ですか」
老人は囲炉裏の火を見ながら、「そうじゃ」と答えた。
「先代の村長の息子だ。本来なら今の村長の立場にいるはずだったが、バロックに押しやられた」
「それでも村を出ず、農民として働いている」
「なぜ出ないんですか」
「村の連中のことが心配なんだろう。言葉には出さんが」
クラウスは少し黙ってから、付け足した。
「あいつには、昔、妻と娘がいた」
俺は手を止めた。
「……いた、というのは」
「流行り病だ。十年前、バロックが薬を買い渋った時に、二人とも逝った」
囲炉裏の薪が、小さく音を立てた。
「ハロルドが村を出ない理由は、本当はそこじゃ。残った村の連中を、二度と同じ目に遭わせたくない。妻と娘の代わりに、村全体を守っとる」
俺は何も言えなかった。
「使える」「素地がある」と頭の中で組み立てていた評価が、急に音を立てて崩れた。
あの男が広場で拳を握ったまま動かなかった理由は、論理でも統率力でもない。
もう一度、誰かを失いたくない、というだけの話だ。
設計図には書けない理由で、人は立ち続けている。
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俺は少し考えた。
「クラウスさんは、昔、王都で働いていたと聞きました」
老人の目がわずかに動いた。
「誰から聞いた」
「村の人たちの雰囲気から、なんとなく」
嘘だ。ヴァルガという流れ者から聞いた。三日前に村外れの宿に泊まっていた男だ。
クラウスはしばらく黙っていた。
「……昔のことだ」
「どんな仕事を」
「官吏だ。今となってはどうでもいい話じゃ」
そう言いながら老人の目は、どこか遠くを見ていた。
「どうでもいい」という人間の目ではなかった。
俺は質問を重ねなかった。
代わりに、別のことを聞いた。
「この村、もし誰かが本気で立て直そうとしたら、どこから手を付けると思いますか」
囲炉裏の火がパチンと弾けた。
クラウスは長い沈黙の後、視線を上げずに言った。
「お主、まだ若いな」
「若いですか」
「村を立て直すには、何から手を付けるかではない」
「では、何ですか」
「誰の心から手を付けるかだ」
俺は言葉を返せなかった。
「最初に動かさねばならんのは、井戸でも畑でもない。一人の人間の覚悟じゃ」
頭の中で組み上げていた「ターン村再設計プラン」が、急に薄っぺらく感じられた。
STEP1:広場の機能回復。
STEP2:第二井戸の新設。
STEP3:輪作の導入——
全部、井戸と畑の話だ。
人の話が、一行もない。
システムは設計できる。だが、システムを動かすのは人間だ。
その人間を動かす力は、設計図には書けない。
クラウスは火を見つめたまま、もう一言だけ付け足した。
「ま、お主は、いずれそれを覚えるじゃろう」
その口調には、すでに俺の正体を見抜いているような響きがあった。
「重大なバグを検出した」
俺は心の中で呟いた。
設計者本人の中にあるバグだ。仕様書には載っていない。
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その夜、寝床に入りながら、俺の中で五つの名前が並んだ。
エルナ——剣の素質。何かに怒っていて、それをぶつける先を探している。
ハロルド——農民だが本来のリーダー。妻子を失った男が、もう一度誰かを守ろうとしている。
セリア——薬草師。魔法の才能を「なし」と判定された経歴。それでも医療で村を支えている。
ヴァルガ——流れ者。情報網を持っている可能性。素性不明。
クラウス——元王都官吏。何かを既に見抜いている目をしている。
五人。
付与可能上限と、ぴったり一致する。
偶然か、設計か。どちらでもいい。
ゲームデザイナーとして言えることがある。
「最初のパーティは慎重に選べ。序盤の選択がゲーム全体の難易度を決める」
俺はウィンドウを開いた。
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【付与者】 神崎遼
所持能力:概念付与
付与可能人数:5 / 5
自身のレベル:なし
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まだ誰にも使っていない。
もう少しだけ待つつもりだった。
窓の外、森の方角から、夜風に乗って奇妙な咆哮が一度だけ聞こえた気がした。
モンスターか。それとも風の悪戯か。
確かめる勇気は、まだなかった。
ただ、明日の朝、村にやって来るのが森のモンスターではないとは、まだ知らなかった。
来るのは、もっと人間臭い、もっと厄介な何かだった。




