第二話 ターン村の住人たち
異世界二日目の朝は、知らない天井から始まった。
木の梁、藁葺き、煤けた壁。日本のどんな部屋にも似ていない。
それなのに、布団の感触だけは、なぜか実家の祖母の家を思い出させた。
ここは異世界で、俺は神崎遼で、レベル0で、丸腰で、誰も俺の正体を知らない。
把握すべき仕様が多すぎる。
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老人の名はクラウス・ヴェインといった。
村の古老。それが村人たちの呼び方だった。
六十七歳。背は低くて丸まっているが、目だけがやたらと鋭い。
昨夜、行き倒れた俺を家に入れ、パンと水を出してくれた時も、その目はずっと俺の顔を観察していた。
「旅人にしては荷物がないな」
「なくしました」
「着ている服も変わっとる。どこの国のものだ」
「遠い国です。名前を言っても知らないと思います」
嘘ではない。
クラウスは「ふむ」と一言だけ言って、それ以上は聞かなかった。
老人の勘というのは侮れない。何かを察した上で、あえて流してくれているのかもしれなかった。
「しばらくここにいてもいい。ただし、飯を食うなら働け」
「もちろんです」
差し出されたパンを受け取りながら、俺は無意識に頭を下げていた。
異世界に来て初めての食事。
硬い黒パン、塩気のあるチーズ、薄い葡萄酒。
たぶん粗末な部類なのだろう。それでも、デスマーチ中に齧っていたコンビニのパンより、ずっと味がした。
「……ありがたい」
声に出した。
クラウスは何も言わず、自分の分を黙々と齧っていた。
こうして俺のターン村生活が始まった。
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翌朝、俺は無意識に村全体を観察し始めていた。
ゲームデザイナーの職業病だ。新しいフィールドに入ると、地形・資源配置・住人の動線・経済の流れを勝手に頭の中でマッピングしてしまう。
村は思ったより小さかった。家が十五軒、住民が五十人ほど。
北は麦畑、南は川、東は街道、そして西は森。
三日見ていれば、システム構造の歪みが見えてきた。
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【脳内メモ:ターン村再設計案ver.0.1】
・井戸が東に偏り、西の住人は毎朝長距離歩行
・麦の連作で地力低下(輪作で+20%収量見込み)
・倉庫が分散、共同化で盗難リスク減
※全て「村長の承認」が前提
※つまり全て却下確定
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自嘲気味に笑った。
異世界に来て二日で、もうサンドボックスゲームの開発者目線になっている。
昔やった『のんびり開拓スローライフ』ってゲームを思い出す。ほのぼの系の皮をかぶった、実は鬼のような最適化ゲーだった。あれを徹夜でやり込んだ経験が、まさか異世界で役立つとは。
まあ、それしかできることがないから、仕方ない。
戦えないし、魔法も使えない。せめて頭は使え、ということだ。
ただ、これは内に留める。
「井戸の配置がおかしい」「畑の作付けを変えろ」などと言い出した瞬間、信用は地に落ちる。
デスマーチで最初に学んだのは、「正しい提案でも、タイミングを間違えれば敵を作る」ということだった。
観察は内に留める。動くのはまだ早い。
……それにしても、だ。
昨夜から地味に俺を苦しめている問題が、別にある。
トイレだ。
水洗なんて当然ない。村の外れの、穴。それだけ。
風呂もない。体を拭く布が一枚あればいい方。
電気がないから、日が落ちたら世界は本物の闇になる。スマホの画面の光が、こんなにも恋しくなるとは思わなかった。
文明、ロールバックしすぎだろ。
異世界転生、夢があるように見えて、実態は「インフラ崩壊地域でのサバイバル」だ。
なろうの主人公たちは、よくこの環境で颯爽としていられるな、と本気で感心した。
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村で最初に言葉を交わした「同世代」は、エルナという娘だった。
十六歳。赤みがかった茶髪を雑に束ねている。
麦畑の畝の間を走り回っている。動きが速い。
体格は小柄だが、手足に無駄がない。農作業の合間に木の棒を使って一人で素振りをしている姿を、俺は初日から何度か見かけた。
剣の才能がある、とひと目でわかった。
いや、正確には「ゲームデザイナーとしての目」でそう感じた、というべきか。
モーション速度、体重移動の効率、反復練習への集中力。少なくとも、俺がこの三日で見た村人の誰よりも、動きに無駄がない。
ただし——と、頭の中でブレーキがかかる。
俺はまだ、この世界で誰のステータスも見ていない。付与していないんだから、当然だ。
つまり、数値の基準がない。見たところでそれが高いのか低いのかすら、まだわからない世界にいる。
今わかるのは、数値じゃなくて、ただの「見た目の印象」だけだ。
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【主観メモ:エルナ・ターン】※未測定・ただの勘
・動きが速い、無駄がない
・芯が強そう、目に力がある
・たぶん、戦うことに向いている
※数値で見たわけじゃない。三日、目で追っただけ
※完全に脳内人事。本人未承認
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最後の一行で、俺は自分のことが少し嫌になった。
まだ言葉も交わしていない少女を、勝手に「人材」として値踏みしている。
数値も出ていないのに、頭の中だけは一丁前に人事部だ。
前世だったら通報案件かもしれない。
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「何見てんの、旅人」
俺が眺めていると、エルナは素振りを止めてこちらを向いた。警戒している目だ。
「素振りが綺麗だと思って」
「村人に剣なんか必要ない、って言いたいわけ」
「いや、逆です。もったいないと思った」
「もったいない?」
「あなたの動き、農作業に使うには余りすぎてる。本当はもっと他のことができる人に見える」
言ってから、自分の口の悪さに気づいた。
「他のことができる」というのは、「農作業しか取り柄がない」と暗に言っているようなものだ。エルナの眉が一瞬上がった。
「……何それ。あたしの家の仕事をバカにしてる?」
「いえ、そういう意味じゃ」
「あんた、初日からずいぶん偉そうじゃない?」
弁解しようとしたが、エルナはもう振り返って素振りに戻っていた。
背中で「変な旅人」と呟いたのが聞こえた。
俺は内心で舌打ちした。
評価の言葉を、相手の自尊心を考えずに発した。最悪のコミュニケーションミスだ。
俺は人を見る目はある。
ただ、見たままを口に出すと、だいたい相手を怒らせる。
ゲームバランスの仕様書なら、評価項目をそのまま書けば誰も傷つかない。
でも人間は、仕様書じゃない。
異世界に来ても、その癖は直っていないらしい。
「想定外のフラグが立った」
小さく呟いた。
ゲーム会社時代の癖だった。
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その日の午後、クラウスに頼まれて薬草を取りに行く道で、村の薬草師に会った。
名はセリア・シルヴァ。二十歳前後の女性で、肩までの黒髪を後ろで束ねている。
川辺で、薬草の束を選別していた。
葉の形、茎の状態、色味。手つきに明らかに知識がある。
「あんたが、噂の流れ者?」
彼女は先に声をかけてきた。
「噂、もう広まってるんですか」
「五十人しかいない村だもの。新顔は三日で全員に知れ渡る」
俺は隣にしゃがんで、薬草の束を眺めた。
「医療の心得があるんですか」
「薬草師」
「魔法は」
俺が何の気なしに聞いた瞬間、セリアの手が一瞬止まった。
「……ないわよ。判定で『才能なし』って言われた」
声のトーンが、明らかに数段落ちた。
「すみません、変なこと聞いて」
「いいの。慣れてるから」
彼女は薬草に視線を戻して、また選別を始めた。
手つきは戻ったが、空気は戻らなかった。
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俺は黙って、薬草の束をまとめる手伝いに回った。
でも、頭の中で引っかかった単語があった。
「判定」。
異世界に来てまだ数日の俺には、何のことかわからない。
「あの、すみません。『判定』って、どういう仕組みなんですか」
セリアが顔を上げて、俺を見た。
「あんた、判定も知らないの?」
「本当に、遠い国から来たので。失礼にあたるなら、忘れてください」
彼女はしばらく俺を見ていた。失礼を疑うというより、「こいつ本当に何も知らないんだな」という呆れと驚きが混じった目だ。
「……魔石、っていう結晶があるの」
ゆっくりと、彼女は説明を始めた。
「青い、握りこぶしくらいの大きさの結晶。教会が管理してる。十歳になった子供を順番にその上に手を置かせて、結晶が光れば『魔法の才能あり』、光らなければ『なし』」
「二択ですか」
「二択。光の強さでランクは多少分かれるけど、基本は『使える』か『使えない』か」
「教会というのは」
「神聖教国の系列。グレイン王国の教会にも、教国から派遣された神官がいて、その人たちが判定をする。判定結果は王国でも教国でも、どこに行っても通用するの」
「一度『なし』と判定されたら——」
「生涯、ラベル。何をしても、魔法は使えないってことになってる」
彼女は薬草を一本、手の中で弄んだ。
「私は十歳の時に判定を受けた。結晶は、ぴくりとも光らなかった」
その時の景色を、今もはっきり覚えているのだろう。目の焦点が、十年前のどこかに合っていた。
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俺は心の中で、勝手にメモを取り始めていた。
単一の結晶で、その人の一生を決める。
判定権を独占する組織が、判定の精度を上げる動機を持たない。
「神聖教国が、魔法の才能を独占的に管理するための、意図的に粗い設計」だ。
前世のゲーム業界でも、似たような話は山ほどあった。
「明らかに改善できるのに、上の都合で変えられない仕様」。
ここでは、その「上」が神聖教国らしい。
ますます怪しい。
「……何、その顔」
セリアが、薬草を仕分けながら言った。
「いえ」
「あんた、変な顔してた。『何かおかしくない?』って顔」
俺はしばらく考えてから、慎重に言葉を選んだ。
「……単純すぎる気がしただけです」
「単純?」
「一つの結晶で、その人の一生を決めるのが」
セリアは手を止めた。
今度は、明らかに俺の顔をしっかり見ていた。
「……あんた、変な旅人ね」
「よく言われます」
「教会で同じこと言ったら、捕まるよ」
「気をつけます」
彼女は少し笑った。
今日初めて、声を出して笑った。ほんの一瞬だけど、確かに、笑った。
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俺は心の中で、これだけは確信していた。
「才能なし判定」というラベルは、俺の付与システムの想定外だ。
神聖教国の粗い設計が、彼女の中の何かを見落としているなら、俺の能力なら、たぶん、拾い上げられる。
ただ、今は何も言わない。
今言っても、ただの慰めにしかならないし、希望を持たせて裏切るのが一番残酷だ。
付与可能枠に余裕ができたら、彼女の隣にもう一度しゃがむ。
その時に、ちゃんと、結果で語ろう。
仕様書じゃなくて、結果で。
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夜、クラウスの家の小さな部屋で、俺はウィンドウを呼び出した。
付与可能人数:5 / 5。まだ誰にも使っていない。
使い方も、使う相手も、何ひとつ決めていない。当たり前だ。俺はこの村に来て、まだ三日目。通りすがりの行き倒れにすぎない。
なのに頭の中では、もう村の「問題点リスト」が勝手に出来上がっていた。
井戸の偏り。畑の連作。死んだ広場。そして——村長のバロック。
あの男が、村の空気を一番重くしている。腐敗した管理者は、システムで言えば、放置されたバグだ。直さなければ、被害は静かに広がり続ける。
……と、そこまで考えて、自分に呆れた。
直す? 誰が?
俺は、戦う力も、金も、身分も、何ひとつ持っていないレベル0の余所者だ。他人の村のバグを直す義理も、権利も、力もない。
明日にでも礼を言って村を出て、もっと大きな街を目指す。それが、どう考えても一番賢い。行き倒れの旅人が、他人の村の政治に首を突っ込んでいい理由なんて、どこにもないんだから。
……ないはずだった。
でも、なぜか、その「賢い選択」に、心が乗らなかった。
クラウスが黙って差し出してくれたパンの味を、まだ覚えている。
前世で、最後まで「自分のもの」を何ひとつ作れずに死んだことを、まだ覚えている。
もし、この力で、この村を——
いや。考えるな。まだ早い。
俺は頭を振って、その先を打ち切った。今はまだ、何者でもない。何も決めなくていい。今日を生き延びた。それで十分だ。
ふと、昼間のエルナの背中が浮かんだ。
あの子を「動きがいい」「育てがいがありそう」と値踏みした自分の癖を思い出して、また少し嫌になる。
数値も出ていないのに、もう人を「素材」として見ている。直したい癖だ。
……寝よう。難しいことは、腹が満ちてからでいい。
そう思って、目を閉じかけた時だった。
窓の外、村の中央広場から、誰かが拳を地面に叩きつけるような音が、一度だけ聞こえた。
怒りとも、悔しさともつかない、鈍い音だった。
誰の音かは、まだ知らない。
ただその音は、俺がさっき打ち切ったはずの「もし、この力で」の続きを、もう一度、そっと突いてきた気がした。
明日の朝、俺はその拳の主が誰なのかを知る。
そして、打ち切ったはずの問いを、もう打ち切れなくなる。




