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第十二話 薬代

 朝の手当てがようやく一段落した頃だった。

 ニコは一命を取り留めた。腕を抉られた者、足を噛まれた者——怪我人は片手では足りない。

 血と煙の匂いが、まだ村に残っている。

 誰も口を開かなかった。けれど、その沈黙の中で、何かがゆっくりと熱を持ち始めていた。

 最初に言葉にしたのは、井戸端で布を洗っていた村人だった。

 「……あのならず者を、呼んだのは誰だ」

 空気が変わった。

 答えは全員が知っていた。

 ならず者が流した血がゴブリンを呼んだ。昨夜の傷の一つひとつをたどっていけば、行き着く先は一人の男だ。

 バロック。

 誰かが鍬を握り直した。別の誰かが無言で立ち上がる。

 怒りは火と似ている。一度くべられた薪は、もう止まらない。

 村人たちが、村で一番大きな家へ向かって歩き出した。


---


 バロックの家の前には、すぐに人垣ができた。

 戸を叩く。応えはない。もう一度。やがて軋みながら、戸が開いた。

 出てきたバロックは別人のようだった。

 いつもの、人を見下す目の光がない。一晩で十も歳を取ったような顔をしていた。

 「……何の用だ」

 「とぼけるな!」誰かが叫んだ。「お前が雇った連中のせいで、ニコが、村のみんなが——!」

 バロックは何も言い返さなかった。ただ、目を伏せた。

 その、いつもと違う様子に、村人たちがわずかにたじろいだ時。

 家の奥から、細い、掠れた声がした。

 「……あなた……? 外が、騒がしいけれど……」

 村人たちが息を呑んだ。

 バロックの背後、薄暗い部屋の奥。粗末な寝台に、痩せ細った女が横たわっていた。

 頬はこけ、肌は紙のように白い。長く床に臥せった者の顔だった。

 誰も知らなかった。あの家に、病人がいたことを。

 ——いや。

 一人だけ知っていた。

 「ローザさん」

 セリアだった。人垣の後ろから、青ざめた顔で進み出る。

 「わたし、ずっと不思議だったの。誰が、あんなに高い薬草ばかり買っていくんだろうって」

 その声が震えた。

 「あれ……全部、この家だったのね」


---


 バロックは観念したように、ぽつぽつと語り始めた。

 ローザが床に臥せって、もう十年になる。

 治る病ではない。だが、薬を切らせば、その日のうちに苦しみだす。だから薬だけは、何があっても切らさなかった。

 高い薬だ。村の蓄えに手をつけてでも買い続けた。

 「……十年前、流行り病が出た時も、だ」

 バロックの声が震えた。

 「村の金は、薬に消えた。わしの女房の、薬にな。だから——病で苦しむ連中に回す金は、もうなかった」

 その瞬間、ハロルドの顔色が変わった。

 十年前。流行り病。買えなかった薬。死んだ女房と、娘。

 ずっとわからなかった。なぜ村に金があったのに、薬が買えなかったのか。

 その答えが、今、目の前にあった。

 バロックは、自分の妻を生かすために村の金を使い続けた。

 その裏で——ハロルドの妻と娘が死んだ。

 誰かが、低く、絞り出すように言った。

 「……許せねえ」

 鍬を持つ手に力がこもる。一度引いた怒りが、もう一度、燃え上がろうとしていた。


---


 俺はその間に割って入った。

 ここで止めなければ、村は人を殺すことになる。バロックを殺せば、次は——あの寝台の女が、薬を断たれて死ぬ。

 怒りは連鎖する。一度始まれば、どこまでも続いていく。

 止める手は、一つしかなかった。

 「待ってください」

 俺は、村人とバロックの間に立った。俺が唯一できる立ち方で。

 「彼を殺しても、誰も生き返りません。追い出しても同じです。残るのは新しい恨みと薬を断たれた病人が一人。それだけです」

 「じゃあ、どうしろってんだ!」

 「使うんです」

 俺は言った。

 「バロックは二十年この村の金を回してきた。帳簿も、徴税も、誰より知っている。その頭を——今度は、村のために使わせます」

 処刑でも、追放でもない、第三の道。

 恨みを晴らすより損を埋める。俺の知っている筋の通し方は、それだけだった。

 「村の外れに薬草園を作ります。セリアさんが薬を育てて調える。バロックが罪人としてそれを管理する。——もう二度と薬代のせいで、誰も死なせないために」


---


 村人たちの目が、一斉にハロルドへ向いた。

 決めるのは、彼だった。十年前、この男のせいで家族を喪った男。

 ハロルドは長いこと黙っていた。

 痩せ細ったローザを見て、それからバロックを見た。

 その拳は、固く握られ、震えていた。

 ——殴るのか。それとも。

 やがて、ハロルドが口を開いた。

 「……バロック。俺は、あんたを許さねえ」

 低い声だった。

 「俺の女房も、娘も、あんたの女房の薬代のために死んだ。それだけは、一生忘れねえ」

 バロックが目を閉じた。

 「だが——」

 ハロルドの声が、ほんの少しだけ揺れた。

 「あんたの女房を、同じ目には遭わせねえ。薬代のせいで人が死ぬのは、俺の代で終わりにする」

 彼は村人たちをぐるりと見渡した。

 「薬草園を作る。病人が出たら、村で薬を回す。金のあるなしで死ぬ順番を決めるのは——もう、やめにしよう」

 誰も何も言わなかった。

 やがて、最初に鍬を下ろしたのはあの白髪の老農夫だった。

 次々と、村人たちの手から力が抜けていった。


---


 バロックは、その日のうちに村長の座を退いた。

 罪人として、薬草園の土を耕すことを自ら受け入れた。

 そして村人たちは——誰が言い出すでもなく、ハロルドの前に集まっていた。

 「ハロルド。あんたが村長だ」

 反対する者は、一人もいなかった。

 その時、俺の視界の隅で画面が光った。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ハロルド・マーシュ Lv2 → Lv3

経験値取得:

・村の裁定をまとめた(仲裁・大)

・村長として全村に認められた(統率・大)

───────────────

ステータス上昇(内政系):

INT 19 → 20

VIT 17 → 18

HP 26 → 28

───────────────

スキル解放(Lv3):以下から1つ選択

・「鼓舞」(統率系)

・「算術・実務」(内政系)

※対象者には何も見えていません

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 レベル3。

 剣ではなく、裁きと赦しでハロルドはまた一段強くなった。

 俺は解放された二つの候補をしばらく眺めた。

 人を奮い立たせる力か。村を回す、実務の力か。

 ——前者はいらない。

 ハロルドはもう持っている。震えた声ひとつで村を動かす力を。俺が足すべきは、彼に「ない」方だ。

 俺は実務の力を選んだ。心を動かせる男に、村を回す背骨をそっと一本通す。

 画面を閉じかけて——気づいた。

 視界の隅に、別の画面が静かに灯ったままになっている。

 ……いや、一つじゃない。何度も光って、何度も消えて、それでも閉じきらずに残っていたものがいくつも。

 あの夜。ならず者と、ゴブリンの群れと。戦いの最中、間違いなく通知は来ていた。

 ただ、頭を回すのに必死で、確かめる暇がなかっただけだ。

 今になって、ようやく追いついた。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

エルナ・ターン Lv3 → Lv5

経験値取得:

・元兵士の大男を打ち倒した(剣士系・特大)

・革鎧のならず者を撃退(剣士系・大)

・ゴブリンの群れを多数撃破(剣士系・大)

───────────────

ステータス上昇(剣士系):

STR 14 → 18

AGI 19 → 21

VIT 12 → 14

HP 21 → 27

───────────────

★Lv5到達:二つ目のスキルが解放されました

スキル選択(1つ選択してください)

① 連撃 (攻撃を続けざまに繋ぐ。多数の敵に有効)

② 見切り(相手の挙動を先読みし、回避・反撃の精度が上がる)

※対象者には何も見えていません

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 一気に、二段階。

 当然だ。農具を握っただけの盗賊とはわけが違う。場数を踏んだ元兵士に、数えきれないゴブリンの群れ。あれを生き延びて、なお前に立ち続けたんだ。伸びないはずがない。

 俺は二つの候補を見比べた。

 ①の連撃は、今夜みたいな数を相手にする時に効く。

 でも俺が選んだのは②だった。

 あの夜、大男を倒せたのは右肩を引く癖を俺が読んで声で伝えたからだ。

 ——だが、いつまでも俺が横で叫んでやれるわけじゃない。

 戦場の俺はただの足手まといだ。声が届かない時、彼女自身が「見切れる」ようにしておく。

 その方がずっと遠くまで、一人で行ける。

 俺は見切りを選んだ。

 強くしてやるんじゃない。一人で立てるようにしてやる。

 それが、たぶん俺のやり方だった。


---


 それにしても、と俺は思う。

 第三の道を組み立てたのは俺だ。損を埋め、人を捨てない、いちばん得な一手。

 でも、バロックを赦すと決めたのは俺じゃない。ハロルドだ。

 家族を奪った相手の、その妻を生かすと決める。

 あれは——どう頭を回しても、俺の中からは出てこない答えだった。

 俺は人を強くできる。仕組みも組める。

 でも、人を赦す心だけは最後まで、俺の手の届かないところにある。

 夜がすっかり明けていた。


---


 ハロルドが隣に立った。

 「リョウ。薬草園、すぐにかかる。井戸も、倉も、防壁も——やることが山ほどあるな」

 「ええ。村を、一から作り直しましょう」

 壊された村を、ただ元に戻すんじゃない。次に何が来ても、もう奪われない村に。

 そして、クラウスがぽつりと言ったことが、耳に残っていた。

 「……村長を挿げ替えたとなれば、いずれ男爵様の耳にも入ろう。その時が来るやもしれん——覚悟だけはしておくことじゃ」

 わかっている。

 この村の話は、村の中だけじゃ終わらない。

 それでも、今は。

 俺たちの番が、ようやく始まったばかりだった。

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