第十話 誘い火
最初の十数匹は、同じやり方で止めた。
入口の細道。荷車と樽の壁。エルナが栓になり、村人が後ろを固める。
うまくいった——ように見えたのは、最初の数十秒だけだった。
「旦那、横っ!」
ヴァルガの声。
見ると、ゴブリンが荷車をよじ登っていた。一匹、二匹——次々と。小さな体は、人間の壁をあっさり乗り越える。塞いだはずの樽の隙間からも、ぬるりと這い出てくる。
ついさっき、ならず者を止めた壁は、こいつらには、ただの遊具だった。
まずい。
背筋が、一気に冷えた。
ついさっきの正解を、俺はそのまま持ち込んだ。相手が変わったのに、同じやり方を使い回した。
——最悪の状況だ。
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戦線が、崩れる。
エルナが前で必死に薙ぎ払う。一匹斬るたびに、二匹が横をすり抜ける。村人の悲鳴。誰かの腕に、ゴブリンが噛みついた。
数で押される。このままじゃ、村の中まで雪崩れ込まれる。
考えろ。
壁で止まらないなら、止める発想自体が、間違いだ。
俺は、押し寄せるゴブリンを、必死に観察した。データはない。ステータスも見えない。
でも、行動は見える。
あいつらは——統率されていない。隊列もない。命令も聞いていない。
ただ、血の匂いと、村の灯りに向かって、まっすぐ殺到しているだけだ。
一番濃い匂い。一番明るい光。それに、群れ全体が引っ張られている。
頭が、回り始める。
止められないなら、向きを変えればいい。
あいつらが「濃い刺激」に殺到するなら——もっと濃い刺激を、別の場所に作ればいい。
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「セリア!ゴブリンのこと、何か知ってるか!」
俺は、後方で負傷者の傷を縛っていたセリアに、叫んだ。
彼女は、薬草師だ。森の際で、何年も薬草を摘んできた。森のものを、村の誰より近くで見てきたはずだ。
セリアは、一瞬考えて、叫び返した。
「……森のゴブリンは、火を嫌う!それと、群れると目の前のことしか見えなくなる!一度殺到し始めたら、止まらない!」
火を嫌う。一度向いた方向には、突進し続ける。
二つが、頭の中で繋がった。
——使える。
「ハロルドさん!村の油と、燃える物を、全部、東の空き地に集めてください!大きな焚き火を作ります!」
「東!?なぜ村の外じゃなく——」
「説明は後で!今は信じてください!」
ハロルドは、一瞬だけ俺を見て、頷いた。
「……お前を信じる。野郎ども、油だ!運べ!」
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仕掛けは、単純だ。
ゴブリンは火を「嫌う」。だが、群れて殺到している時は、目の前の刺激しか見えない。
なら、まず——村と反対側、東の空き地に、村でいちばん匂いの濃いものを置く。
ならず者が流した血を吸った布。家畜の餌。そして、ヴァルガが囮になって、わざと音を立てて走る。
「血と、音と、動くもの。お前らの大好物だ。こっちだ、来い」
ヴァルガが、村の壁の外側を回り込むように、闇の中を駆ける。群れを村の中へは通さず、外周づたいに東へ引っ張っていく。
群れの先頭が、ぐるりと向きを変えた。村の灯りより、もっと濃い匂い。もっと派手な動き。単純な本能が、まっすぐそっちへ傾く。
群れが、村を迂回して、東へ雪崩れていく。
そして、空き地の入口で、ヴァルガが松明を投げ捨てた。
あらかじめ油を撒いた地面に、火が走る。
ゴブリンの群れが、突進の勢いのまま——燃え上がる炎の壁に、自分から突っ込んだ。
火を嫌う習性と止まれない突進。その二つが、真正面からぶつかった。
絶叫。混乱。群れが、総崩れになる。
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残りは、エルナだった。
炎に怯んで散り散りになったゴブリンを、彼女が一匹ずつ仕留めていく。もう、数の暴力じゃない。バラけた敵を確実に。
最後の一匹が、地に伏した時。
東の空に、白い月が、傾いていた。
村は——守られた。
今度こそ、本当に。
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俺は、その場にへたり込んだ。膝が、笑っていた。
戦えない人間が、戦場の真ん中で頭を回し続けるのは、想像の何倍も消耗する。
ハロルドが、近づいてきた。
「リョウ。お前、なんで東だってわかった」
「ゴブリンの向きを、村から引き剥がしたかったんです。火で正面から止めるんじゃなく、走ってる方向ごと、別の場所へ流す。……正直、賭けでした」
「賭け、か」
ハロルドが、ふっと笑った。
「そう言えば、ならず者と同じ手は使わなかったな」
その一言が、胸に刺さった。
——いや。使おうとした。最初の数十秒、俺はさっきの壁に頼った。そして、崩された。
同じ手は、続けては通じない。相手が違えば、方法も変えなきゃいけない。
当たり前のことを、俺はゴブリンに教わった。
次は、最初から間違えない。
……たぶん、また別の形で間違えるんだろうけど。
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夜が明けて。
村人たちは、誰も死ななかった。怪我人は、何人も出た。腕を噛まれた者、足を抉られた者。
その手当てに走り回っていたのが、セリアだった。
薬草を煎じ、布を裂き、汗だくで、一人ずつ。
だが——薬草と布だけでは、足りない傷もあった。
一番ひどい怪我をした若者の前で、セリアが、唇を噛んでいた。
「……これは、わたしの薬草じゃ、間に合わない。魔法が使えれば。治癒の魔法さえ、使えれば……っ」
彼女の声が、震えていた。
十歳のあの日、青い結晶は、彼女のために一度も光らなかった。
俺は、その背中を見ていた。
付与可能残数——3。
……ああ。
ずっと、待っていた。彼女の隣に、もう一度しゃがむ日を。
仕様書じゃなく、結果で語る、その時を。
それが「今」だ。




