16 重なる鼓動
「……鈴音っ!!」
名前を呼ばれ、逞しい腕に抱きしめられる。熱気を纏う彼の身体は服越しでも火傷しそうなほど熱い。合わさった胸には彼の心音が痛いほど大きく伝わり、背中に回された腕が震えているのに気がつく。
おずおずと鈴音が腕を真宵の背に伸ばそうとしたら、はっと飛び上がる勢いで離れた。両手を上にあげて、鈴音から距離を保ちつつ真宵は謝罪を口にする。
「……すまない。思いっきり抱きしめてしまった。怪我は、痛みはないか?」
悲痛そうに寄せられた眉に、歪められた目元は今にも泣きそうだ。
思わず、鈴音はその胸に頬を寄せた。抱きしめるのはまだ怖いけど、これなら大丈夫。真宵が自分を傷つけないのはとっくの昔に知っているから。
密着すると真宵の心音は壊れそうなほど速く、大きくなる。ゆっくりと肩に置かれた手は、鈴音の心を慮るように優しくて、なぜか涙が溢れ出てきた。
鈴音が袖で目元を拭うと真宵は悲痛に満ちた表情を浮かべた。
「もっと早く気がつくべきだった。もっと早く迎えに行けば怖い思いをさせずにすんだ。もう二度と怖がらせないと誓ったのに守ることができなかった」
すまない、と落ち込んだ声が降ってきて、慌てて鈴音は首を振る。泣いたのは真宵を責めているわけではなく、彼の無事が分かったからだ。
「違うのです。旦那さまがご無事でよかったと思って……」
青空を歪ませた巨大な火柱を見て、身体の芯が冷えていくのを感じた。妖狐のみんなは真宵の炎だと言っていたが、鈴音の胸には一抹の不安が生じた。
もし、あの炎の中で真宵が傷付いていたら。
もし、真宵が生きて帰って来なかったら。
もう二度と会えないとしたら——。
胸中で生まれた不安は、徐々に大きくなり、居ても立ってもいられなかった。
「君は、安心しても泣くのだな」
今度は優しい響きを帯びた声が降ってくる。真宵は自らの袖で鈴音の涙を拭き取ると、そっと顔を上げさせた。
よく晴れた海の瞳が優しい色を宿して、鈴音の目を覗き込む。
「怪我は?」
「私は大丈夫です。夕霧ねえさまたちが助けてくださったから。あの、私の方こそ、ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」
鈴音は深く頭を下げた。
「迷惑だなんて思ってはいない。無事で本当によかった。……さあ、場所を変えよう。ここは危険だ」
真宵が鈴音の背中に腕を回した時、不意に血の香りが漂ってきた。
「旦那さま、どこかお怪我を?」
真宵から離れた鈴音はその身体を観察する。ところどころ破けて、焼け焦げた部分はあるが出血の痕は見当たらない。右腕、上半身、下半身と調べていき、最後に左腕に視線を這わせると前腕の内側部分の布が破けて、血が滲んでいるのを見つけた。
「腕に血が」
「ああ、これか」
玉三郎の氷槍によりできた傷だ。皮膚が裂けた程度なので出血はもう止まっている。
「問題ない。こんなもの、すぐ」
——治る、という言葉をぐっと飲み込んだ。
一瞬、視線を彷徨わせるとそっと腕を持ち上げ、鈴音に見える位置へ持っていく。
「……手当て、をしてくれ」
「ええ、もちろんです」
その腕に手を添わせた鈴音は、微笑んだ。
「すぐに手当てをいたします」
「ことが終わり次第、君の元へ帰るから少し待っていてくれ」
「旦那さまは戻られないのですか」
「俺は妖狐族を治める長だ。こう言う場の指揮は本来、俺自身がとらねばならない」
「でしたら私も……! お手伝いいたします」
駄目だ、と真宵は首を振った。
「鈴音。君は安全な場所で俺の帰りを待っていてくれ」
「けど、私はあなたさまの婚約者です。近くに、いたいです。役に立てるように努力します。だから、どうか……」
「役に立っている。君が屋敷で俺の帰りを待っていると思うと不思議と力がわいてくるんだ。絶対に生きて帰ると柄にもなく考えてしまう。……だが、君が危険な場所にいると考えただけで、俺は冷静さを失ってしまう。万が一でも傷付けられたら、俺はきっと傷付けたそいつを、そいつの家族も全員許さない」
想像してか、真宵の周辺の空気は刺々しいものへ変わっていく。
「俺のことを思うのであれば、屋敷で待っていてくれ」
「……あの、でしたら約束してください。隠し事はしないと」
つま先立ちになって、青色の瞳を覗き込む。
そこに映る自分には以前のような弱さはない。一族の長の婚約者としていついかなる時も毅然とした態度を貫き、彼を支えなければいけないのに、真宵の言葉を噛み砕き、自分の意思と擦り合わせて、わがままを言ってしまう。
ただの欲深い人間が映り込んでいた。
「もちろんだ。約束しよう。今後、鈴音に対して隠し事は一切しない。聞かれたことにはきちんと答えるし、嘘はつかない」
視線が交差する。自分を想う優しい瞳と。
鈴音はわがままを飲み込むと頷いた。
「どうか、ご無事で。お屋敷で、あなたさまのおかえりをずっと待っております」
自分ができるのは無事を祈ることだけなのだから。




