15 真宵の婚約者として
「逃げた化け狸を捕えろ!! 逆らうやつは殺してもいい!!」
喉が裂けそうになりながらも樒は大声で指揮をとる。炎に怯えた妖狸は変化を解くと我先に一目散に逃げようとしていた。ここで一匹でも逃せば、その悔恨はまた別の脅威となって、真宵たちに襲いかかるだろう。
そんな芽は早いうちに摘んでおきたかった。
「ちっ、数が足んねーよ! さすがに俺たちだけじゃキツいって!!」
巨大な狐の姿となった英は妖狸の腑を食いちぎりながらぼやく。その口吻は多くの妖狸を喰らったからか真っ赤に染まっていた。
「食べるのは後にしたら?」
夏椛はため息をつきつつ、姉である緋花とともに降参を申し出た妖狸たちを捕縛する。
「化け狸の肉は癖になるんだよなぁ」
「まずいじゃん」
「んーそうか? 歯応えよくて俺は好きだけどな」
英は臓腑に鼻先を突っ込むとその奥にある骨を噛み砕き、咀嚼する。
その様子をドン引きした表情で見ていた夏椛は、嫌そうな声音で樒に話しかけた。
「樒さん、こいつやる気ないですよ」
「英、君ね。お腹が空いたのは分かるけど、まずは捕縛してくれないかい?」
「えー、でもさぁ、あー、なんか大丈夫じゃない?」
空に鼻先を向けるとふんふんと匂いを嗅ぐ。
「里のみんな来てるっぽいし」
獣型は人型よりも嗅覚が鋭い。英がそう感知したのなら、もうじき増援が訪れるだろう。
「あっ、あと人間と鬼っぽい匂いもする。だいぶ遠いけど、こっち向かっている感じだな」
小石に化けて逃げようとした妖狸を踏みつけながら樒は「は?」と言った。人間と鬼族の組み合わせで思い浮かぶのは、たった一組だ。嵐のように周囲を破壊し尽くす女とそれを諌めるがまったく意味のない鬼のふたり。
(まさか、鈴音ちゃんを取り戻しに来たのか?)
思わず、頭痛がして眉間を押さえた。
「……いや、手が増えるのはありがたい」
樒は自分に言い聞かせた。炎が周囲の山に飛び火しないように消火活動をしながら、万を超える妖狸の残党を捕獲するのは四人では無謀に近い。潔子はともかく、蘭丸は常識も兼ね備えており、剛腕を持つ鬼。彼がいれば百人力以上の力になるだろう。
(三条の娘さんを制御できればね)
最悪、蘭丸の許可を得た上で幻覚でもみせて眠らせようと考えた。
と同時に樒の鼻も同族の匂いを察知した。英の言う通り、少しして人間と鬼の匂いも伝わってくる。
「え、なんで鈴音ちゃんが来てるの?」
そこに混じるよく知った香りに思わず頓狂な声を出す。幻弥に安全な場所へ連れて行くように伝えたのに、なぜ戻って来たのか考えていると幻弥を含む妖狐たちが現れた。
先頭に立つ壮年の妖狐——槐は樒の姿を視界にとらえると一礼した。
「梅蕾から事情は聞いた。指示を」
「化け狸の捕縛。逆らうやつは殺せ。火が森に移らないようにしろ」
槐は父と同い年だが、尾の本数は樒の方が多い。里の中でも実力主義な彼は、樒を上と認めているため、淡々とした口調での命令をされても苛立ちひとつ見せず、頷いた。
槐の指示の元、四方に散らばる同族を横目に見ながら、幻弥の名前を呼んだ。
「ねえ、鈴音ちゃんは安全な場所に連れて行ったよね?」
「はい。鬼族の長が来たので、彼にお願いしました。任せろ、と言ってくれましたので」
「……こっち、来ているみたいなんだけど」
えっ、と幻弥は匂いを確かめるように鼻を動かし、顔を青褪めた。
「なぜ」
「私が聞きたいよ」
今から誰かを向かわせても無駄だ。蘭丸に抱えられ移動しているようで、あと数分もしないうちにこちらに合流するだろう。
「幻弥、鈴音ちゃんが来たらこれはみえないようにしてあげて。必要なら幻術をかけてもいい。あと、炎にはあまり近づけないで。人間は私たちみたいな耐性はないから」
未だ燃え続ける屋敷、炎に焼かれ死んだ妖狸に肉を喰われ瀕死の重症を負った妖狸たち。この光景を見た彼女が、自分のせいだと心を痛めないように隠せと樒は硬い声で命じた。
※
蘭丸の腕から地面に降り立った鈴音は、遠くに樒の姿を見つけると潔子たちの静止を無視して走った。屋敷に近づけば、近づくほどに熱波が皮膚を焼き、眼球や口内の水分が蒸発し、微かな痛みが走る。
それでも、駆ける足は止めない。
「夕霧ねえさまっ!!」
真宵の安否を問おうとした時、幻弥と呼ばれていた妖狐の青年は、御殿がみえないように両手を広げて立ち塞がった。
「止まってください。この先は危険です。どうして、戻って来られたんですか?」
「旦那さまはご無事ですか?!」
「ええ、おそらくは。まずは、こちらに。炎から離れましょう」
くるりと方向を変えられ、外れにいる潔子たちの元へ背中を押されて連れていかれそうになり、鈴音はその手を振り払った。
幻弥は驚いた目で鈴音を見下ろした。
「い、いやです!」
胸の前でぎゅっと拳を握り締め、鈴音は絞り出すように声を上げた。喉が熱波でひりつく。
それでも、ここで退くことはできない。あの頃のような空っぽだった自分にはもう戻りたくはない。
「わ、私は真宵さまの婚約者です! ……あ、あの方の無事を、何も知らぬまま遠くで祈っているなんて、もう嫌なんです!」
誰かの言葉通りに動き、己の輪郭すら危うげだった自分はもういない。真宵から〝自由にしていい〟と言われたあの日、変わることを決意した。
少しずつでもいい。自分の思うことを口にして、行動に出す。真宵は決して突き放さないと分かっているから。
「戦えません、足手まといかもしれません。それでも、あの方が傷を隠して笑うなら、その嘘を見抜ける場所にいたい。……ただ待っているだけの〝お人形〟には、もう戻りたくないんです!」
困惑に揺れる幻弥の瞳を、鈴音はまっすぐに見据えた。
「……と言われましても」
困ったように幻弥が頬を掻いていたが、ふいに背後へ視線を向けた。その瞬間に、彼の瞳が驚愕に大きく見開かれる。形のいい唇が「真宵さま」と言葉を紡ぐ。
燃え盛る炎の中から現れた真宵は、周囲を見渡して、鈴音の姿を見つけると走り寄ってきた。




