14 炎と氷
「久しいのぅ、狐の小僧」
軽やかな動作で板の間から飛び降りた玉三郎は顎に手を置くとにやにやと口角を持ち上げた。廊下を埋め尽くしていた水は消え去り、代わりに周囲の温度が下がっていく。吐く息が白く濁り始めると天井からは、ふわふわと雪が降ってきた。
「隠神刑部狸よ。俺は今、自分を制御することができない」
雪は勢いを増して吹き荒れて、やがて氷塊となる。
カツカツと床や壁にぶつかる音が嫌に大きく響いた。
「謝罪は受け入れられない」
「別に構わんさ。儂とてお主からの謝罪を受け取ろうなどと考えたこともないわい」
なにを謝罪する必要があるのだろうか、真宵が片眉を持ち上げる。
「我が同胞が少し前にお前らに殺された。生き残ったのは伊紗那だけ。……まさか、忘れたとは言わせんぞ」
「討伐対象になるようなことをしでかすからだ。山奥で大人しくしていればよかったものを」
真宵は右手を持ち上げた。玉三郎の足元に発生させた炎を蛇のように細く操り、その身体を縛ろうとした。
しかし、玉三郎の身体に触れた途端、涼やかな音をたてて炎は凍り付いてしまった。
「ひょっひょっひょっ!! 無駄じゃ、無駄じゃ! 水で掻き消せぬ炎ならば凍らせてしまえばよいだけのこと」
凍りついた炎は、玉三郎が動いた拍子に割れて砕け散る。
炎の形を保ったまま凍りつくなど、あり得ない現象だ。噂通りの厄介な能力だ、と真宵は舌打ちした。
だが、おそらく使用可能な範囲は狭い。そうでなければ、巨大な氷柱で真宵を貫くことは可能だろうに。
このまま周囲をまとめて燃やし尽くしてやりたいが、まだできない。樒たちが無事に鈴音を連れていくまで、時間を稼がなくてはならない。
「冥土の手土産に安心させてやろうぞ。あの娘御は伊紗那の花嫁にする」
「——あ゛?」
「儂ら妖狸が、お主ら妖狐に代わって人間との協定とやらを守ってやるから安心せい」
「笑えない冗談だ」
言い終わるや否や真宵の周囲を高密度の火球がいくつも出現した。周囲の温度が一気に上昇する。炎に高い耐性を持つ真宵ですら呼吸するのがやっとの中、玉三郎は自身の周りに氷柱を発現させた。
熱気と冷気が激しくぶつかり合う。
どこからともなく風が巻き起こった。
真宵が手を薙ぎ払うと火球は爆ぜながら玉三郎の元へ飛んでいき、突如として現れた氷柱とぶつかった。
「小賢しい! 母親にそっくりだな!」
唾を飛ばしながら、玉三郎は血走った眼で真宵を睨みつけた。真宵の母——玉藻によって辛酸を嘗めた過去を思い出しているのか眼球はこぼれ落ちそうなほど見開かれ、肩で荒く息継ぎをしている。
玉三郎が腕を伸ばすとその手の先に氷の槍が現れた。投げられた槍がまっすぐに真宵の元へ飛んでゆき、その胸を貫く直前、火の壁が立ち昇る。
「ぐぬぬ……!! ええい! 本気でやらんかっ!!」
激昂した玉三郎は新たに作り上げた氷の槍を次々と真宵へとぶつけた。
怒りのあまり能力をうまく制御できていないのだろう。いくつかの氷の槍は火の壁にぶつかる前に霧散する。
それを真宵の力だと思い込んだ玉三郎が癇癪を起こして、地団駄を踏んだ時、
「真宵!!!」
屋敷の外から樒の叫ぶ声が聞こえた。
ようやくか、と真宵は口角を持ち上げた。
「鈴音ちゃんは無事に避難させた!! 私たちも避難するから、手加減はいらない!!」
真宵の頬に微かな笑みが乗る。鈴音が怪我もなく、安全な場所にいることに心から安心を覚えた。一刻も早く現場を収め、様子を見に行きたい。
そのためにはまず、目の前の化け狸を討伐せねばならない。
「本気を出せと言ったのはお前だ。後悔するなよ?」
—— 轟ッ!!
と派手な音をたてて赤い炎が真宵の周囲に円を描くように現れた。次第に色は青く、純度を高めていき、やがて白い炎と化した。それに伴い音も静かになる。
異変に気が付いた玉三郎が氷の鎧に身を包み、氷の円蓋を作り上げる。その内側に潜り込んだのを確認してから真宵は妖力を解放した。
澄んだ白焔は玉三郎を守る氷を喰らわんと唸りをあげながら、屋敷を飲み込んでいく。柱や壁、大地の全てを——。
「お前の氷と俺の炎、どちらが長く続くか勝手に耐久でもしていろ」
氷の壁に閉じこもった玉三郎を一瞥してから、真宵はこの場を立ち去った。




