最終話 また最初から
一週間前の騒動が嘘のように、鮮やかな夕映えが西の空を染めていた。
昼間から夜に色を変えつつある空を幾羽もの鴉が飛び立ってゆく。ひらりはらりと舞い落ちる羽根が鈴音に降りかからないように袖を傘のように持ちながら、真宵は彼女の小さな歩幅に合わせて連れ添った。
向かうのは妖狸が根城に選んだ山だ。真宵の炎によって焼け野原となり、数多の血が流れたあの場所に、鈴音を近づけたくはないのが本音だが、本人の強い要望と真宵が彼女の願いに弱いことから、事態が収束してからと約束を結んでしまった。
(化け狸どもを弔う必要などないのだが)
鈴音はいつもの和装姿だが、髪を飾る装飾品はなく、着物も紺色の控えめな色を選んでいた。その手には菊の花束が握られている。
人間の風習を学びはじめたが、彼らは死者を弔う際は喪服を着て、菊の花で死者の周りを飾り、招いた徳が高いという僧侶にお経を唱えさせ、天国と呼ばれる極楽浄土へその魂が渡るように願うという。
それを、簡略とはいえ妖狸相手に行うなど、有り体に言えば嫉妬で頭がどうにかなってしまいそうだ。奴らが鈴音を攫ったのがそもそもの原因なわけで、それなのに鈴音が心を痛める必要も奴らのことを考える必要もない。
けれど、こんな悋気を悟られたくない真宵は、黙って従う。
「……もう一週間も経っているのに、昨日のことのように思い出すのです」
焼け焦げた大地の前で足を止めた鈴音は、静かな声で喋りだした。手に持つ花束を地面に置くと、そのまましゃがみ込み、両手を合わせた。
その横で、真宵も真似をする。
「私、化け狸さんだと分かってあの子を助けました。でも、そのせいでこうなってしまったと、もっと他に道はあったのではないかと思うのです」
「違う。俺がやつを始末していても復讐のために奴ら化け狸は君を狙ったはずだ。……俺は、恨みをたくさんかっている。だから、鈴音が気に病む必要はない」
「……私、いい人間であろうとしてしまうんです」
鈴音が瞼を持ち上げると遠くを見つめる。
「この眼だから、今以上に父を失望させないように、母を悲しませないようにと。少しでも善人に見られるように優しくして、嫌われないようにしてしまうんです」
「それのなにが悪いことなんだ」
「短い間ですが、妖狐のみなさまと接した時、私なんかが婚約者でいいのかと思ってしまって」
「いいに決まっている!」
思わず、真宵は大声を出した。
鈴音が驚きに目を丸くさせるのを見て、すぐに声を小さくさせる。
「なぜ、そう思ったんだ」
「みなさまは旦那さまのことをお慕いしています。あなたさまの役に立ちたいと心の奥底から思っているのは、側から見ていてわかります。そこには打算なんてありません。私、……私は打算ばかり考えてしまいます」
否定しようとして、真宵は口を噤む。ここでまた感情のままに大声をだせば、鈴音は心を閉ざしてしまう気がした。
「私には帰る家などありません。もし、旦那さまに捨てられたらどうしよう。子どもができれば、もうあんなことしなくてもいい、居場所だけはできる、と。こんな不純なことばかり、考える私がみなさまに慕われる旦那さまの婚約者でいいのかと。もっと、他に相応しい人がいるのではないかと時折、考えてしまいます」
「打算なのは、俺のほうだ」
今にも消え入りそうな声で真宵は吐露する。
「君にひどいことをした」
最初は政略結婚の目的を早く達成したいあまり、怖がっているのを承知で無理やり抱いた。大妖は子どもを成すことが困難であり、子どもができれば妖魔と触れ合う必要がないから鈴音もその方がいいと思い込み、それを免罪符にしていた。
「償うこともできない。どれほど謝罪しようと、許されないことをしたと思っている」
自分は過ち重ねすぎた。白紙に戻すことなどできないほどに、鈴音の心を身体を傷付けた。
「これ以上、嫌われたくはなかった。触れるとまた君を傷付けてしまうと思った。君が婚約を破棄したいと言い出したらと思うと恐ろしくて、たくさんのものを贈れば少しは留まってくれるのではないかと考えたんだ」
瓊眞から贈り物が有効だと聞いた時、真宵はすぐに実行に移した。人間が使う紙幣は討伐の依頼をこなしたため、たくさん手元にあった。鈴音が喜ぶものなど、何一つわからないが自分なりに考えて帝都まで行き、商品を購入した。
櫛を直して手渡した時のように笑って欲しくて、似たものを買った。美しい黒髪に赤が映えると思い、紅玉色がはめ込まれた金簪や髪留めを。人間の娘はおしゃれが好きだと聞いたから化粧品や着物を。殺風景な部屋を少しでも明るくするため、花瓶や人形を。
今までの償いを含めて、鈴音の心を引き留めるためにたくさん買った。
「俺は最低だ。変わりたいと思っても、簡単に変わることなどできなかった」
このまま婚約が続けば来春、晴れて正式な夫婦となる。
それまでは指ひとつ触れないと、怖がらせないと誓った。
それなのに無事なことが嬉しくて抱きしめてしまった。本人は否定していたが妖狸に攫われて、化かされたのは恐ろしかったに違いない。
「樒——俺以外と婚約し直した方が君も幸せだと分かっている。それでも諦めることなどできない」
真宵は手を伸ばした。膝に置かれた鈴音の手をとる。
「無理を承知で頼む。もう一度、やり直しをさせてくれないか」
「やり直し……」
「次は、いい婚約者になる。だから、頼む。捨てないでくれ」
懇願するように目をきつく閉じる。
沈黙が耳に痛い。緊張からかじわりと体温が高くなる。
しばらくして、鈴音が「目を開けてください」と言った。
恐る恐る、瞼を持ち上げた真宵は、目を見張る。長らしからぬ気弱な言動に呆れていると思っていたのに、鈴音は頬を染めて微笑んでいた。
重ねられた手を引かれて、立ち上がる。
「私の名前は鷹司鈴音です」
それは、出会った時の台詞。
「不器用で、優しい旦那さまの婚約者になれたことを誇りに思います。不束者ですが、旦那さまの良き妻となれるように精進して参ります」
真宵が冷たく一蹴し、蹂躙したあの日からもう一度、やり直そうとしてくれた。
「こんな私でも、妻として迎え入れてくださいますか?」
ああ、と真宵は頷いた。彼女の手を壊れ物を扱うように、けれど決して離さないという強さで握り締め、真っ直ぐにその瞳を見つめた。涙で歪む視界の中で、微笑む鈴音に語りかけるようにあの日、自分が言えなかった言葉を口にする。
「妖狐族を統べる真宵だ。……俺は、君が思うほど高潔な狐じゃない。打算的で、臆病で、物で君を縛り付けようとした卑怯者だ」
妖狐としての矜持を投げ捨てて、人間の女に許し乞いをする姿を見た同族はきっと真宵を嘲笑うだろう。
けど、それでいい。矜持なんていらない。長の座もいらない。鈴音が自分の隣にいてくれるなら——。
「だが、この命が尽きるまで、鈴音に相応しい旦那になれるよう足掻き続ける。だから、どうか、俺の隣でずっと笑っていて欲しい」
最後までご愛読いただき、ありがとうございました。
両親との確執や真宵との関係など、まだまだ書きたいところは山ほどありますが、キリのいいところで一旦、完結とさせていただきます。またいつか続きを公開できたらいいな、と思っています。
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