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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
文月の頃

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12 混乱を期す


 突き飛ばされて、地面に尻もちをついた伊紗那いさなは遠くなる背中を呆然と眺めた。


「……なんで?」


 都羽とばねの見立てでは、妖狐がかけたという幻術は時間の経過とともに術式が弱まるため、書き換えることが可能だという話のはず。御殿ごでんに引き続き、今は庭園を案内している。それに途中から多くの兄姉けいし伯叔父母はくしゅふぼたちが手助けに来てくれた。

 全ては完璧だった。鈴音にかけられていた妖狐の呪詛じゅそは解けて、伊紗那を婚約者だと信じてくれた。

 それなのに嫌だと拒絶された。誰、と不安に濡れる眼で見られた。

 あまりの衝撃に動けないでいる伊紗那に、水中から顔を覗かせた鯉がからかうように話しかけた。


「あらぁ、ふられちゃったわね。伊紗那ちゃん」

「うるさいな! 姉さんがきちんと化けてくれないからだろ!!」

「ひどい子ねぇ。あたしはちゃんと化けていたわよ」

「してないっ! なら、なんで鈴音さんは気がついたんだよ?!」


 親子ほどに離れた姉を怒鳴りつけながら、伊紗那は立ち上がった。

 変化を解いた家族が駆け寄ってくる。伊紗那は悪くない、妖狐が狡猾こうかつだから失敗した、すぐに鈴音を捕らえてくる、と心配そうに声をかけてきた。


「妖狐め!!」


 悔しさから奥歯を噛み締める。肉を切ったのか血の味が広がった。


「伊紗那、もう一度やり直すぞ」

魅晴みはるにぃ、でもまた失敗したら……」

「その時はもう一度始めればいい。とりあえず、今は娘御むすめごを——っ!」


 魅晴は背後から振り下ろされた鉄槌を腕で受け止めた。

 咄嗟のことで変化が間に合わず、受け止めた腕がひしゃげた。痛みに耐えかね、苦痛の吐息を漏らした魅晴は伊紗那を庇いながら侵入者を睨め付ける。


「おい、花嫁御寮(ごりょう)はどこにいる?」


 金色に輝く毛並みにぎらぎらと光る柘榴ざくろの瞳を持つ妖狐の雌は冷めた目で魅晴を見下ろすと、もう一度鉄槌を持ち上げた。




 ※




 水鉄砲の如き勢いで近づいてくる波を見て、真宵は片腕を持ち上げ、振り払った。密度を高くした炎の壁が廊下を塞ぐ。

 炎の壁を見た隠神刑部狸——玉三郎は、にっと口角を持ち上げると水を操り、ぶつけた。激しい濁流は燃え盛る炎とぶつかり、すぐさま蒸発し、あたりは水蒸気に包まれた。


「……っ熱」


 もうもうと広がる水蒸気から身を守るため袖で顔を覆った樒は、薄く目を開けてふたりの動向を観察する。玉三郎に幻術は効かないとしても隙を作ることはできるはずだ。少しでも真宵の手助けをするために機会を伺っていると、真宵は左を指差した。


「お前たちは鈴音の元へ行け。あっちから気配がする」


 強敵が目の前にいても真っ先に鈴音の心配をする真宵に、思わず笑いそうになるのを我慢して樒は頷いた。幻弥げんやの腕を引っ張ると指がさされた方向へ駆けていく。


「……なんていうか。真宵さま、雰囲気が変わりましたね」

「それほどまで大切ってことだよ。あ、幻弥。いいかい。鈴音ちゃんを傷付けたり悲しませたりすると真宵、本気で怒るから気をつけてね」

「ええ、街中で獣人姿になるのを見てから、花嫁御寮には逆らってはいけないと学びました」


 その時のことを思い出したのか幻弥は青褪めた顔をした。


「鈴音ちゃんに怖がる必要はないよ。ちょっかいをかけなければ、真宵も怒らないから」


 とはいえ、妖狐族の大半はちょっかいをかけるだろうな、と樒は思った。強者を好む性質を持つ妖狐は、圧倒的な実力者であり血統のいい真宵に心酔している者が多い。その彼が人間の少女を大切にしている事実を簡単には認めないだろう。桔梗のような陰湿な嫌がらせは行わないだろうが、真っ向から決闘を挑み、そしてそれを知った真宵が怒り出す未来が見える。両者の仲裁に走り回る自分の姿もありありと浮かび上がり、樒は内心でため息をついた。

 廊下を曲がったところで「あっ」と幻弥が声を上げた。


「言い忘れていたのですが、真宵さまの元へ報告へ伺う前に里に寄った時、緋花ひばなちゃんが遊びに来ようか迷っているのをみました」

「緋花が? 遊びにって珍しいね。桔梗の追放を聞いていなかったのかな」


 桔梗が花嫁御寮に害を与えようとしたので断尾だんびして追放したのは里に報告したはずだ。もう二度と馬鹿をする者がいないようにと真宵が怒っていたので、里中に広めるようにと伝えた。真宵の側近を務めていた緋花が知らないはずがない。

 実力主義である緋花と美貌第一の桔梗は仲がいいわけではないが、同い年に生まれたためか時折話しているのを見かけた。緋花が用事もなく遊びにくるなど、桔梗以外考えられない樒は首を捻る。


「樒くんに会いに来ようとしていましたよ」

「私に? 話すことなんてないのに」


 幻弥は白んだ目を送る。


「樒くんが里帰りしないからでしょう」

「する理由がないし。しても意味がないからね」

「それ、緋花ちゃんに言っては駄目ですよ。絶対に。はなぶさくんに背中を押されていましたから、もしかしたら」


 その時、庭園の奥から鈍い音が聞こえた。混じるように響くのは妖狸ようりの悲鳴と高らかに響く女狐の笑い声。


「来ていますね。緋花ちゃん。あと、英くんと……夏椛かなぎくんの気配もありますね。面白そうだからついてきたのかな」

「戦闘馬鹿三匹か」


 樒は頭を抱えた。戦闘能力は高いがいかんせん短気な三匹は、おそらく蘭丸から事情を聞いて駆けつけたに違いない。里へ報告している可能性は低いだろう。


「あと、誰か近づいてきます」


 くん、と幻弥は鼻を動かした。


「花嫁御寮でしょうか。妖狸と妖狐の匂いが入り混じっていて、うまく嗅ぎ分けれません」

「いや、鈴音ちゃんで間違いない。逃げ出したのか?」

「へえ、妖狸から逃げられるなんてすごいですね」


 鈴音の匂いは徐々に近づいてくる。その背後には多くの妖狸の匂いもべっとりと纏わりついていた。


下衆げすが」


 樒は吐き捨てた。たった一人の少女相手に大人気ないと。




 ※




 ——逃げなければ。


 足がもつれて転んでも、鈴音はすぐに起き上がり長く入り組んだ廊下を走った。背後からは自分を連れ去った妖魔たちが追いかけてくる。彼らに捕まってはならない。振り返ることもせず、ただ懸命に足だけを動かした。


(でも、限界……)


 荒くなる呼吸に連動して、心音も激しくなる。霞む視界の中、遠くに現れたのは、


「……ゆうぎり、ねえさま?」


 鈴音は瞬きを繰り返した。現れたのは夕霧ではない。美しい男だ。金の糸を紡いだ髪に翠緑すいりょくの瞳を持つ青年は、鈴音の姿を視界にとらえると安心したように目元を緩ませた。


「鈴音ちゃん、よかった!」


 伸ばされた手が触れる直前、鈴音はその手を突き返した。この青年はもしかしたら妖魔の仲間かもしれない。こうやって、自分を油断させてまた催眠術かなにかをかけるのだと思った。

 胸の前で手を重ね、どうにか逃げる道はないか探す。引き返すのは駄目だ。妖魔がすぐ迫ってきている。かといって、この青年を押し除けて進むこともできない。横道もない。

 恐怖で混乱している鈴音を安心させるべく、青年は床に膝をついた。目線を低くして、優しい声音で語りかける。


「落ち着いて、私たちは真宵に言われて君を助けにきたんだ」

「……旦那さま、から?」


 その名前を聞いて鈴音はやっと落ち着きを取り戻した。


「そうだよ。真宵ったらね、待っていられなくて君を迎えに行ったんだ。そこで君が攫われたことを知って、ひとりで乗り込んでさ。私たちも慌てて追いかけてきたんだ」


 柔らかく微笑むその表情は、夕霧と重なる。性別も体格も、喋り方や声質もまったく違うのに。

 あっ、と背後を振り返った。自分は妖魔から逃げていたことを思い出した。


「……あ、れ?」


 背後には儚げな青年が立っていた。その足元にはふわふわの茶色の毛玉がいくつも転がっている。


「もう、大丈夫。奴らは眠らせたから、もう逃げなくてもいいよ」


 安心したからか足に力が入らない。その場にへたり込んだ鈴音は胸を押さえた。


「……ごめんなさい。迷惑をかけて、ごめんなさい」

「謝らなくて大丈夫。……ああ、足、捻ったのか。少し、ごめんね」


 と言って青年は鈴音を抱き抱えた。密着する身体に最初は緊張し、固まるが鼻腔をくすぐる懐かしい香りに鈴音はぱっと顔を上げた。


「夕霧ねえさまは、男性でしたの」


 その言葉に青年は固まった。違う、と否定する前に儚げな青年がからかうように口を挟む。


「どうします? 女装趣味がバレてしまいましたね」

「君が言うと冗談に聞こえないからやめてくれないかい?」


 睨みつけると深呼吸をして、青年は鈴音の目を見つめた。


「騙していて、ごめんね」


 いいえ、と鈴音は首を振る。


「夕霧ねえさまは、とても優しいお方ですもの。私のために嘘をついてくれていたのは、わかっておりました」

「いつから」

「山で出会った日から、不思議な人だと思っていて、一緒に暮らすうちに妖狐だと思ったのです。男性とは、思いませんでした」


 微笑みを消すと眉尻を落とした。


「あの、旦那さまはご無事ですか?」

「ああ、もちろん。真宵が負けるはずないさ。さあ、私たちは安全なところに避難しよう」


 よかった、と鈴音は安堵した。


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