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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
文月の頃

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07 怒りの炎


 こんなにも怒りを覚えたことはない。

 真宵がこの世に生を受けて百七十年余りで初めてのことだった。ふとした拍子に少しでもたがが外れてしまえば、自分でもなにをしでかすのか分からない。無理やり連れて行ったくせに約束を守れない三条の女に鬼族の長、こちらを恐怖で濡れた目で見つめる野次馬たち、彼女を連れ去った妖狸ようりを八つ裂きにして、灰になるまで燃やしたい衝動に駆られる。

 そして、彼らを信用し、預けた自分に一番怒りがわいてくる。本人が友達と行きたいと願っても止めるべきだった。例え、嫌われることになっても彼女の安全が第一だ。恨みを買う自分の婚約者である彼女をよく思わない妖魔は多いのだから。

 全ては自分の浅慮せんりょが招いたことだとしても、身の内を支配する怒りをぶつけるべく、震える子狸へと手を伸ばした。


「言え。どこにいる」


 子狸の首を掴み、持ち上げる。人間よりも硬い肌に指が沈み、相対するように子狸の顔色が悪くなる。気道が締まったことで酸素が吸えないのだろう。汚らしいことに口の端からよだれを垂らしながら、眼球は今にも裏返りそうだ。

 それでも子狸は真宵の手を離そうと爪で引っ掻き抵抗を見せた。

 これでは会話もできない。子狸から鈴音の居場所を聞き出さなければいけないと分かっているのに、怒りが制御できない。真宵の意思に反して指が子狸の首をへし折ろうとした時、


「真宵っ!」


 どこからか現れた樒が真宵の腕を掴んだ。


「落ち着け、鈴音ちゃんの安否を問うのが先だ!!」


 その名前に、少し冷静さを取り戻した真宵は手の力を抜いた。

 解放された子狸は喉を抑えて激しく咳き込んだ。その様子を真宵は黙って睥睨へいげいする。


「心配になって着いてきて正解だったよ」

「軽口はいい。早くしろ」

「分かったから、早く人型に戻りなよ。その姿は目立つ」


 舌打ちしてから意識を集中させていつもの姿へ戻る。

 それを見届けてから樒は地面に膝をつくと子狸と視線を合わせた。妖狐と同じく、妖狸は幻術への耐性が高い。普段のやり方では口を割らすことは不可能だと踏んだのだろう。


「君が熟練の妖狸ではなく、未熟で助かったよ」


 子狸は空虚くうきょな目で空を見上げた。だらりと力なく垂れた手足に開いた口。——樒の幻術にかかっているようだ。


「鈴音ちゃんは無事かい?」


 はい、と子狸は回答した。呂律ろれつが少しまわっていない。


「怪我、モ、ありませ、ん。ぶ、無事に、連レ、かえリまし、た」

「なぜ攫った」

「伊、さナさま、が、望む、から。ど、どう物園で、逃しテ、鬼、を遠ざ、ケ、ました」


 イサナという名前には聞き覚えがない。樒も同じようだ。


「どこへ連れて行った」

「あ、ッちに」


 子狸は折れていない方の腕を持ち上げて、東南の方角を指差した。




 ※




 増援を呼ぶべきだという樒と鬼族の役立たずを置き去りにして屋根の上を走り、庭を突き抜けて、東南の方角へ向かっていた真宵は木の上で足を止めた。獣臭が強くなり、鼻腔びこうをつく。不快や臭いに微かに混じる甘やかな香りに、子狸の言うことは嘘ではないと悟り、少し安心を覚えた。

 血の臭いはしない。鈴音は無事のようだ。

 そのまま、臭いの道を辿るように山へ入っていくと大きな屋敷が見えた。山の地形を無視して作られた屋敷は、おそらく妖狸のまぼろしだ。やつらは集団で幻術を使うため、範囲も効果も桁違いのものを時に生み出す。


(どこにいる?)


 鈴音の匂いを辿ろうとしても屋敷全体が狸臭くて細部まではわからない。

 炎で全部を燃やすこともできない。範囲が広ければ、繊細な操作性が求められる。万が一にも鈴音が火傷を負うような事態は避けたかった。

 ならば、真っ向から向かうしかないだろう。

 そう結論に至った真宵は、まずは番所にいた妖狸を燃やし殺した。全身を包み込むように炎を発生させて、悲鳴すらあげる間もなく喉を、胃の腑を焼く。地面を転げ、のたうち回る姿を見ても憐憫れんびんすら覚えない。

 元はと言えば、妖狸が鈴音を攫ったのが悪いのだから——。


「どこにいる?!」


 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。騒ぎを聞きつけた妖狸は一匹残らず灰にした。辺りには百をゆうに超える死体が転がっている。

 玄関先や庭、廊下で殺した妖狸の数を含めれば五百は行くだろうか。

 それでもまだ狸臭い。まだ、怒りは収まらない。

 死体を踏み潰しながら屋敷を駆けていると探し求めていた香りが鼻腔びこうをくすぐった。考えるよりも先に足が動いた。


「ここにいるのか?!」


 松が枝を伸ばす襖を蹴破ると四十畳ほどの広さの部屋の中で、三匹の妖狸に囲まれた少女がうずくまり、袖で顔を覆っていた。薄水色の袖口は涙で色が濃くなっている。

 少女は肩を揺らすとおずおずと顔を持ち上げ、真紅の瞳に真宵の姿を映しとった。


「……旦那さまっ!!」


 不安そうな顔が真宵を見て、一気に綻んだ。

 妖狸たちの手を掻い潜り、真宵の懐へ飛び込むと胸に額を擦り付ける。咄嗟のことで真宵はたじろいだ。細い肩に手を置き慰めることもできず、両手を宙に掲げた。


「ああ、よかった。旦那さまは来てくださると思っていました」


 涙で濡れた声は震えていた。


「……すまない。無事か?」


 ゆっくりと肩に手を置いて、鈴音と目を合わせると彼女は「はい」と頷いた。

 そして、また真宵の胸に顔をうずめる。

 鈴音らしからぬ行動だ。いつもの彼女なら真宵に抱き付かず、耐えるように心を押し殺していた。


(——誰だ?)


 ふと心を過ぎる疑問を吹き飛ばす。妖狸に攫われたのだから鈴音が恐怖のあまり、真宵を頼ったのだろう、と自分に言い聞かせた。


「少し我慢していろ」


 左手で鈴音の頭を抱き寄せる。心優しい彼女は、自分を攫った相手だとしても傷つく姿を見るのは嫌がるはずだ。これ以上、その心が傷を負わないように袖で視界を覆い隠した。


「——さて。覚悟はいいな」


 真宵は三匹の妖狸を睨みつけた。

 雌の妖狸が不安そうな目で一番若い妖狸の名前を呼んだ。伊紗那、と。

 その名前を聞き、真宵は眉を跳ね上げた。


「お前、あの時の妖狸だな」


 吐き捨てるように言う。姿形は異なるが二ヶ月程前に真宵が見逃した子狸と同じ気配がする。


(ああ、そうか。()()同じか)


 真宵は口角を下げた。

 この子狸——伊紗那は鈴音の優しさに触れたことで彼女に惚れたのだろう。

 そして、真宵にしいたげられている彼女を救うべく、故郷に帰り、同族を引き連れて、このような愚かな行動をとった。


「なんなんだよ、お前は! 傷付けることしかできないくせに、なんで僕の邪魔をするんだッ!?」

「お前と同じだから」


 は? と伊紗那が口を開く。

 その隙を狙って真宵は炎を発生させた。鈴音は今は腕の中だ。周囲を気にせず、力を解放する。轟々《ごうごう》と大きな音をたてていた炎はやがて静かになり、白く冷たい色を帯びる。炎の中心部で、伊紗那の影が踊った。右へ、左へ。手で宙を掻くように。時には喉や胸を掻きむしり、苦痛にうめく。

 伊紗那を救おうとする二匹の妖狸も炎の海で包み込む。三匹が踊る影をさげすんだ目で見つめ続けた。

 やがて三匹の身体は地面に伏せて動かなくなった。もう息絶えたのは分かっていても、炎を消すことはしない。怒りはまだ収まらない。

 このまま屋敷全体を燃やしてやろう、と真宵が画策かくさくしてると鈴音が不安そうに顔を持ち上げた。


「旦那さま、もう帰りましょう」


 鈴音はちらりと背後を一瞬だけ振り返り、黒焦げになった三匹を見て、眉を寄せた。


「一秒たりとも、ここにはいたくありません」

「ああ、帰ろう」


 あとの処理は樒と、償いとして鬼族に任せよう。一刻も早く、鈴音をこんな場所から連れ出したかった。


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