08 妖狸の罠
「いやはや、かの玉藻の息子とはいえ、愛の前には盲目なるのだな」
四国八百八狸を統べる頭領、隠神刑部狸玉三郎は肥えた肢体を揺すりながら豪快に笑った。可愛い末っ子から人間の娘を娶りたいと言われた時は、驚き、駄目だと一蹴したが、こんな面白い光景を見れたのならもっと早くに実行するべきだったと後悔する。
あれほど、最強と謳われ、恐れられた女傑の息子がたった一人の娘——それも人間相手にうつつを抜かしている様はあまりにも愉快でしかたない。
「伊紗那はどうだ? あの娘御を無事に懐柔できたか?」
酒を煽りながら玉三郎は、端に控えた子どもたちに問いかけた。二番目の妻が産んだ娘が首を振り答える。
「まだのようですよ。都羽くんや白福ちゃんも協力しているみたいだけど、妖狐の術の方が強力みたいで、もうしばらくかかりそうだと言っていました」
都羽は六番目の妻が産んだ息子で、白福は三番目の妻が産んだ娘。どちらも家族の中では秀でた術師だ。彼らが協力し合っても解けないなど、ありえない。その妖狐に玉三郎は興味がわく。
「そうか、そうか。儂もこれが終われば、手を貸そう。魅晴よ」
「はい、なんでしょうか」
名前を呼ぶと、一番目の妻が産んだ長子——魅晴は前へ進み出て、頭を深く下げた。
「お前も、他に手が空いた者も伊紗那を手伝ってやりなさい」
「父上の方は大丈夫ですか?」
大口開けて、玉三郎が笑う。その声に御殿が振動した。
「子に心配されるほど老いてはおらん。それに、もうじきだ」
玉三郎はすぐそばに置いていた一升枡を持ち上げ、覗き込む。
「もうじき、やつは落ちる。腑抜けになった息子を痛ぶって玉藻に見せてやろうか? さすれば、あの冷血な女狐も心を痛めようぞ!」
「ふふっ、こんなに楽しそうな父さまは久しぶりですわ」
三番目の妻が産んだ娘が唇を持ち上げ、艶然と笑う。
「楽しくて仕方ないわい! 伊紗那があの娘御と婚姻を結べば、儂らは貴族の仲間入り! 今度は何をして遊ぼうかのう!」
妖狸は化かすのが大好きだ。五百年近く生きた老体とて、妖狸の本能には逆らえない。
玉三郎がどのような悪戯をするか考えていると、魅晴が立ち上がった。一拍置いてから周囲にいた他の子どもたちも立ち上がる。ぞろぞろと連れ立って歩く中で、玉三郎は一人の少年を呼び止めた。
「お前は残りなさい。儂に酌をしてくれんか」
「ええ、僕でよければ」
少年は微笑すると玉三郎の隣へ腰を下ろし、酒瓶を持ち上げた。空になった杯に酒を注ぎながら、不思議そうに少年は丸い目を玉三郎へ向けた。
「なにが楽しいのですか?」
「ほれ、見てみろ」
と、玉三郎は抱えていた一升枡を見えやすいように差し出した。中を覗き込んだ少年は更に目を丸くさせて、驚きの表情を浮かべる。
一升枡の中には、本来ならばあるはずのない木々が生い茂っていた。その中央には古びた屋敷があり、小さな窓から中を覗きこめば美しい男が少女を愛おしそうに眺めているのが見えた。少女はその視線を照れながらも受け入れており、二人の間に漂う空気は柔らかい。
「これは、妖狐の長ですか? それに、人間の娘?」
「カッカッカ!! お前も妖魔ならよく見てみぃ」
玉三郎の言葉に少年は更に覗き込み、目を凝らした。
すぐさま、少女が人間ではないことに気がつく。彼女の身長は男よりも高く、頭部には尖った耳が伸びており、臀部からは短い尾が揺れている。
その尾を見て(確か)と少年は思い出す。妖狐は妖力量を表す尾を誇りとしており、罪人は断尾——尾を根元から切断されるという。誇りを失った妖狐は一族を追放されるか、一族の奴隷として仕えるか。
大半の妖狐がその矜持の高さから前者を選ぶらしい。
「妖狐の雌ですか?」
「ああ、そうじゃ。一族を追放されたという哀れな女でな。好いた男を取り戻したいと泣くので、協力し合うことにしたのよ。さすがの儂らも娘御のふりをすることはできんからなぁ。一尾ではあるが、思いの外、役立つ拾い物をしたわ!」
「お父さまなら妖狐の長を騙すことなんて簡単でしょう。なぜ、妖狐などを仲間に引き入れたかみんな疑問に思っていましたよ」
「心の奥底から〝ここで共に過ごしたい〟と願えば、その心はここへ閉じ込められる。玉藻の息子を儂の傀儡にするためなら、憎き妖狐とて利用してやるわい」
「さすがです」
少年は両手を叩く。
「妖狐の長ももうじき陥落することでしょう。現に女狐が化けているのも分かっていませんから」
「だろうなぁ。この小僧ひとりならば、儂の白星は目に見えて明らか」
だが、と玉三郎は両目を細めた。
「小僧、ひとりならのう」
「妖狐の長はひとりで乗り込んできたと聞きましたが」
不安そうに目を揺らしながら少年は「他にも侵入者が?」と問うと、玉三郎は腹を抱えて笑い出す。
「お前は面白いのう。……儂ら、八百八狸は文字通り八百八匹の大所帯! 儂を頂点とし、我が七人の妻に八十三匹の子どもら、そしてその孫たち。そこには儂の兄弟らの子どもも含まれておる」
今や四国狸の総力は二万を超えるが、一族は誰かと聞かれたら血を分けた八百八匹の親族しかいない。輪を重んじる妖狸は、どの妖魔よりも家族愛が強く、絶対的なものと見なしている。
「我が親族に、お前のような子どもはおらん」
赤茶色の巻毛に蜂蜜色の瞳、可愛らしい面は確かに血の繋がりを感じられる。
けれど、これはまやかしだ。この少年が周囲に自分をそう見せているだけ。自分は妖狸の一員であると思わせているだけ。
「他の子どもらは騙せても、儂を騙そうだなんて三百年早いわ。——のう、狐の小僧」
直後、少年のいた場所に亀裂が走った。




