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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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05 紫煙が揺れる


 ふわり、と煙草の匂いが漂っている。嗅ぎ慣れない香りに、鈴音は重たいまぶたを持ち上げた。

 どっぷりとした闇が支配する空間、小さくとも力強い炎が燭台しょくだいも無く、ちゅうに浮かんでいる。その光景がやけに幻想的で、まだ夢でも見ているのだろうかとぼんやりと考える。無意識に視線を横にずらすと壁に一人の影が浮かび、炎の揺れに合わせてゆらゆらと揺れていることに気が付いた。


「——起きたか」


 感情がとぼしい、淡々とした声が鈴音の耳を撫でた。

 声の方向を見ると、一人の青年が窓際の壁に背を預けて煙管きせるを吹かしていた。首元でゆるく結ばれた銀髪が星のきらめきを放ち、たくましい胸元を流れている。涼やかな目元に、海のような深い双眸そうぼう鼻梁びりょうはすっと通っており、紫煙しえんを吐く唇は薄く形が整っている。身長は高く、体躯たいくは細身だが、黒衣の上からでも鍛えられた筋肉がよくわかる——まるで神がその手で造ったと言われても思わず頷いてしまう美貌と肉体をしていた。


「……このようなはしたない姿をお見せして、申し訳ございません」


 その美貌に頬を染める前に、鈴音は急いで三つ指をついて深く頭を下げた。獣耳と尾はないが、この青年はおそらく〝真宵さま〟だ。初めての顔合わせで無様に寝こけた姿を見せてしまったことを後悔する。

 できる限り、怒りを買わないように注意しつつ、練習した台詞せりふを口にする。その時、自分が畳の上ではなく、布団の上にいたことを知った。真宵が布団を敷いて、鈴音を運んでくれたのだろう。ほんの小さな優しさだが、鈴音は頬を緩ませる。恐ろしい妖魔ひとではなかった、と思った。


「鷹司景義(かげよし)が娘、鈴音と申します。この度は旦那さまの伴侶にお選びいただき、誠に光栄でございます。どうか末永くお支え申し上げます」


 真宵は何もいわず、鈴音の身体をじっと観察した。つむじから首筋、腹部、手足の先まで。たっぷりと眺めた末に「難儀だな」と呟く。


「お前はこの婚姻の意図を知っているか?」

「意図、とは」


 こてん、と鈴音は首を傾げた。拍子に紐が解けて、お面が落ちそうになったので急いで縛り直す。

 真宵は微かに両目を細めたがなにも言わず、鈴音の返答を待っているようだった。


「人間と妖魔を繋ぐため、ではないのでしょうか」


 国は妖魔の力を借りるため。

 妖魔は国民として受け入れてもらうため。

 その架け橋として、四大華族と妖魔の長との婚姻が決まったはずだ。

 真宵の言いたいことが理解できないでいると、真宵は鼻で笑いながら窓の外に煙管の灰を落とした。


「俺はまどろっこしい話をする気はない。お前と仲良く夫婦めおとになるつもりも、くだらん芝居をうつつもりもない」


 鈴音が両目を丸くさせていると真宵は立ち上がる。静かな足取りで鈴音の元へ来ると、その細い手首を一つに掴みあげて、布団の上に縛りつけた。身体が反転したことに鈴音は短い悲鳴をあげた。袖がめくれて、二の腕が露わになる。逃げようと身体を捻ったことで裾からも足が出てしまった。


「や、やめてくださいませ!」


 羞恥しゅうちから鈴音は叫んだ。こんな肌を露出し、それを家族でもない男性の前にさらけ出すなど、到底耐えられない。乱れた袖と裾を直したいと願っても、真宵は聞き入れてはくれなかった。


「子だ」


 真宵の手が、あらわになった足に添えられた。人間より、はるかに高い体温と手の感触に、鈴音は体を震わせる。


 ——嫌な予感がした。


 鈴音は交際経験がない生娘きむすめだが、無知な子どもではない。婚姻を結んだ男女が子どもを作るためにどのような行為をするか、うっすらとだが知識として備わっていた。


(思い違いのはず。だって、私たちはまだ式も挙げていないのだもの)


 この一年はお互いのことを理解し、仲を深めるという名目の元、生活を営む予定のはず。真宵の行動は思い違いのはずだ、と鈴音は自分に言い聞かせた。


「子ども、ですか?」


 喉奥に張り付いて出てこない言葉を無理やり口にする。

 その間にも真宵の手は徐々に上へ上がってくる。最初は足首にあったのにふくらはぎを辿り、膝へ。膝から太ももへ。その手が際どい場所に触れそうになり、鈴音は力いっぱい抵抗をこころみた。

 けれど、一寸たりとも真宵の手を振りほどくことはできなかった。


「友好の()として、手っ取り早いのが妖魔と人間との間に子を作ることだ」


 太ももに添えられた手が、次は鈴音の腹——へその下を軽く押す。


「子を作れば、このような夫婦の真似事などしなくていい。俺も、お前も自由となれる」

「……そ、れは、本当でしょうか」


 恐怖からか声は震えていた。鈴音は生唾を飲み込み、真宵を見つめる。もし仮に子どもが作れたとして、自由が手に入ったとして、鈴音は自分がどう生きればいいのか分からない。生まれた時からそういう道は用意されておらず、これからもないものと思っていた。

 だから、「自由になれる」と言われても、自由になった自分が想像できない。


「本当だ。お前も妖魔の伴侶になど、なりたくはないのだろう?」


 それに鈴音は答えを返すことができなかった。


「子を成せ。それがお前の務めだ」


 慣れた手付きで真宵は鈴音の帯を解きながら、鈴音の両手を拘束していた手を解くとお面に触れる。その手が後頭部へ——面紐を探していると知った鈴音は「待って!」と声を荒げた。


「これは、どうか……。外すのは……」


 自由になった手でお面ごと顔を覆う。赤い瞳は妖魔では珍しくない。もしかしたら受け入れてもらえるのでは? と淡い期待が胸を過ぎるが自分は人間だ。赤い瞳を宿した娘を伴侶に与えられたと知った時、真宵はどう思うのだろう。


「顔を見せるのも嫌か」


 否定する間も無く、「黙れ」と冷たい声が降ってきた。


「喋るのも無駄だ」


 きゅっと鈴音は唇を固く引き締めた。

 喋らないのは得意だ。今まで、ずっと我慢し続けていたのだから。

 鈴音は下唇を噛み締め、目を強く閉ざした。一刻でも早く、この苦行が早く終わることを願うのだった。


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