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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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04 まだ見ぬ旦那さま


 磨きあげられた床は、ろうの匂いをわずかに漂わせて、炎の明かりに滑らかな光を放っている。一歩一歩、踏みしめる度に鳴る音はこの屋敷自体が古いものだと教えてくれるが、艶やかな廊下に曇りない硝子がらす窓、仄かな温かみを感じさせる漆喰壁がそれを感じさせない。

 その小さな違和感に鈴音がきょろきょろと周囲を見渡していると、先を行く桔梗がくすりと小さな微笑をこぼした。


「婚約者さまは、かの鷹司家令嬢であらせられると伺っております。このような屋敷は、古すぎて住むに堪えないのでしょうか」


 妖艶な美貌に嫌悪を滲ませた桔梗は、右の手のひらで揺れる炎を見つめながら語りかけてきた。

 なにが気に障ったのか分からないが鈴音は急いで謝罪の言葉を口にする。


「鷹司の屋敷からでたことがないため、珍しくて。……あの、この屋敷には桔梗さま以外に使用人はいらっしゃらないのでしょうか? 先ほどから誰の気配もしませんが」

「使用人風情にさま付けなど必要ございません。それに、わたくしは真宵さまの従者であって、あなたさまの世話をする気はございませんもの」


 もしや、と桔梗はわざとらしく両目を細める。


各々(おのおの)、従者及び世話役として一人連れてくるという取り決めをご存じなくて? 後で鷹司家から使用人が来ると思っていましたが、もしやわたくしに全ての世話をさせるおつもりで?」


 鈴音は言葉に詰まった。そんな話、聞いた覚えがない。


(いいえ、きっと、お父さまは知っていて、その上で私には黙っていたのだわ)


 悔しさから袖の下で固く拳を握りしめた。


「お料理もお掃除も、私一人でどうにかするので、桔梗さまのお手をわずらわせることはしないとお約束いたします」


「ええ、ぜひそうしてくださいませ」

「あの、それで真宵さま? ——私の婚約者さまになられるお方はどこにおられますか? ご挨拶をしたいのですが」

「ご自身の婚約者の名前もよく覚えていらっしゃらないとは……」


 呆れたように桔梗はため息をつく。


「真宵さまはお仕事です。何分なにぶん、ご多忙を極めるお方ですから」

何時いつ頃、お帰りになられるのでしょうか?」

「さあ、それはわたくしも分かりません」


 桔梗は鈴音に一瞥を投げると歩き出した。

 一抹の不安を胸に抱えながら、鈴音は桔梗の背中を追いかけた。

 土間にくりや、風呂場と案内が続き、最後に連れてこられたのは十二畳ほどの広さがある座敷だった。うながされるまま、足を踏み入れると、柔らかな藺草いぐさの香りがふわりと鼻腔びこうをくすぐった。


「ここが婚約者さまのお部屋です。なにもしない時は、基本的にここから出ないでくださいませ。目障りですので」

「こんな素晴らしいお部屋をありがとうございます」


 にこやかに向けられた敵意に、鈴音は気付かないふりをして頭を下げる。実際にあてがわれた座敷は庭に面しているため、生い茂った木々が陽光を遮る心配がなく、日当たりが良さそうだ。

 それに、化粧台や文机ふづくえ衣桁いこう掛けも置いてある。彼ら妖魔が用意したものか、国が用意したものかは判断はつかないが襤褸ぼろ小屋で過ごすことを予想し、心配していた分、最低限の生活が保証されているのは安堵が大きい。


「感謝なら真宵さまになさってください。……ああ、それと、持ち運べなかった分の荷物はご自分で運んでくださいませ。あなたさまの荷物など、触りたくもございませんし、わたくしが運ぶ義理はありませんもの」

「あっ、はい。分かりました。すぐに運びます。すみません」

「では、わたくしはこれで失礼いたします」


 桔梗の退室を待ってから、鈴音はその場でへたり込む。緊張の糸が途切れたことで、どっと疲れが押し寄せてきた。


「嫌われちゃったかな」


 長年、人間は妖魔を迫害はくがいし続けてきたのだ。協定を結んだとはいえ、過去の歴史を反故ほごにして、友好的に接するのはそう簡単にはいかない。

 だから、桔梗の棘のある言動は仕方ないといえる。

 けれど、初対面の他人から向けられる悪意を素直に受け入れられるほど、鈴音は心が強くない。殴られないだけ、ましだと自分に言い聞かせた。


「……はあ、うまくやっていけるかな」


 胸を押さえると通常より早い心音が手のひらに伝わった。人間あらざる存在と直接対話したことや、妖術という人間離れしたわざ、顔も知らない婚約者、これから自分一人で身の回りのことをしなければと思うと色んな意味で鼓動は治らない。

 礼儀が悪いとは思いつつ、鈴音はお面をしたまま横になった。畳が近づき、藺草の香りが更に強まる。屋敷の構造は違えど、この匂いは同じで少し安心する。


「旦那さまってどんな妖魔ひとなんだろう」


 着物が乱れるのも構わず、鈴音はごろんと寝返りを打って、天井を見上げた。電気が通っていない山奥には、電灯なんて存在しない。暇を潰すように、薄暗い中、木目ひとつひとつの形を視線で辿る。


「優しい妖魔ひとだといいなぁ」


 幸せな結婚に憧れたことがないと言えば嘘になる。

 鈴音の両親は、華族では珍しい恋愛の末に結ばれた。鷹司家の子息であった父と女中として働いていた母は、本来ならば結ばれない立場だ。父は十何年の年月ねんげつをかけて、父母——鈴音から見て祖父母——を説得し、母もまた許しが出るまで待っていたそうだ。

 当時のことを母は嬉しそうに語った。その表情に嘘偽りはなく、鈴音は世間を知らぬ少女らしく、両親のように愛し合える人と結ばれたいと夢を見ていた。


 けれど、願っても許されないことは理解していた。


 この国の人間は髪も瞳も黒色でしか生まれない。赤眼など、異国人か妖魔にしか現れない異端の色だ。

 鷹司家の一人娘とはいえ、誰が赤眼の娘を好んで嫁にもらいたいのだろうか。そんな物好き、現れるわけがない。

 もし仮に現れたとして、それは鷹司の家名とお金に目がくらんだ者しかありえない。


(荷物、運ばなくちゃ……)


 徐々《じょじょ》に瞼が重く、視界の端がにじんでいく。襲いかかる眠気にあらがおうと指先を動かすが、少しも動かない。


(ご迷惑をかけるわけにはいかないのに……)


 やがて、鈴音は微睡まどろみに意識を手放した。


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