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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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03 深い森の奥


 正式な婚姻は一年後。それまでは仲を深めるという名目のもと、婚約者と共に国が用意したという屋敷で過ごすことになった。

 屋敷は妖魔の希望を優先させた造りと立地になっているらしく、鈴音の婚約者は自然に囲まれた閑静かんせいな土地を所望したそうだ。


 国から送られてきたという手紙に記載された住所は鈴音も知らない土地だった。鷹司家に仕える使用人のうちの一人がそこの出自らしく、聞けば路面電車を乗り継いで、タクシーを拾わなければ辿り着けない場所にあるそうだ。交通機関が敷かれていないため、不便な面も多いが、その分、自然豊かなところで食べ物が美味しいらしい。


「決して、狐どのの機嫌をそこねぬように」


 屋敷へと向かうため、用意された自動車に乗り込もうとした鈴音を呼び止めた景義かげよしは冷たく言葉を言い放った。

 その隣では都和とわが悲しげに俯いている。

 先日の慟哭もあってか、都和は決して鈴音と目線を合わそうとはしない。意図せず知ってしまった母の本心に、鈴音も真っすぐ目を見ることができなくて頷くふりをして目をらした。


「はい、お父さまもお母さまもお元気で」


 婚約が決まってから、景義は鈴音が表立って会話することを許した。

 それは娘が嫁入りすることへの寂しさからではない。妖魔との仲を良くするには会話も大切だと考えたから、話す練習をさせるためだ。

 おかげで母以外の前でもよどみなく話せるようになった。喜ばしいことかどうかは微妙だが。


「長い間、お世話になりました」


 深く頭を下げてから、きびすを返して自動車に乗り込んだ。

 エンジンが低くうなりをあげ、車体が小さく揺れ動く。景色が静かに後ろに流れはじめるのを、鈴音はぼんやり見つめた。


(おそらく、もう二度と帰ってくることはない)


 妖魔に嫁ぐ。それは、鈴音の命は消えたも同然の行為だ。

 鈴音の嫁ぎ先は、人をたぶかし、かし、喰らう妖魔の長。ほんの些細ささいなことでも不興を買えば、二度との下を歩くことはできないだろう。


 鈴音は生まれ育った屋敷を記憶に刻み込もうとした。屋敷を守る薬医門やくいもんから表玄関へと続く白砂利しろじゃり小径こみちを、ほのかな温かみを感じさせる漆喰しっくいの壁を、屋敷を覆う千鳥破風ちどりはふの屋根を。

 その下で顔を覆ってさめざめと泣く母と、その肩を抱き慰める父の姿——今、目に映る全ての光景を。


(不思議。あれだけ、出たかったのに今はもう帰りたい)


 帰る場所などないのに、なぜか郷愁きょうしゅうに駆られる自分を鈴音は不思議に思った。



 ※



 深い森の奥、獣道のような荒れた道を抜けたその先に、屋敷は現世から隠れるようにひっそりと建っていた。

 豊かな葉を茂らせた木々が空を覆い隠しているため、周辺は昼間なのに薄暗い。タイヤが小石を踏む音に驚いたのかからすの群れが飛び立った。

 屋敷の前で運転手が車を止めた。鈴音はお礼を伝えてから数少ない手荷物を抱えて地面に降りた。

 役目を終えた車が獣道を折り返して走っていく。その機体が見えなくなるまで見送っていると屋敷から一人の女が出てきた。


(どなた?)


 歳の頃は二十半ばほどだろうか。背筋がぞくりと泡立つような美貌の持ち主だ。

 見たところ身長は六尺ろくしゃく(180センチ)を優に超えている。女性にしてはかなりの高身長で、豊かな肢体したいを濃い紫の西洋のドレスに包んでいる。頭にはつばの広い帽子を被り、ゆるやかに波打つ黒髪は毛先に向かうにつれて、わずかに青みを帯びていた。

 女は車に近づくと青紫せいしに彩られた唇を持ち上げてみせた。どこかわざとらしく、人を小馬鹿にしたような笑みだ。


「お待ちしておりました。わたくし、真宵まよいさまのお世話役を務めさせていただいております。桔梗ききょうと申します」


 女——桔梗は帽子をとり、小さく頭を下げた。その頭部からはぴんと尖った獣の耳が伸びている。よく見れば尻からはふさふさの尾が伸びているのが見えた。髪色と同色だったので気づくのが遅れたようだ。

 人間にあるはずのない部位が珍しくて、鈴音が無意識に観察していると、その視線に気付いたのだろう。耳と尾が嫌そうに揺れた。


「ご到着はもう少し早くと思っておりましたが、人間という生き物は時間の概念がいねんがないのですね」

「申し訳ございません。時間に余裕を持って出発したはずが、まさかこんな山奥にあるとは思わなくて、時間がかかってしまったんです」


 桔梗の嫌味に気づきながらも、鈴音は落ち着いて返答する。


「我が君は静寂を好むお方ですので。本当はもっと人が寄りつかない場所がよかったんですけれどね。それだと、婚約者になられる方が可哀想だという意見もでまして」


 ちらり、と桔梗は鈴音を見下す。


「人間は婚約者に会いに行くのにお面(そんなもの)を着用するのですね。それも、そんな……」


 すっと桔梗は両目を細める。ただでさえ、鋭利えいりな刃物のようなまなじりが更に鋭さを増した。


「狐をしたお面を付ければ、妖狐わたくしどもが受け入れると思っているのでしょうか。えっと、なんて言ったかしら? 人間の名前など、興味がないもので忘れてしまいましたわ」


 腹の底からの冷嘲れいちょうに、鈴音は気がつかないふりをしながら唇を開く。


「ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。私は鷹司鈴音と申します。この度は人間の代表として、妖狐族の長さまとのご縁談をたまわりましたこと、光栄に思います。本日からこちらでお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」


 練習した通りに。すらすらとよどみなく。

 桔梗に向かって深く頭を下げると不躾な視線が降り注ぐのを感じた。


「このお面は決してみなさまを軽んじているわけではございません。病気により、目の色が普通とは違っているため、お見せするのは忍びなく、こうして顔を覆わせていただいております」

「見るに耐えないお顔だから隠していると思っていましたわ」


 ふっ、と桔梗は鼻で笑う。


「まあ、いいですわ。我が君の御機嫌を損ねずにいてくれるのでしたら」

「善処いたします」

「もし損ねれば、その身は黒焦げになると思いなさい」


 桔梗は右手を掲げた。なにかが弾ける音とともに手のひらには、炎が現れ、ゆらりと揺れる。

 熱気が剥き出しの首筋を掠めて、鈴音は小さな悲鳴をあげて後ずさる。それを見て桔梗は更に冷嘲を深めた。


「大袈裟なこと。ただの炎ですのに。……これしきで驚くようなら、先が思いやられますわ」


 桔梗は炎を消すと両手を合わて艶やかな微笑を浮かべた。


「さあ、こちらに。ご案内いたします」


 そう言って桔梗は屋敷へと歩き出した。


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