05 繋がれた手
「あ、あの、いつまで手を繋ぐのでしょうか」
真宵が手配した車に乗り込んだ鈴音は、繋がれたままの右手を見つめた。自分よりも大きな手は鈴音の手の形を確かめるように手首や関節、爪の間際を行き来している。そこにいやらしさはない。ただ、慈しむように、鈴音との接触を楽しむように。
恥ずかしさを覚えた鈴音が俯いて、手を引こうとしたら真宵は小さく笑い、指を絡めた。これでは手を離すことはできない。
「嫌?」
鈴音の気持ちを伺うように優しく微笑み、問いかける。
「嫌、というより、その……」
「鈴音さんが嫌ではないなら、もうしばらくこのままで」
どきり、と心臓が跳ねた。天女のような美貌がとろけて、甘露のような声が「鈴音さん」と名前を呼んだ。
(初めて、呼ばれた。……けど、なんでかしら。変な感じ)
嬉しいはずだ。あれだけ仲良くしたいと願った相手から名前を呼ばれたのだから。それなのに身体の芯が冷えていく。
未知の感覚に戸惑いながら、窓の外を見た。大通りを外れて、人気のない小道を進んでいく。
屋敷とは正反対の方向に向かっているので、更に不安が掻き立てられる。
「どこへ行くのですか?」
「新しい家を用意したんだ。あそこは、自然があるけど不便だから帝都により近いところを。きっと鈴音さんも気にいる」
「新しい家、ですか」
「喜んで欲しくて内緒にしていたんだ。荷物は使用人に移動させるよう命じたから安心して」
「……ええ」
ぎこちなくはにかむとまた窓の外へ。流れゆく景色を見るふりをして、窓硝子に反射する真宵の横顔を見た。高い鼻梁に薄い唇——華やかな美貌は確かに真宵のものだ。
それなのになぜだろう。なぜか、違和感は付きまとう。
※
車が長屋門の前で停まった。真宵の手を借りて、地面に降り立った鈴音はあまりにも荘厳な造りに驚いた。漆塗りの長屋門は大きな両開きの扉が備えられており、その左右を潜門が、更にその左側には切妻破風の番所が造られている。
真宵の案内の元、門へと近づけば番所の窓が開いて中から可愛らしい女性がひょこっと顔を覗かせた。
「おかえりなさいませ、坊ちゃん」
「ああ、鈴音さんを連れてきたから門を開けてくれ」
「はい、ただいま。少々、お待ちくださいませ」
女性は頭を下げると蝶番が軋む音が聞こえた。重厚な扉が誰の手もなく、開かれる。白く輝く玉砂利の小道が本丸御殿の玄関へと続いていた。
「さあ、こちらに。今日からここが俺たちの家だよ」
真宵に案内されるがまま、鈴音も門を潜ろうとして、足を止めた。
聳え立つ御殿はまるで帝が住まう邸宅のようだ。赤みが強い木組みに漆喰壁の対比が美しく、唐破風の拝みを彩る懸魚は金箔が貼られている。右に見える庭園も端から端まで手入れが行き届いている。
「え、あの、……すみません。やはり、一度、戻ってもいいですか……? 忘れ物をしてしまって」
真宵の様子といい、屋敷といい。違和感は徐々に膨れ上がり、確かなものとなる。
踵を返そうとした鈴音の顎を、横から伸びてきた手が掴んだ。抵抗を許さない力で固定すると焦げた蜂蜜色の瞳が覗き込む。
きゅっと縦に伸びた獣の目。それを見るとあれほど感じた違和感は無くなっていた。
(——……私はなにをしていたのかしら)
胸に手を当てて鈴音は考える。胸のうちがもやもやしていた気がするのに、今は青空のように澄んでいる。
(確か旦那さまと一緒に帰宅をして?)
そうだ。今日は真宵と共に帝都に遊びに行ったのだった。その帰り道、彼が新しい家に引っ越すといいだして、ここへ連れてこられた。
ん? と首を捻る。真宵とは、誰のことだろう。そんな人物の名前に心当たりはないのに、なぜか懐かしいと思ってしまう自分がいる。
「ちょっと、都羽おにぃ。余計なことをしないでよ」
鈴音が混乱している傍ら、十四ほどの少年が上背のある青年を睨みつけていた。
「伊紗那に任せたままじゃ失敗するだろう」
「現にその娘に逃げられそうになっていたじゃない」
番所から身を乗り出した女性がからかうように笑うと、伊紗那と呼ばれた少年は更に目を吊り上げた。
「白福おねぇもうるさいな!」
伊紗那に都羽、白福——知らない名前のはずなのに知っている気がする。思いだそうと鈴音が彼らの会話に耳を傾けると「あらぁ」と白福が口元を抑えた。
「この娘、かかっていないわぁ」
「おかしいな。きちんとかけたはずなのに」
都羽はまた目を覗き込もうと鈴音の顎に手を伸ばそうとするが、伊紗那が叫びながらその手を叩き落とした。
「痛っ! 伊紗那ぁ、にいちゃんを叩くなんていい度胸しているな」
「鈴音さんに触らないでよ!」
「あーはい、わかったわかった」
弟に叱られた都羽は今度は触れずに目を合わせて、めんどくさそうに顔を歪ませる。
「こりゃあ、無理だ。妖狐に幻術をかけられている」
「あらぁ、都羽兄さまでも解けないの?」
「無理だな。この術師の腕は恐ろしいほどいい。これ以上の重ね掛けや無理に解こうとすれば、この娘の精神に異常をきたす恐れがある」
え! と伊紗那は兄の胸ぐらを掴んだ。
「どうにかしてよ!」
「親父どのに頼んでみるか」
「父さまは無理よぅ。これから大仕事があるのですもの」
「だよなぁ。仕方ない。俺たちでなんとかするしかないな」
悔しそうに地面を踏みつける伊紗那、頬に手を当てて小首を傾げる白福、頭を掻きむしる都羽——どれほど記憶を遡っても彼らのことを思い出せない。
「安心して、鈴音さん」
輪から抜け出した伊紗那は鈴音の元へ駆けてくるとそっと手を握り、兄姉と似た蜂蜜色の瞳を輝かせた。
「屑な妖狐はもういない。これからは僕が鈴音さんを守るよ」
目元に朱を滲ませながら伊紗那は決意を口にする。
それに対して鈴音は「はい。旦那さま」と微笑んでいた。
「旦那さまは堅苦しいな。伊紗那と呼んでよ」
「ええ、もちろんです。伊紗那さま」
「屋敷を案内するよ! 鈴音さんが好きそうなもの、たくさん用意したんだ!」
伊紗那に手を引かれて、鈴音は門をくぐった。




