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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
文月の頃

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04 動物園にて一騒動


「かわいい」


 場所は動物園の触れ合い広場。膝の上に置かれた小さなうさぎを見て、鈴音は頬を緩ませた。うさぎという動物の名前は聞いたことはあったが、実物を見たのは初めてだ。


「この子は外国から来たホーランド・ロップという種類になります。日本のうさぎとは違って、垂れ耳が特徴的なんですよ。あ、触ってもらっても大丈夫です。ゆっくりと背中を撫でてみてください」


 飼育員の女性の言葉に鈴音はおずおずとうさぎの背中に手を置いた。柔らかく艶やかな毛先は空気に触れて冷えているが、毛の奥に手が沈むと仄かな熱が伝わる。ゆっくり撫でるとうさぎが鼻をひくひくと動かした。


「うさぎって警戒心が強い生き物なんですけど、とても落ち着いていますね。お姉さん、なにか飼われているんですか?」

「いいえ、なにも。動物に触れる機会はあまりなくて、これでいいのかどうか」

「この子も落ち着いているし、その調子で大丈夫ですよ」


 そう言ってもらえて、鈴音ははにかんだ。

 飼育員の女性が語るうさぎの蘊蓄うんちくを聞きながら、触れ合いを楽しんでいると突如、視界が暗くなった。


「鈴音ちゃん! こっち来て!」

「っきゃ!」


 興奮した様子で潔子が鈴音の腕を引っ張る。

 体勢を崩した鈴音の膝から驚いたうさぎが飛び降りた。地面に着地する前に伸びてきた手がうさぎを捕獲する。


「潔子、うさぎは骨折しやすいから脅かすな」


 怯えるうさぎを撫でながら蘭丸は潔子を睨みつけた。


「声も控えめに、行動もゆっくりにしろと前にも言ったはずだ」

「控えめにしてるわ。見て分からない?」

「どこがだ」


 うさぎを飼育員へ手渡すと蘭丸は潔子の二の腕を掴んだ。


「ちょっと、離しなさいよ」

「離したらまた走っていくだろう。頼むから大人しくしてくれ」


 わかったわ、と億劫そうに潔子は返事をする。


「鬼のくせに小さい男ね。鈴音ちゃん、あっちで蛇と触れ合えるみたいよ。行きましょうよ!」

「へ、蛇ですか。それはちょっと……」


 山奥に住んでいることもあって、蛇を見たのは一度や二度ではない。足音もしないため、苦手な動物のひとつだ。


「すみません、蛇は苦手なんです」

「ならオオトカゲはどう? いもりの何倍も大きいのよ」

「その、すみません。いもりも触れなくて」

「うさぎは触れるのに?」


 心底、不思議そうな目をする潔子の腕を蘭丸が引っ張った。


「うさぎと爬虫類を一緒にするな」

「毛があるかないかの違いじゃない。どちらもかわいいのに」


 とぶうたれた時、——絹を裂くような悲鳴が上がった。


「逃げろ!! ライオンが脱走した!!!」


 その悲鳴混じりの声を合図に、その場にいた全員に混乱が広がっていく。声の発信源から逃げようとする人々の波がどっと鈴音たちのほうへ押し寄せてきた。


「落ち着け! まずは女子どもの避難が先だ!!」


 混乱する人々は周囲を気にかけることなく我先に出口へと駆けていくので蘭丸は声を張った。


「仕方がない。おい、潔子」

「はいはい、なによ」

「ライオンとやらを止めてくる。お前は逃げおくれた人間どもを連れていけ。いいか、こっちには来るんじゃないぞ。お前の役目は誘導だ。わかったな?」


 子どものように何度も言い聞かせられて潔子は呆れたように肩を持ち上げる。


「わかったわよ。さすがのわたくしも分別ぐらいはつくわ」

「誘導が終われば、お前たちもどこか安全な場所にいろ。ここに戻って来なくてもいい」

「はいはい、了解。大丈夫かと思うけど、気をつけなさいよ。怪我したらぶっ叩いてやるんだから」


 怖いな、と言い残して蘭丸は悲鳴の方向へ駆けていった。




 ※




 和装のせいで逃げ遅れた女性を出口まで連れて行き、親とはぐれて泣く子どもの親を見つけ、腰が曲がった老人を支えながら全員を避難させ終えた鈴音と潔子は近くの甘味処かんみどころで休息をとっていた。


「大変だったね。こりゃあ、明日は新聞を大きく賑わせるよ」


 ふくよかな体を揺するように現れた甘味処の女将おかみは、鈴音たちの前に団子が積まれた皿三つを置くとちらりとデパートを一瞥する。


「あら、まだ頼んでないけどいただいてもいいの?」

「もちろんだとも。その鬼族っていつもあんたが連れている子だろう? その子がいなけりゃ、騒ぎは今以上に大きくなっていたさ。これは騒ぎを収めてくれたお礼ってことで貰っておくれよ」


 デパート屋上の動物園にて猛獣が脱走したと最初は周辺の店にも緊張感が走っていたが、その場にいた鬼族の若者が捕縛をしてくれたという噂が広がると周囲の人々は途端に安心を取り戻した。

 いくら猛獣とはいえ、怪力を誇る鬼族には敵うまい。それも駆けつけたという鬼族は、ここいらで——婚約者の尻に敷かれているという意味で——好意的に受け入れられている青年なのだから。


「後で鬼族の子の分も包んであげるからね」

「蘭丸は甘いものが大好きだから喜ぶわ。あっ、ねえ、家族の分も買いたいから、ここにある味を二十本ずつ包んでくださる? もちろん、お代は払うわ。鈴音ちゃんはどうする?」

「では、私は二本ずつお願いします」


 女将は「はいよ」と頷くと店の奥へと姿を消した。


「二本ずつって少ないわね。鈴音ちゃんとあの夕霧とかいう使用人さんの分?」

「あ、いいえ、旦那さまと夕霧ねえさまだけでいいかなと思って」

「なんで? お金ならたくさんぶんどってきたんだから遠慮なく買えばいいじゃない。量があって、重たいなら蘭丸に運ばせればいいのに」

「さすがに居候のような身で旦那さまが稼いだお金を使うのは申し訳ないです。ただでさえカフェでの飲み物代や動物園代に使ったのに」


 ふうん、と潔子は鼻を鳴らす。皿からみたらし団子を掴むとちゅうで円を描くようにくるくると回した


「わたくしなら遠慮なく使うわ。蘭丸のお金はわたくしのもの、わたくしのものもわたくしのものですもの」


 とはいえ、蘭丸はほとんど討伐へ赴いていないため、金銭は実父である三条家当主と蘭丸の父である瓊眞けいしんが用意したものだ。けれど、潔子にとってはそれも〝自分のもの〟であるため、遠慮なく使っている。実父には何度か小言を言われたが知ったことではない。


「ん、これ美味しい!」


 みたらし団子を咀嚼そしゃくしながら潔子は頬をほころばせた。まだ食べ終わってもいないのに次はよもぎ団子、小倉団子と齧っていく。

 頬いっぱいに頬張る姿は食欲を刺激されるが、未だ合流できていない蘭丸が気掛かりで鈴音は団子に手をつけることができない。


「大丈夫でしょうか」

「え、なにが?」

「蘭丸さまを置いてきてしまって。ライオンとは熊のように危険な獣だと聞いたことがあります」

「大丈夫よ。蘭丸は腐っても鬼よ。とっくの昔に制圧は終わっていて、今は実況じっきょう見分けんぶんにでも付き合っているのよ。あいつって真面目だから。ほら、鈴音ちゃんも食べなさいよ。みたらしが一番美味しいわ! これはまた()()()()決定ね!」


 ほらほら! と目の前に差し出された皿からみたらし団子の手に取ると一口齧る。もちもちとした食感に甘塩っぱい味がとても美味しい。思わず、笑みがこぼれると潔子も微笑んだ。


「やっと笑った。わたくしって強引なところがあるから、鈴音ちゃんが楽しめているか不安だったの」

「潔子さまと一緒にいるのは楽しいです。けど、人とこうして遊んだことがなくて、どうすればいいのか分からなかったんです」

「ねえ、前から気になっていたのだけど、鈴音ちゃんって本当に病気がちだったの? わたくしの父も陸朗太りくろうたのおじさまも鈴音ちゃんは小さい頃から病弱だと、鷹司のおじさまから聞いているとおっしゃっていたわ」

「病気がち、というよりも……この眼だから、ずっと屋敷にいました」

「それは、鈴音ちゃんが望んだこと?」


 少し悩んだ末に顎をひく。この眼をさらけ出して生きる勇気など鈴音にはない。お面や、今のように眼鏡で隠しても周囲の視線が気になってしまう自分がいる。誰かと一緒ならまだしも、一人で遊びに行こうだなんて考えたこともない。


「そう、そっか。気にしないで、っていっても無理な話よね」

「少しずつ、ではあるけど、屋敷では素顔で過ごせるようになって、……みなさまのおかげです」


 夕霧も真宵も、この眼を美しいと言ってくれた。気持ち悪いと馬鹿にしないでくれた。

 それだけで、じゅうぶん幸せだと鈴音は思う。


「それって、あの妖狐も?」

「旦那さまのことですか?」

「ええ、あの糞野郎のことよ。わたくし、大嫌いなの」


 汚物おぶつを見るように潔子は顔を歪めた。


「本当はね、もっと早く突撃するつもりだったの。親睦会の時に蘭丸が気になることをいったでしょう?」


 ——お前、妖狐の野郎に()()されている?


 蘭丸は鈴音の身体から真宵の匂いがしたと言っていた。そこから導き出される()()を知って、潔子は突撃して真宵の顔をぶっ叩くつもりだったらしい。


「みんなに聞いても誰も住所を教えてくださらなくて、本当に大変だったのよ! 父の書斎しょさいにならあると思って鍵をぶっ壊して、全部をひっくり返して探したのよ!」


 その光景がありありと脳裏に思い浮かび、鈴音は苦笑する。


「それなのになくて、まだ何も盗んでいないのにとても怒られたの意味がわからないでしょう!?」

「え、ええ」


 としか鈴音は返事することができない。


(書斎ってお仕事するためのお部屋のはずよね?)


 今住む屋敷にも真宵が書斎として使っている部屋がある。立ち入りを禁止されているわけではないが、中にあるのはきっと国からの密書など大切なものばかりのため、鈴音は近づこうとはしなかった。

 どうやら、潔子が父親の書斎を荒らした際に重要書類をいくつか駄目にした罰として、一ヶ月の外出禁止令が出されたらしい。


「抜け出すの大変だったのよ。蘭丸ったらどこで嗅ぎつけたのか撒いてもすぐ追ってくるし」


 本人はまったく守ってはいなかった。

 それどころか、ぷりぷりと怒りながらどうやって鈴音がいる屋敷の住所を突き止めたか、そこへ行くために両親や使用人、鬼族が結束して邪魔をしてきたかを大きな手振りで説明する。

 あらかた説明し終えると喉が乾いたらしく、お茶を一気飲みした。空になった湯呑みを机に置くと伺うように鈴音を見る。


「ねえ、鈴音ちゃんは、婚約を解消したいと思わないの?」


 ——婚約を解消。


 その言葉を脳内で繰り返す。そんなことが可能なのだろうか。妖魔と四大華族の婚姻は、国が命じたものであり、覆すことができない。

 けれど、もし。もしも、婚約を解消したとして鈴音には帰える実家もない。自分を救いたいと言う時哉の言葉が現実になるとも思えない。


(旦那さまが解消したいと願ったら、私はどうすればいいの……?)


 真宵はあれから鈴音に指一本触れなくなった。身体を重ねなければ、証《子ども》を産むことはできない。

 役に立たないから捨てられるのではないか、と不安がよぎり鈴音は拳を握りしめる。


「不躾な問いかけは控えてくれないか」


 馴染む低音が聞こえて、鈴音は顔をあげた。逆光の中、光を弾く銀の髪がさらりと揺れている。陰がさす中でも澄んだ青玉の瞳は、輝きを放ち、鈴音と眼があうと愛おしそうに弧を描く。

 まさか、ここに真宵がいると思わなくて鈴音は驚いた。


「旦那さま、どうしてここに?」

「仕事のついでだ。帰るぞ」


 握りしめられた拳を解くように、そっと真宵の手が重ねられる。

 久しぶりの接触。怖いはずなのに、怖くない。恥ずかしいはずなのに、恥ずかしくもない。それどころか——。


「最低。ここまでつけてきたの? ねえ、鈴音ちゃん。まだ一緒にいましょうよ。こんなやつ無視して」


 不貞腐れた潔子の声に鈴音は意識を現実に戻した。


「断る。俺たちはもう帰らせてもらう」


 さあ、と背中に手が添えられる。

 困った鈴音が真宵の顔を伺うように見つめると、その視線に気が付いた真宵は優しく微笑んだ。


「また今度、遊びに行けばいい」

「……また、潔子さまと遊びに行ってもいいのですか?」

「もちろん。だから、今日は帰ろう」


 繋がれた手を導くように真宵が歩き出す。有無を言わさない雰囲気に気圧されながら、鈴音は潔子を振り返った。

 潔子は残っていた団子を齧りながら手を振る。


「また遊びましょうね! 明日でも明後日でもわたくしは暇だから、連絡してね!」

「は、はい! 本日はありがとうございました!」


 鈴音は右手に視線を落とした。自分のより大きな手が包み込んでいる。


(……旦那さま?)


 普段の真宵なら自ら触れてこようとはしなかった。なぜだろうか。目の前にいるのは真宵のはずなのに、真宵ではない何か別の生き物のように感じた。

 冷や汗が背中を伝う。気のせいだ、と鈴音は自分に言い聞かせて真宵の隣に並んだ。


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