01 突然の来訪者
穏やかな日常が崩れたのは十日後のことである。
青嵐が森を揺らす音を聞きながら鈴音が夕霧と真宵の三人での食事を楽しんでいた時、
「すっずねちゃぁぁーん!!!」
屋敷の玄関が派手な音をたてて開くと同時にけたたましい声が鈴音の名前を呼んだ。それだけではとどまらず、音の主はこれまた派手な足音をたてて廊下を駆けている。
「誰だ」
不機嫌そうに襖の向こうを睨みつける真宵の隣で、鈴音は「潔子さま?」と首を傾げた。この明るく活発な声を聞くと真っ先に潔子が思い浮かんだ。
でも、なぜこの屋敷にいるのか分からない。自分が出迎えに行くべきかと立ち上がると真宵が「座れ」と短く制した。
「曲者かもしれん。お前は下がっていろ」
「あの、でも多分、潔子さまのお声だと思うのです」
潔子は屋敷の構造を理解していないため、忙しない足音があちこちを彷徨っている。時折、なにかが割れる音や倒れる音まで聞こえてきた。放っておけば、他にもなにか破壊されかねない。
あまりの騒々しさに真宵は舌打ちすると箸を膳に置き、夕霧に「見てこい」と命じた。
「鈴音ちゃんのお友達?」
「お友達といってもいいのでしょうか。親睦会でお世話になった三条家の方だと思うのですけれど」
「なら、呼ん」
足音が廊下を駆け抜けたと思ったらバン!! と思いっきり襖が開け放たれた。あまりに力強く開けたため、襖は外れて倒れてしまう。
「あら、脆いわね。もう全体的に建て直した方がいいのではなくて?」
悪びれもせず、堂々とした態度で座敷に踏み入れた声の主——潔子は鈴音をみると笑顔を浮かべた。ぱっと弾けるように。それは不法侵入した挙句、色んなものを破壊してきた者が浮かべていい笑顔ではない。
「やっと見つけたわ、鈴音ちゃん! おはよう! さあ、遊びに行きましょう!!」
「お、おはようございます」
早足に鈴音の元へ駆け寄る。腕を掴んで引っ張ろうとした時、すぐ隣から伸びてきた手が制した。
「出て行け」
底冷えする声で真宵は命じた。
一瞬、潔子は口元を歪ませる。すぐさま表情を一転させると視線を横にずらして、鈴音に喋りかけた。
「鈴音ちゃんったら、こんな山奥に住んでいるだなんて聞いていないわ!」
無視だ。完璧な無視を決め込まれ、真宵はますます眉間の皺を深くさせた。
「不便ではなくて? 遊ぶところもないなんて、わたくしだったら耐えられないわ!」
「た」
楽しいですよ、と紡ぐ前に潔子は「可哀想に」と続ける。
「鈴音ちゃんの婚約者って身勝手な妖魔なのね。自然が豊かなのは魅力的だけど、それだけじゃない。最近、帝都に新しくできたデパート知っている?」
「しら」
「屋上に動物園があるのよ! 蘭丸と行ってきたのだけれど、なぜか動物は蘭丸には懐くのよ。わたくしには近づかないくせに。ずるいと思わない?」
「ら」
「普通、動物って人間に懐くものではなくて? 鬼のほうが恐ろしいのに意味がわからないわ!」
どうにか潔子からここへきた理由を聞きたいのに、あまりにも話す隙がない。
視界の端では真宵の怒りが溜まっていくのが見えるし、それを楽しそうに眺める夕霧の姿も見える。このままではいけない、と鈴音が冷や汗をかいた時、玄関から「すまない!」と張りのある声が聞こえた。
「あら、蘭丸ったらもうここが分かったのね」
潔子は唇をへの字に曲げる。
「鈴音ちゃんのところに行くと言ったらね、やれ手紙を出せだの、やれ日にちをまず決めろだの、やれどこへ行くのか教えろだの、とっっってもうるさかったの!」
埒が明かない状況に、鈴音が助けを求める目で夕霧を見ると、意図を察した彼女は「呼んでくるわね」と席を立った。
「あら、呼べばいいわよ。迎えにいくのって面倒だし」
そう言うやいなや深く息を吸い込み、
「蘭丸! 入っていらっしゃいな!!」
大声で玄関で待っているであろう蘭丸を呼ぶ。
間をおかず、蘭丸からも「家主ではないお前が許可を出すな!!」という返事が大声で帰ってきた。
「……やはり、私が呼んでくるわ。だから、三条さまはあまり大声を出さないで」
「小声じゃ届かないじゃない」
「妖魔は人間とは違って、五感が優れているから伝わるわ」
深く息を吐くと夕霧は玄関へと向かった。
「迎えが来たのなら、そのまま帰れ」
不機嫌丸出しで真宵が命じるが潔子は意にも返さない。存在自体を無視して鈴音に動物園の他にカフェや映画館ができたことを伝えている。
爽快に喋り倒す潔子とは比例して、真宵の纏う雰囲気がどんどん鋭く苛立っていく。潔子を落ち着かせるのが先か、真宵を落ち着かせるのが先か鈴音が悩んでいると、くつくつと喉を鳴らす音が聞こえた。
音の方向を向くと蘭丸が楽しげに目を歪ませて、手で口元を覆っていた。
「さすがのお前でも潔子を制御するのは不可能だ」
ぴくり、と真宵が片眉を跳ねさせる。視線は刃のように鋭くなり、空気も次第にひりついていく。
(——怖い)
鈴音が息を止めると途端に空気は和らいだ。真宵が気遣わしげな視線を向けてきたので、ぎこちなく微笑を返す。
突如、殺気を鎮めた真宵に、蘭丸は両目を丸くさせた。
「あの玉藻の息子が見事に尻に敷かれているな」
「敷かれたらいいのよ。ぺしゃんこになるまでね」
言い返したいが鈴音を怖がらせないためにも寸でのところで言葉を飲み込む。ある程度、冷静さを取り戻した真宵は「なんの用だ」と口にした。
「さっきも言ったじゃない。鈴音ちゃんと遊びに行くために迎えにきたのよ。妖狐って鬼より耳が良いって聞いていたけど、あなたは悪いの?」
ふっ、と夕霧が吹き出した。肩を丸めて笑いを堪えている。
天敵である鬼に無作法な人間の女、腹心の態度に怒りは蓄積していくが、ここで怒りのままに発言すればまた怖がらせてしまう恐れがあるため、真宵は耐えることにした。今は耐えて、鈴音がいない場所でこいつらを痛めつければいいと。
「お前こそ、見てわからないか。俺たちは食事中だ。常識を学んでこい」
「鈴音ちゃんに嫌がらせばかりしているあなたに言われたくないわ」
腕を組みながら潔子は真宵を見下した。
真宵は口籠る。嫌がらせと受け取られても仕方ないことをしてきた自覚はあるため、反論することができない。
「あ、あの、旦那さまはお優しいから大丈夫です」
代わりに鈴音が反論した。
まあ、と潔子は両目を下げると鈴音の頬を手で覆う。
「もしかして洗脳されている? 蘭丸に聞いたわ。妖狐は催眠術が使えるって」
「厄介だな。奴らの術はそう簡単には解けはしない。一応、親父に相談してみるか」
「瓊眞おじさまは今、東北ではなくて? 相談できるの?」
「またたび郵便か、鴉を使えば連絡はとれる。戻ってくるのには時間がかかるが」
「ずっと催眠術にかかっているだなんて可哀想よ。どうにかできないの?」
「だが、かけられているようには見えないな……。鳳の娘、目を見せてみろ」
顎に手を置いた蘭丸が鈴音の目を覗き込もうとした時、真宵から拳が飛んできた。横顔に直撃する前に軽やかに避けた蘭丸は舌を打つ。
「相も変わらず暴力的だな」
「黙れ。その汚い面を近づけるな」
怖がらせないために怒りを鎮めようとした真宵だったが、流石に看過できなかった。もう一撃、喰らわせようと立ち上がると鈴音が慌てて真宵の袖を引っ張る。
「だ、旦那さま! 暴力は駄目です!」
「し、しかし」
「私はなにもされていませんし、大丈夫ですので」
ね、と言われて真宵は渋々腰を下ろした。
「ふーん。なにがあったかは知らないが、お前が変わったようで安心したよ」
「お前と世間話するつもりはない。用件を言え」
呆れたように蘭丸が肩を持ち上げる。
「潔子が鳳の娘と遊びに行きたいそうだ」
「駄目だ」
「なぜお前が決める」
「そんな礼儀も常識も備わっていない女と関わらせれると思うか?」
蘭丸は言葉に詰まった。確かに自分が真宵の立場なら大人しい婚約者をこんな奇想天外な女に任せるなんて絶対にしない。一緒に遊ばせることも許さない。
かといって、分かったとこのまま帰宅はできない。潔子は鈴音と遊ぶ気満々だ。諭して連れ帰っても今朝のように抜け出して突撃する恐れがある。
どうすれば穏便に解決できるか蘭丸が考えていると潔子が鈴音に話しかけた。
「今日の予定は、まずはカフェ! 今から向かうとお昼前になるでしょう? 簡単に食事をとってから買い物にいきましょうよ!」
自然公園で見かけた鴨の親子、女性だけの劇団、移動式の遊園地——潔子が気になったものを矢継ぎ早に喋っていると、鈴音が瞳を輝かせた。
「鈴音ちゃんも気にならない?」
「気に、なります」
こくり、と小さく顎を引くと揺れる瞳で真宵を見る。
「あの、潔子さまと遊びに行ってもいいですか?」
「駄目だ」
真宵が首を振ると潔子が「ケチね」と茶々を入れる。
「帝都は人も妖魔も多くいる。変なやつに攫われでもしたらどうする」
「なによ、この心配性。蘭丸がいるから大丈夫に決まっているじゃない」
潔子の茶々に、真宵は両眼を細めるが何も言わない。まっすぐに鈴音の瞳を見つめて、諭すように言葉をかけた。
「もし、気になるのなら共に行く」
「旦那さまとですか?」
「……嫌か?」
「嫌なわけ、ありません。旦那さまとお出かけできるのは、とても嬉しいです」
鈴音が顔を明るくして答えると、真宵は毒気を抜かれたように視線を泳がせた。その耳先がわずかに赤らんでいるのを、夕霧は見逃さずにくすりと笑う。
しかし、「でも」と鈴音が続けると真宵はまた渋い顔を作った。
「その、友達と遊びに行くのに少し憧れていて」
「ほらね、わたくしはお友達だもの。お、と、も、だ、ち! 婚約者とわたくしならわたくしを選ぶに決まっているわ。ほら蘭丸、あなたもぼうっとしていないで、壊した襖くらい直しなさいな。出発する時間が遅くなるじゃない」
「俺が壊したんじゃない、お前が……。……分かったよ」
潔子の無茶振りに毒づきながらも、蘭丸は溜息をついて外れた襖を持ち上げる。その様子を冷ややかに見つめながら、真宵はゆっくりと立ち上がった。襖を直している蘭丸とそれを邪魔する潔子を見下し、氷のように冷たい視線を向ける。
「今回だけは許可を下そう」
「偉そうに。〝一緒に行けない僕の代わりに鈴音ちゃんを守ってください〟と言えないのかしら」
「黙れ。もし怪我一つ負っていたその時は、三条の家ごとお前たちを灰にしてやる」
「あら怖い。蘭丸、今の聞いた? 危害しか与えていなかった人から、お友達であるわたくしたちが脅迫されたわ。この妖魔、自分の立場を分かっていないのかしらね」
「……お前、本当に死ぬぞ」
妖狐相手にも啖呵を切る姿は好ましく思うが、あまりにも怖いもの知らずすぎて蘭丸は頭痛を覚えた。




