閑話 一生の不覚
「いやぁ、彼はすごいね。幻術の才能もさることながら、疲労が蓄積しても周りを統率する精神力! 真宵どのと彼がいれば妖狐族もあと四百年は安泰だ」
国へ天狗討伐の任務完了の報告を済ませた帰り道、隣を歩く瓊眞は榛色の瞳を細めて、抗戦中に樒が鬼族の補助をしたこと、真宵が不在中に右腕として妖狐を従えていたことを嬉々として話してくれた。
早く帰宅してしまいたいが、引退したとはいえ鬼族の元長である瓊眞の不興を買って、後々面倒事を起こしたくない真宵は「ああ」と顎を引く。帰りたいのは本心だが、腹心が褒められているのは素直に嬉しいし、鬼とはいえ瓊眞は尊敬できる妖魔なのでこの時間も苦ではない。
「あれは強い。体術や幻術以外の妖術はからっきしだが、それでも里長候補のひとりに名を挙げられるほどの実力を有している」
「おや、候補は真宵どのおひとりだと思っていたよ」
「母は実力主義だ。実子とはいえ、簡単にその座を譲らない」
「玉藻どのは昔から実力が飛び抜けていたからね。彼女がこの国へ来た時、厄介なやつが来たと噂になったものだ」
当時を思い出したのか瓊眞はしみじみと言う。
「玉藻どのならこの国を転覆させて、裏で牛耳ってもおかしくはないのに里を作り、自分からは決して喧嘩を売らないのは見ていて気味が悪かったよ」
「母がなにを考えているのか誰もわからん。俺に婚約すれば里長の座を譲ると言った時、その真意を老臣どもが探ろうとしていたが結局誰も聞くことはできなかった」
「まあ、確かに協定の話に玉藻どのが乗ってきたのは意外だったな」
まず先に人間との協定を提案したのは雪妖の長——氷織だった。彼と懇意にしていた瓊眞と海妖の先代は彼から提案を聞き、その案に乗っかることにした。
「氷織どのが玉藻どのとも仲が良かったのは初めて知って驚いたよ。話し合いの場に向かったら彼女がいるんだもの」
それで、と真宵を一瞥する。
「君と婚約した少女は鷹司家の者らしいね。どんな子だい?」
その問いかけに真宵は黙り込む。しばらく考えたのちに「分からん」と言った。
「分からないって、もう二ヶ月近くともに生活をしているのに?」
「……俺のことを、恐れている。だから話すことはない」
「奥ゆかしい子なんだね。私の倅と婚約した子とは正反対だよ」
「今回の討伐に貴殿の子息は参加しなかったのだな」
瓊眞は肩を持ち上げた。
「倅自身は参加する気満々だったが婚約者——潔子嬢というんだが、彼女を野放しにするとあの山まで押しかけてくる可能性があってね。すごいんだよ、彼女。怖いもの知らずの向こう見ず。直感で動いていて見ていて面白くて仕方ないよ」
「……打ち解けているのか」
「まあ、最初は色々あったよ。なにせ気が強い子でね、初の顔合わせの場で蘭丸の頬を思いっきり引っ叩いたんだ」
「は?」
真宵は己の耳を疑った。妖魔の、それも短気で有名な鬼の頬を打つ人間の女がいるなんて思えない。
「いやー本当にどうなることかと肝が冷えたよ」
からからと瓊眞は笑う。
「その一件で鬼族の大半は潔子嬢を気に入っちゃってね。ほら、私たちって強い者が好きだから肉体的には弱くても潔子嬢の精神は並みの鬼じゃ敵わない。蘭丸もなんだかんだ打ち解けて仲良くしているよ。まあ、うちが仲良くしているのは彼女の奇想天外さがあってこそだろうけど」
「俺の婚約者はそんなこと決してしない」
打ち解けていなくても断言できる。鈴音は初対面の相手を打つことも仕事先へ押しかけてくることも決してしない。自分の婚約者がお淑やかな娘であることに安堵した。
しかし、羨ましく思う自分がいた。少しでもいいから本心を言って欲しい。
「悩んでいるな。仲良くなりたくてもできないのかい?」
「……違う」
「老婆心ながらに助言をひとつ。待っているだけでは仲は縮まらない。自分から会いに行けば、自ずと仲は深まるさ」
「あの娘は、俺を恐れている」
「それなら贈り物はどうかな?」
ふむ、と瓊眞は顎に手を添える。
「例えば、簪や化粧品、着物。年頃の娘ならばおしゃれしたいだろう。日常で使うものも喜ばれるはずさ」
「……覚えておこう」
「昔から意中の相手に贈り物を渡すのは人間も妖魔も問わず行ってきたから不自然じゃないさ。——おっと、時間が経つのは早いな。もう着いてしまった」
ある屋敷の前で瓊眞は足を止めた。
赤煉瓦で建てられた豪邸は厳かな雰囲気で帝都のど真ん中に居を構えていた。
「倅は里近くに屋敷を構えるつもりだったんだけど、潔子嬢が嫌がってね。私ともども三条家に住まわしてもらっているんだ」
便利だよ、と瓊眞は笑う。
「すぐ遊びにいけるし、任務報告も近くだからすぐ済む。真宵どのもいつか帝都に住むことをお勧めするよ。まあ、今はそれどころではなさそうだけどね」
※
「おや、真宵。帰ってきたんだ。おかえり」
屋敷に戻ると出かける直前だったのだろう、樒とすれ違った。つい先ほどまでは疲労から不機嫌そうだったのに、今は楽しくて仕方がないといいたげな笑顔を浮かべて、真宵の顔を見つめている。それが妙に不気味で、真宵は軽く眉を寄せた。
「なんで怒っているんだい? 君の命令通り、鈴音ちゃんの手当ては終わったよ。薪田くんがだけど」
「人間の医師か」
「そう。ちょうど、往診中でね。私はこれから薪田くんが処方した薬を取りに行ってくるから留守を任せてもいいかい?」
「桔梗に言え」
「あの役立たずに? そこらへんの野狐に留守番を任せたほうがましな仕事をするさ」
あいも変わらず棘のある物言いだ。柔和な顔立ちで性格も同様に穏やかではあるが、一度根にもつと末代まで恨む樒は、心の奥底から桔梗を嫌っていた。桔梗もまた樒をいない者として扱うので彼らが打ち解けることはないのだろう。
真宵の返事を待たずに、樒は「じゃあ」と言って出て行った。
(なぜ俺が。いや、ちょうどいいか)
ここ最近、討伐のせいで子を作る時間を設けることができなかった。時間は有限だ。少しでも早く、確実に子どもを作るために、と真宵は鈴音の部屋へ向かうことにした。
「……」
あの娘にあてがった部屋の前で真宵は妙な焦燥感を覚えた。じりじりと熱で身体を焼くような、それでいて身体の芯は氷を抱いているように冷たい。
今までにない感覚に首を捻ると、意を決して襖を開き、中へ入る。
「……寝ていたのか」
鏡台にうつ伏せになるように眠る鈴音の姿を捉えるとため息をつく。早く起こしてしまおうと、その細い肩を掴もうとした。
けれど、触れることができなかった。
触れる直前で自分の意思とは別に手が固まった。指先ひとつ動かすことができない。
「なぜ」
引っ込めた手を凝視した。拳を作り、広げては、また拳を作る。何度もその動作を確認する。違和感はない、指の先もきちんと動く。
それなのに鈴音に触れることだけできない。
思わず舌打ちする。
と、その音に鈴音が身じろぎした。肩を跳ねさせた真宵は息をひそめて、鈴音を見つめる。深く眠っているようで目を覚ます気配はない。
「くそっ!」
もう一度、触れようと手を伸ばすが、やはり真宵の意思に反して身体が強張ってしまう。歯痒い気持ちに押しつぶされそうになりながら、真宵は座敷から飛び出すように山奥へと駆けていった。
——真宵自身が鈴音に触れることができなくなったと自覚したのは、それから三日後のことだった。




