15 赤い花
——ああ、妬ましい。
身の内を焦がす嫉妬の炎は静まらない。桔梗は爪を噛みながら、遠くで寄り添うふたりの姿を視線で追いかけた。
ここのところ、彼らは夜に逢瀬を重ねていた。小娘の匂いから、身体を重ねていたわけではないのは確かだ。
(なぜ、真宵さまはあの小娘を気にかけるの)
凹凸が乏しい身体で、身長も低く、華やかな美貌を持たない小娘。
妖狐の美的感覚から大きく外れている小娘を見て、最初は安心していた。数多の美しい雌に言い寄られていた真宵が小娘を抱くのは子を作るという義務があってこそ。心は微塵も小娘へ傾かないと思っていたから。
それなのに、
(どうして、そんな顔をするの)
長年、真宵を見つめ続けてきた自分だからこそ、彼に訪れた些細な変化に気付いてしまった。
前の真宵なら他者に足取りを合わせるようなことはしなかった。仕事の邪魔をする者を許さなかった。
そんな優しい眼差しを向けること、しなかった。
(なぜ、わたくしではないの)
ずっと見てきた。いつか彼の隣に立っても見劣りしないように美貌と身体を磨き上げた。美しい自分は誰の眼から見ても極上の女狐だ。
それなのに、自分が立ちたかった場所にいるのは、ちっぽけな人間の小娘。美貌も学も教養も、全て自分に劣っているただの雌。
(あの小娘を殺せば、真宵さまはわたくしの物になる……?)
そうだ、と桔梗は唇を持ち上げた。小娘が自ら出ていくのを待つのではなく、いっそのこと殺せばいい。
弱くても妖狐。たかが人間の小娘いっぴき、簡単に殺せるのだから、ためらわずにあの細い首をへし折ってしまえばいい。あの櫛や着物のように全身をずたずたに切り裂いて、肉片を山に捨ててしまおう。動物に食われて肉片ひとつ残らない最期が、あの小娘にはお似合いだ。
桔梗は恨みがましい眼で機会を伺った。
ふたりは三毛猫を見送り、その場で少しの会話を楽しんだ後、別れた。真宵の手には便箋が握られているため、このまま討伐へ赴くのだろう。討伐先までついて行けない小娘は部屋で真宵の帰りを待つつもりだ。
——丁度いい。これは天が小娘を始末しろ、と言っているに違いない。
桔梗は口元を歪ませると足音を忍ばせて、屋敷に入ろうとする小娘の背後に。長く伸ばした爪を食い込ませるように細い首に添わせた。異変に気が付いた小娘が後ろを振り返ろうとする。紅玉の瞳に自分が映った瞬間、桔梗は首をへし折った。
「……は?」
間抜けな表情で桔梗は周囲を見渡した。自分は今、玄関先で小娘の——鈴音の首をへし折ったはずだ。爪が肉に食い込み、流れ出た血の匂い。手のひらに伝わる仄かな体温と、首の骨が折れた音と感触。
確かに感じたはずなのに手にはなんの感触も残っていない。
それよりも、ここはどこだ? 闇深い森の中に自分がいる。周囲を見渡しても屋敷はおろか、見覚えのあるものはない。
「本当に馬鹿だな」
木の陰から鈴音が顔を覗かせた。楽しそうに、愉快そうに、桔梗を見下す目をして。
馬鹿と呼ばれた桔梗は顔を真っ赤にさせると走り出した。その顔を潰すために手を伸ばした。
「これでも気が付かないなんて」
鈴音の形が揺らめいた。まるで霧が広がるように変形し、現れたのは——。
「……樒?」
穢れた血を持つ幼なじみ。新緑の瞳を嫌悪に染めた彼は、腕を組み、桔梗を睨みつけていた。
「なんでここに。里に帰ったはずじゃ」
「気付かなかったのか」
樒の形がまた揺らめく。
次に現れたのは夕霧という人間の女。事情を察した桔梗は震える指先で樒を指差した。
「あんた、ずっと騙してたの」
「別に騙してないさ。あれぐらい、子狐でも見破れるのだから」
変化を解くと馬鹿にするように樒は肩を持ち上げた。
「う、うるさい!! ずっとわたくしを騙しておいて、今は邪魔をするつもり?! 中途半端のくせに純血に楯突こうだなんて立場を弁えなさい!!」
「弁えるのはお前の方さ」
凍てついた眼で桔梗を見定めると樒は一歩進む。
「処分命令が下った」
処分、と桔梗は目を剥く。
「え、わたくしを……?」
「お前以外に誰を処分すると?」
「な、なんで!? 仕事はきちんとやっていたわ!!」
樒は鼻で笑う。
「お前に与えられた仕事は里長である真宵とその婚約者である花嫁御寮の身の回りの世話。——ちゃんとやっていたかい?」
「それ、は……。あの、今からちゃんとする! もう一度、やり直させて!!」
「何度も挽回の機会をやった。その機会をことごとく潰したのはお前自身だ」
「お願いよ! わたくしたち幼なじみじゃない! 次はしっかりとやるから樒から上に言ってちょうだい!!」
無様だと分かっている。それでも処分を免れるために、桔梗は樒に縋り付くしかなかった。目尻に涙を溜めて、眉尻を落として、可哀想な女を演じる。そうすれば、馬鹿な男狐は桔梗のために駒になってくれるのだから。
※
「幼なじみ?」
心底不思議そうに樒は桔梗を見下した。
幼なじみとは、幼い頃からもっとも親しい者のことを指す言葉のはず。自分と桔梗は確かに生まれが近いが親しい者かと聞かれたら首を捻るしかない。
幼い頃はそれなりに仲良くしていた記憶はある。他の子狐たちと共に野原を駆け回り、獣を狩ったりしていた。成長して、周囲の考えに染まった桔梗は急に手のひらを返して自分を〝忌み血〟と嘲り、罵った。大好きな母を低級妖魔と笑ったのも一度や二度ではない。
才能がない妖狐である桔梗が、唯一見下せる相手だったこともあり、どれほど実力をつけて、真宵の右腕となっても馬鹿にされ続けていたのに。
「ずいぶんと軽い言葉だ」
幼なじみだなんて微塵も思ってはいないくせに、命乞いのためなら矜持すら投げ打つ女狐を樒は睥睨した。
「私と、たった一本の尾すら隠せないお前が?」
百八十年生きてきて、いまだたった一本しか尾が生えておらず、その尾すら隠すことができない桔梗を親しい者など思ったことがない。
「いいことを教えてあげるよ」
「な、なに」
樒が笑ったことで一縷の希望を見出したのか桔梗はどこかほっとした表情をする。
「君を処分するように言ったのは、真宵だ」
「う、嘘よ」
冷笑混じりの樒の言葉に桔梗は首を振った。
「嘘じゃない。次また、鈴音ちゃんに危害を加えるなら処分しろと命じられた」
「嘘、嘘嘘嘘!! 絶対に嘘よ!!! 真宵さまがわたくしを処分するわけないわっ!! だって、わたくしは玉藻さ」
——ひゅっ、と空気が切れた。
少しして血飛沫が闇夜を染める。
地面に広がる赤い花を見下ろすと「汚い」と吐き捨てた。




