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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
水無月の頃

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11 亡くし物


「どうして」


 昼餉を終えて、自室へ戻るなり、鈴音は呆然と呟いた。殺風景だった自室には色鮮やかな雪が積もっている。震える手ですくうように拾い上げて見れば、それは布でできていた。

 鈴音が持ってきた着物が、無惨な姿に変わり果てていた。真宵は必要以上に自分と関わるのを嫌がっているから違うはず。ならば、犯人は桔梗で間違いないだろう。

 ここまで嫌われるようなことをしたのだろうか。鈴音は泣きながら畳に膝をつき、布切れをかき集める。


(ここまで細々だと縫い直すこともできない。捨てるしか、ない)


 蝶と桜が刺繍された布切れが視界に入ると更に涙があふれてくる。持ってきた着物の大半は鷹司に仕える女中が使い古したものだが、この一着だけは特別だった。父からの反対を押し切って、「鈴ちゃんに似合うわ」と母が反物から仕立ててくれた一点もの。母とお忍びで帝都を散策した時に、婚約者に会うためにここへ来た時に、親睦会へ参加した時に、鈴音の人生の起点にはいつもこの着物を着ていた。


「櫛は?!」


 はっとして、急いで鏡台の引き出しを開けた。いつもの場所には見当たらない。他の引き出しも開けても、どこにも無い。箪笥の中や布切れの下を掘り起こして探し出す。

 けれど、どこにもない。見当たらない。


「……どうして」


 絶望にかられた鈴音が呆然と立ちすくんでいると嘲笑ちょうしょうが耳を逆撫でる。振り返れば、両手で口元を覆った桔梗が両眼を歪めて立っていた。心底楽しそうに笑っていた。


「き、きょうさま」

「お可哀想に」


 そう思ってもいない声音が鈴音の耳に届く。


「大切なものだったのですね」

「あ、の」

「なにか?」

「櫛、を。私の櫛は、どこに」


 渇いた喉奥から言葉を絞り出す。

 と、桔梗は一層とあでやかに微笑み、細い指先で窓の外をーー山の方角を指差した。


「捨てました」


 それは、残酷な言葉だった。



 




 羽を裂いたような葉が幾重にも連なり、地面を覆っていた。

 羊歯しだの葉を掻き分けて、湿った土を掘り起こせば、青臭い匂いと絡み合うように強い土の匂いがたちのぼる。


(ここにもない)


 桔梗はどこに櫛を捨てたのだろうか。木の陰や土の下、岩の隙間ーー隠しそうなところ、全てをしらみ潰しに探すがどこにも見当たらない。

 太陽が傾き、ただでさえ薄暗い世界が更に闇を帯び始める。屋敷へ戻って灯りを取りに行く時間すら惜しくて、鈴音は一心不乱に櫛を探し求めた。


「なにしているの?!」


 誰かが叫びながら鈴音の手首を掴んだ。


「……夕霧ねえさま」


 おもむろに顔を持ち上げた鈴音は、すぐさま地面へ視線を落とした。こんな醜い泣き顔を、夕霧に見られたくはない。


「物を探していて」

「なにかを無くしたの?」


 はい、と鈴音は頷く。


「なにを、誰に無くされたの?」


 鈴音の頬に手を添えると夕霧は視線を合わせて、硬い声で問いかける。


「櫛が」

「櫛? 櫛がどうかしたの?」

「私が、無くしてしまって」


 無くした? と夕霧は両目を細めた。

 次にでてくるのは叱責か、呆れか、鈴音が身構えていると打って変わって優しげな笑みを口元に浮かべた。いたわるように鈴音の手を握りしめる。


「酷い怪我。お着物も汚れちゃって……。お風呂にいきましょう。すぐ、お湯をはるから」




 ※




「なんだ、これ」


 鈴音の部屋に入るなり、樒は沸々と怒りが込み上げてくるのを自覚した。

 それと同時にどうして泥まみれになりながら土をほじくり返していた意味も理解した。


(あの糞女狐め)


 心の中で毒付く。余計なことしかできない無能は、樒が留守という短い時間でまたやらかしたようだ。

 鋭い舌打ちを放つと樒は鈴音の部屋を後にして、自室へと向かった。所持しているのは男物ばかりで、鈴音では大きすぎるだろうが着替えがないためやむを得ない。とりあえず、一番綺麗な着物を引っ張りだすと急いで浴室へと向かった。


(真宵はなにをしていたんだ)


 廊下を歩くが怒りは一向に収まらない。元凶である桔梗本人の他に、真宵にも怒りの矛先が向かう。


(あの様子じゃ、買い物にも行っていないんだろう!)


 気を利かせて街へ買い出しに行くように提案したのに、真宵はひとりでどこかに行ってしまったようだ。これだから朴念仁ぼくねんじんだと言われるんだ、と心の中で悪口を重ねていると、


「……なにを怒っている」


 ちょうど、今帰宅したのだろう。口元を引き攣らせた真宵が玄関先に立っていた。


「君に、桔梗に、全部にさ」


 心当たりがないらしく、真宵は不思議そうに首を傾げる。おおかた、過去の言動を思い返しているに違いない。その動作すらかんに障り、樒は大股で真宵へ近づいた。


「なんで、鈴音ちゃんと出かけなかったんだい?」

「それは……」


 真宵は気まずそうに目を泳がせた。


「君が鈴音ちゃんと一緒にいればーーん?」


 怒りをぶつけようとした樒は、真宵の手に桐箱が握られていることに気がついた。


「これって、なんだい?」

「……櫛」


 ぽつり、と人間なら聞き取れない声量で答えた真宵は桐箱を袖のしたに仕舞う。


「ふーん」

「なんだ。その顔は」

「いやいや。ちゃんと考えているんだなって安心してさ。新しく買ったのかい?」

「……山に、捨てられていた櫛を直してもらった」


 直してもらったというのは、付喪神つくもがみにだろう。長い年月をた道具はやがて魂を得て妖魔とる。捨てられた付喪神は人間をたぶかすと云われているが、長らく大切に扱われた付喪神は福を呼ぶ。

 そして、同じように大切に扱われた道具が壊れた際は直してくれた。


「あの役立たず、本当に碌なことをしないな。いい加減、里に帰してしまえばいいんだよ。いくら玉藻さまのご命令だからって、あいつがいる限り不利益が多すぎる」

「お前は本当に桔梗が嫌いだな」

「君もだろう? 私は、私自身を見下すやつが嫌いなだけさ」


 はっ、と肩を持ち上げる。


「私が一族で好んでいる相手はいないよ。全員、私を見下しているのだから」

「俺もか?」

「時と場合によるかな。鈴音ちゃんに無体を強いて、酷い言葉を投げかけて、反省しないところは大嫌いだけど」

「……善処する」

「君、本当に変わったね。いいことだ。じゃあ、私はこれで失礼するよ」


 不思議なことにあれだけ酷い怒りはどこかにいってしまった。先程とは違い、軽やかな足どりで浴室へ向かおうとするが真宵に止められる。差し出された桐箱に、樒は両目を丸くさせた。


「私はいらないよ」

「違う」

「うん。これが鈴音ちゃんへっていうのも理解しているけど、なんで私から渡させようとするんだい? 君から贈るべきだ」

「俺よりもお前のほうが喜ぶ」

「まあ、信用されているからね」

「うるさい。長命令だ。お前が、あの娘に渡せ」


 無理やり胸に押し付けると真宵は自室へと戻っていく。桐箱を抱え直した樒は深くため息をはいた。


「最初から接し方を改めれば、悩まなくて済んだのに」


 馬鹿だなぁ、と呟いた。


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