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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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17/58

閑話 のちに親友となる


「はあ? 妖魔の患者だぁ?」


 看護師がほうけた表情で呟いた言葉に、薪田まきた蓮助れんすけはひどく怪訝けげんそうな顔をした。

 聞けば妖狐族と名乗る青年が訪ねてきて、身内が熱をだして苦しそうだから診て欲しいと頼んできたそうだ。


「俺は人間専門だ。妖魔なんか診ない。すぐ帰ってもらえ」


 しっしっ、と手で払いのける仕草をすると看護師は不服そうな顔をしながら「話だけでも聞いてあげてください」と言った。その頬は赤らみ、瞳はうるんでいる。心ここにらずな様子は気にかかるが薪田は「やだね」と肩を持ち上げた。


「俺は妖魔なんて大嫌いだ。あんなやつら診たくねぇ」

「えー、でも、すっごくかっこよかったんですよ」

「そんなの知るか。かっこいい、かっこ悪い以前に妖魔なんて診るかよ」


 看護師を追い出すと、机に向かう。新しく入手したばかりの西洋医学の本に目を通そうとした時、上から影が落ちてきた。


貴殿きでんが医師か?」


 おもてをあげた薪田は、隣に立つ青年を見て驚くよりも先に(なるほど)と納得した。看護師が見惚れるのも頷ける。黄金を紡いだ髪に知性が宿る翠緑すいりょくの瞳、顔の造形は恐ろしいほど整っている。——人間を喰らう妖魔は()を魅了するため、美しい容姿を持つ者が多いというが青年も例外に漏れずそうなのだろう。

 無意識に身体が強張る。妖魔は理性があるように見せかけただけの化け物だ。戦場で、彼らのおぞましさはこの身を持って理解した。

 もしかしたら、この場で殺されるかもしれない。薪田が冷や汗を流していると青年は深く頭を下げた。


「……は?」


 思わず、素っ頓狂な声がまろびでる。人間に頭を下げる妖魔なんて見たことがない。薪田は思わず、つむじを凝視した。


「私の名はしきみ。妖狐族の長の側近を務めている」

「お、俺は妖魔のことに詳しくねぇんだわ。他を当たってくれ」

「診てもらいたい方は人間だ」


 は? と声を荒げる。


「人間だって?」


 思わず聞き返すと樒は頷いた。


「我が主君の婚約者となられた方が疲労からか熱を出されている」

「お前さん、妖狐と言ってなかったか?」

「ああ、耳や尾を見せれば信用してくれるか?」

「いや、それはいいんだが、妖狐の婚約者が人間だって……?」


 ちまたでは見目麗しい妖魔と人間との禁断の恋が描かれた小説が人気だと聞くが、実際に伴侶となる事例は少ない。先の大戦により妖魔に対する認識が和らいでも、いざ付き合いたいかとなると恐ろしく感じるものだ。


「あんたら、その人間を攫ってきたのか?」

「いいや、彼女は繋ぐために長の元に来た」

「繋ぐ?」


 青年——樒は少し考える素振りを見せる。


「戦において、妖魔は協力する代わりに表立って国を歩く許可と華族と婚姻関係を結ぶことを求めた。彼女はそのために来た、鷹司の人間だ」


 華族、鷹司——その羅列した言葉の意味を理解した薪田は思わず立ち上がった。


「待ってくれ! それは、機密事項というやつではないのか?!」


 鷹司家は帝都に住む者なら一度は聞いたことがある名家だ。新聞にもよく名が載っている。

 けれど、鷹司家の娘が妖魔の長に嫁いだなど聞いたこともない。もしそれが本当なら国中が大騒ぎだ。


「ああ、他言無用で頼む」

「他言無用って、俺に断る権利ない感じ?」

「放っておけば、彼女は死んでしまうだろう。鷹司のご令嬢を見殺しにしてもいいなら断ってもらっても構わない」

「……それ、脅しじゃん」


 薪田は頭を抱えた。八方塞がりとはまさしくこのことである。


「……分かった。みりゃあいいんだろ」


 絞り出した声に樒は柔らかく微笑んだ。


「頼む。今から案内する、こっちだ」

「待ってくれ。道具を準備したい。あんたから見て分かる範囲でいい。症状を教えてくれ」


 手に取った往診鞄に聴診器や体温計、必要になりそうな薬品類を次々と詰めていく。妖狐のくせになかなか賢いらしく、要点のみを簡潔に教えてくれるので準備はしやすい。少しは知性というものがあるようだ。


「お前たちの住処すみかって車で行けんの?」

「行けるが時間がかかる。できれば、すぐに診てもらいたい」

「は? すぐにってその子連れてきてるの?」

「いいや、私が乗せてあげるよ」


 そう言うと樒は窓から外へ飛び出すと背中を丸め込むように上半身を前に倒した。白い肌がみるみるうちに金色の毛で覆われて、平たい爪が黒く鋭利な形へと変わる。麗しいかんばせも狐そのものに変化していた。

 四本の尾を揺らめかせながら巨大な狐は薪田の前に背中を向けた。


「さあ、乗って」




 ※




「——おい、あれはどういうことだ」


 屋敷から離れた場所に来たと同時に薪田は樒の胸元を掴むと睨みつけた。


「どういう、とは」

「とぼけんな。あの子が熱を出した理由がわからないほど、お前たちも馬鹿じゃないだろう」


 熱にうなされた少女の身体は無数のあざに覆われていた。人の手のようなそれは、腕や足首を中心に全身に広がっており、故意ではないことは明らかだった。

 理由を聞かなくても、どんな目に遭っているかが想像できて、薪田は吐き気を催した。妖魔にも他者ひとを思いやる心があると見直した自分が恥ずかしい。


「……花嫁御寮も承知の上だ」


 なにが承知の上だ! 薪田は食ってかかろうとして、直前でやめた。樒が妙に思い詰めたような表情をしていたことが気になった。


「あの子に無体を強いたのはお前の主人なんだろ。止めろよ」

「……真宵もわざとではないんだ。あれでも手加減をしていた」


 薪田は舌を打つと樒の襟ぐりを掴む手を離した。やはり妖魔と人間が通じ合うなどありえない。早急に少女を救うため、己がどう動くか考えていると誰かに手首を掴まれた。

 米神こめかみに血管を走らせて、薪田は背後を振り返る。力では敵わなくても一発ぶん殴ってやらなければ、溜飲りゅういんは下げれない。

 拳に力を入れた時、樒がまた頭を下げていて面食らった。


「なんのつもりだ」

「少しでいい。時間をくれないか」

「その少しの時間であの子になにかあったらどうするつもりだ」

「……真宵はきっと花嫁御寮に対しての認識を改める。それまで待っていてくれ」

「俺は医者だ。人間のな。受け持った患者が乱暴されて熱だしたっていうのに黙って見守れると思うのか?」


 樒はなにも答えない。黙って視線を落として、薪田を納得させる理由を考えているようだ。


「手を離せ」

「……このことを誰かに言っても信じてもらえないだろう」


 薪田は片眉を持ち上げる。


「なにが言いたい」

「この婚姻は、君がいったように機密事項だ。一部の者にしか伝えられていない。それを君が知っており、更に風聴するとなれば罰を受けるのは君だ」

「俺をおどすつもりか?」


 ああ、と樒は頷く。


「もし、黙って治療に当たってくれるのならば報酬には色をつけよう」

「下劣だな」

「なんとでも。……それに、花嫁御寮は鷹司に戻ってもおそらく居場所がない」


 樒はまつ毛を伏せる。白皙はくせきの頬に陰が落ちて、美貌を一層と惹き立たせた。


「彼女にお面をつけるように命じたのは我々ではない」

「はあ? なら、なんであんな」


 不自然に言葉を区切ると薪田は唇を噛んだ。鷹司家は当主の意向で慈善活動や社会事業に熱心なため、よく新聞に取り上げられている。そこに映るのは鷹司公爵と公爵夫人のみ。娘は病弱なのか一度たりとも表舞台にでたことはない。薪田を医療の道に導いた恩師は華族や皇族の診療を主に行っているが鷹司家の話題になるとなぜか顔をしかめていた。

 そこから導きだされる答えに、薪田は口元を覆った。


「ここにいるのも地獄で、戻るのも地獄ってことか。……お前たちはなにを求めている」

「子どもを。妖魔と人間の血を継ぐ子どもができれば、彼女は自由になれる」

「自由ねぇ」


 深く息を吐く。苛立ちも不甲斐なさもなくならないが、先ほどよりかは胸が軽くなった気がした。国も噛んでいる事案に、ただの町医者である薪田がかなうわけがない。下手に動けば、自分だけではなく、あの少女の身を更に危険に晒す可能性すらある。


「難儀だな。どうやってもあの子を救うことはできないってことか……。でも、お前は寄り添ってやれるんだろう?」

「そのつもりだ」

「なら条件を一つだそう。あの子の痣が消えるまで、お前んとこの長を近づけるな」

「分かった。それぐらいなら対処可能だ」


 それで、と樒は伺うように薪田を見つめた。


「先ほど言っていた〝食後〟とはどういう意味だろうか」


 思いもよらない問いかけに薪田は瞬きをする。そういえば、先ほど後で教えると言っていたのを思い出した。


「薬には飲むタイミングがあるんだよ。胃が空っぽの状態で飲んだ方がいい種類や食間っていって食事と食事の間に飲む種類、食後は食事をしてからしばらくして飲む種類な」

「〝頓服とんぷく〟とは?」

「頓服薬っていうのは、症状が出た時に飲む薬だよ。ただ、空腹状態だと胃酸がひどいだろ? 一口程度でいいから薬飲ませる前にお粥でもうどんでもいいから消化にいいものを食べさせてやってくれ」

「お粥……うどん……」

「……なあ、お前たちって熱とか出したらどうしてたんだ?」

「そもそも大妖は病気にならない。もし怪我を癒すのに妖力を消費して、熱を出しても肉を食べて寝ていれば一夜で完治する」


 まさかの返答に薪田は眉間に皺を寄せる。


「それ、あの子にやんなよ。絶対に悪化する」

「やっぱり、駄目か。いや、分かってはいたんだけれど、聞いておいて正解だったよ」


 照れくさそうに頬を掻くと薪田を見つめた。


「私は見ての通り、人間と関わったことがなくてね。これから先、人間というものを詳しく教えて欲しい」

「あー、まあ、仕方ないな。あの子のためだ。少しでも状況が改善するなら手を貸すよ」


 この時、薪田は知らなかった。この翌日、樒が「人間の料理を教えてくれ」と押しかけてきて、味見役と言う名の料理消費係に任命されることに。

 それから度々(たびたび)、人間の生態について、食文化、娯楽について質問攻めされて、半強制的に大嫌いな妖魔と関わる未来が訪れるとは、今の薪田は考えすらしなかった。


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