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狐が来たりて鈴を鳴らす  作者: 荻原もも
卯月の頃

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13/58

13 紅玉の瞳


「もうっ、聞いていますか?」


 ぷくっと頬を膨らませた桔梗は、空になった杯に酒を継ぎ足しながら真宵を見上げた。身長は桔梗の方が高いため、背中を丸め込み、できる限り身体を小さく見せるのを忘れない。

 体躯たいくの大きな女狐は丈夫な子を産むとされているため、里では数多の男狐が言い寄ってきた。妖力は平均以下だが、それを補うほど秀でている自分の容姿とこの体型は嫌いではない。

 けれど、好きな妖魔ひとの前では可憐に見られたいのが乙女心というものだ。

 桔梗が豊かな胸を更に寄せて、下品にならない程度にたくましい腕に押し付けるが当の本人は顔色ひとつ変えずに酒のあおる。これが他の男狐なら、鼻の下を伸ばして、谷間を凝視しているだろうに真宵は決して欲を表さない。

 お得意の色香が通じないのは悲しいが、そんな真宵を好ましく想う桔梗は頬を緩ませて更に甘えた声音で言葉を重ねた。


「なんで急に鷹司から使用人が来たんでしょうか」


 ぴくり、と真宵の頬が動く。

 それに気づいていない桔梗は不満げに唇を尖らせた。


「あーあ、嫌ですわ。せっかく真宵さまと暮らせたのに人間なんかが二匹も転がりこむだなんて」


 しかも、その人間たちは雌ときた。

 それも片方は妖狐から見て上等と言わざるを得ない美貌と肢体したいをしていた。花のようなかんばせに引き締まった身体は、妖狐から見ても上物と言わざるおえない。

 もう片方——鷹司の小娘のように背丈も小さく、凹凸おうとつの少ない貧相な身体なら桔梗も焦りを覚えることはなかっただろう。人間相手に真宵が情を覚えるとは思えないが、用心するに越したことはない。


「真宵さまもお可哀想……。あのような小娘を婚約者にあてがわれるだなんて」


 真宵には自分のような女狐が釣り合うのに。


「ねえ、真宵さま。あなたがお望みになるのならば、わたくしはあれらを片付けることもできますわ」


 あの小娘どもがいなくなれば、きっと真宵は自分を妻として迎え入れてくれるはずだ。


「ねえ、真宵さま……」


 襟の合わせ目から手を差し入れ、あでやかにしなだれかかる。自分が一番美しく見える角度で、一番男狐の欲を煽る姿で。桔梗は微笑を深めた。


「触れるな」


 けれど、冷たい声に一蹴いっしゅうされて、桔梗は身体を強張らせた。なにか気に障るようなことをしてしまったのかと心配になり、端正な横顔を見つめる。真宵は平然と酒を嗜んでいるが、その眉間には皺が微かによっていた。

 明らかに苛立っている真宵の様子に桔梗は唾を飲み込んだ。発言は問題ないはずだ。弱い人間を婚約者にあてがわれたことは妖狐にとって屈辱と言ってもいい。現に、環境に馴染めず熱を出してお務めすら果たせない小娘に真宵は怒りを覚えていたのだから、桔梗がどれだけあの小娘をけなそうと許してくれるはず。


(少し、踏み込み過ぎたかしら……?)


 絶好の機会だと、素肌に直接触れたのがいけなかったのだろうか。

 いいや、と桔梗は内心で首を左右に振る。自分は里で一番、美しい女狐だ。いくら真宵とはいえ、密着されて嬉しくないわけがない。

 きっと、鷹司の小娘のせいだ。自分が知らない場所で真宵の怒りを買うようなことをしでかしたに違いない。


「申し訳ござません。真宵さまのおそばにいられたのが嬉しくて……あっ」


 空になった杯を畳の上に落とすように置いた真宵は、桔梗の言葉を最後まで聞かず立ち上がる。

 桔梗は袖を掴もうと腕を伸ばした。


「お待ちになってくださいませ。もう少し、このまま」


 桔梗の懇願を無視して、真宵は部屋から出ていった。

 一人残された桔梗はちゅうを彷徨う手を下ろして、奥歯を噛み締める。悔しくて、憎くて仕方がない。


(あの小娘がしゃしゃり出てこなければ、真宵さまはわたくしのものになったはずなのに)


 真宵の従者として誰が身の回りの世話をするか話題となった時、多くの女狐が手をあげた。見目も麗しく、血筋もよい。更に若くして五つの尾を持つ真宵の妻になりたい者は大勢いた。

 その中で桔梗は玉藻直々に指名された。

 それはつまり、玉藻は母親として息子の伴侶に桔梗を選んだということだ。


「大丈夫です。ご安心してくださいませ。必ずや、この桔梗が真宵さまを自由にしてみせますわ」


 誰にともなく呟くと桔梗は唇を持ち上げる。輝かしい未来は約束されているのだから、邪魔者を排除すればいいだけ。桔梗には、その資格があるのだから心配しなくてもいい。




 ※




 真宵は怒りを隠さず、大股で廊下を進んでいた。

その足音に呼応するように、廊下が軋み、連動するように年季が入った屋敷全体が歪な音をたてる。普段なら気にならないその音すら、真宵の怒りを逆撫でした。


(いつまで待たせるつもりだ)


 鷹司の小娘が熱を出して、もう五日が経った。

 最初は起き上がることも困難だったのが、医師が処方したという薬のおかげで熱は下がり、体調も良くなったと樒から報告を受けている。


 ——それなら、そろそろ夜伽を再開してもいいはずだ。


 妖力が乏しい鼠や虫といった妖魔は簡単に産み増やせるのに対して、膨大な妖力を持つ妖狐や鬼といった大妖は長寿に比例して繁殖能力が極端に低い。特に妖狐は尾の数を重ねるごとにその傾向は強まり、五つの尾を持つ真宵が子どもを成すなど奇跡といっていいだろう。

 だからこそ、真宵は無駄というものを嫌った。少しでも懐妊の確率をあげるため、時間があれば小娘を抱いた。愛ゆえの行動ではなく、ただ効率と結果のためだ。

 子どもを欲しいとは一度たりとも思ったことはなかった。子どもを持ち、育て、慈しむ時間があれば、それを鍛錬にあてて少しでも己の実力を磨きたい。


 ——だが、これは政略結婚だ。証である子どもを作るまで終わらない。


 少しでも懐妊の確率を上げるために数をこなさなければならないのを、樒は同族として分かっていながら、依然として許可を下ろさなかった。


(あいつは俺の従者であることを忘れたのか?)


 あの小娘が熱を出さなければ、樒が禁止を言い渡さなければ、もしかしたら今頃、実を結んでいたかもしれないのに。

 この期間で何度、あの薄い腹に精を注ぐことができたのだろうか。考えると、苛立ちが精神を蝕んでいくようだった。


「そう、ゆっくりと刃をひいて。怪我しないようにね」


 ふと、くりやの方角から何やら楽しげな声がした。小娘に宛てがった部屋へ向かおうとした足を止めて、真宵は耳を澄ませる。


「こうですか?」

「とても上手。次は切ったそれを鍋に入れて。お湯が跳ねたら危ないから、気をつけてね」


 気配を消して、厨を覗けば、二十代半ばほどの女性と十六ほどの少女がかまどを取り囲んでいた。少女の手にはまな板があり、その上には切り分けられた食材——おそらく山菜が乗せられている。危なっかしい手つきで包丁を操り、恐る恐るといった様子で鍋に入れていた。

 その隣で微笑ましいものを見るように頬を緩める女性を見て、真宵は顔を顰めた。


(何をしているんだ、あれは)


 鷹司の小娘の世話役を買ってでた樒はなぜか人間の女に肉体を変化させていた。小娘の緊張を解くためだとしても矜持きょうじもへったくれもない姿を長く視界に入れたくなくて、隣にいる小娘に視線を移す。


 直後、真宵は息を止めた。


 何度も閨を共にしても頑なに外さなかった狐面は、いまは紐を首にかけて、背に垂らされている。そのため、普段は隠されている素顔が惜しみなくさらけ出されていた。心の中で小娘がお面をつけるのは醜女しこめだからだと思っていた。

 その素顔を見たという桔梗も「酷くおぞましい姿をしていた」と貶していた。自分は醜い婚約者をあてがわれたのだと思い込んでいた。

 それは間違っていたことを理解した。陽の光を知らぬ白磁の肌、つんと尖った鼻梁びりょうに桃の花びらのような唇。美しいという言葉よりも、可愛らしいと称するべきかんばせを少女はしていた。

 けれど、その瞳は普通とは大きく異なった。


 ——煌めく紅玉石、朝露に濡れた赤薔薇、揺らめく炎。


 真宵の脳裏に、その瞳を形容する言葉が流れていく。どれも美しい赤を称賛する際に使用する言葉だ。


(この目を隠したかったのか)


 もったいない、と思った。嬉しそうに輝く瞳は、まさに宝石と呼べるものだ。妖狐の里でも、これほど美しい瞳を持つ者はいない。もっと見てみたいと無意識に歩を進める。

 微かな足音に気付いたのか、樒が視線をこちらに向けた。黒い瞳が揺らぎ、本来の若葉の瞳に戻る。瞳孔が縦に細長くなったのを視認したと同時に真宵の見ている世界が反転した。


「……」


 突如、目の前に現れた襖に、樒の術中にはまっていたことを理解した真宵は舌を打つ。もう一度、小娘の元へ行こうとして、——やめた。

 樒は幻術以外はからっきしだ。真宵が本気を出せば、簡単に勝てるのに、なぜか無理やり小娘を攫うのはできないと思った。


 否、顔を合わせるのが恐ろしかった。


樒の前では惜しげなく晒され、嬉々として輝いていても真宵の姿をとらえた途端にその輝きは消え失せてしまうのは見たくはない。真宵は後ろ髪を引かれる思いを抱きながら自室への道を戻っていった。




 伽が解禁されたのは、それから一週間が経った頃だった。


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