12 結ばれた縁
喉奥から込み上げてくる吐き気に、鈴音が目を覚ますと、初老にさしかかった男性と白百合のように美しい女性が自分を心配そうに取り囲んでいることに気がついた。
一瞬、自分が置かれた状況が理解できず、吐き気を忘れて、鈴音は目を丸くさせる。
「起こしちゃった?」
ふわりと花が綻ぶように笑う女性は忘れもしない。死にたかったあの日、鈴音を止めて、更に傷ついた身体を手当てをしてくれた人だ。
(なんで、ここに?)
ここにいるはずのない人物に、思考が停止する。
けれど、吐き気を我慢することができず、鈴音は身体を横にすると背中を丸めて、両手で口を覆った。
「っ、ぅぐ」
空いた手で桶のようなものを探していると女性が息を詰める気配がした。
「さあ、我慢せず、ここに吐き出しなさい」
初老の男性がすかさず桶を渡してくれた。
鈴音が胃の中のものを吐き出していると、おずおずと背中に手が添えられる。高い体温はまるで陽だまりのように温かい。その手がゆっくりと上下に動くたびに、吐き気は薄れていく。代わりに胃酸が喉を焼く痛みと吐瀉物特有の不快な臭いに鈴音が苛まれていると初老の男性は水が注がれた器を差し出してきた。
「これで口の中をすすぎなさい。気持ち悪いのがだいぶましになるはずだ」
「……すみません。あの、あなたは」
「私は薪田という。普段は帝都の病院に勤めている医師だ。ここには週に二度ほど派遣されていてね、君が体調を崩したと聞いて来たんだよ」
医師、という単語に鈴音は瞬きを繰り返した。真宵と桔梗が手配したとは考えにくい。
「先生、彼女は大丈夫なのでしょうか?」
鈴音の背中を撫でながら、女性は心配そうに問いかけた。
「解熱剤を打ったからしばらくしたら熱も下がるはず。明日の朝から飲む薬と吐き気止めも頓服薬として処方するから飲ませてあげてくれ。どちらも食後でいいよ。食欲ないと思うけど、軽めのものでいいから少しは胃にいれてね」
「頓服薬? 食後? 軽め……?」
「あー、後で教えるから時間ちょうだい」
頭上で交わされる会話を耳にする限り、女性が鈴音の身を案じて医師を呼んだのが分かった。
(また、助けられた)
警戒を解いた鈴音は、次に自分が置かれた状況を俯瞰しようとした。夜伽を終えて、汚れた身体を冷たい水で清めたことと今まで蓄積した疲労から熱を出したのだろう。桔梗が訪れる前にお面を着用しなくては、と焦って——。
「あっ」
鈴音は急いで自らの顔を覆い、俯いた。赤い目が晒され、奇怪な目を向けられることに恐怖を覚えた。指の隙間からお面を探すが、手に届く範囲には見当たらない。
顔を蒼白にしながら鈴音が焦っていると、薪田は白い毛が混じる無精髭を撫でながら不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「……お面を。すみません、ここにあったお面をください」
立ち上がる女性を止めると薪田は首を左右に振った。
「なぜ着ける必要がある? 今はできる限り安静にしてもらいたいし、呼吸が苦しくなるようなお面は着けて欲しくはないんだが」
「この目は、呪われているので、見せたくありません」
鈴音の言葉に薪田は腹を抱えて笑い始める。女性が叱責を飛ばすのを無視して、鈴音の顎を掴み、無理やり顔をあげさせると瞳を覗き込もうとした。すぐに鈴音が瞼を閉ざすが薪田は指で瞼を持ち上げた。
「この目は生まれつきか? 見たところ瞳孔に異常はないな。虹彩の色は異なるが別に変わったところはなさそうだ」
「でも、私の目は赤くて」
「確かに妖魔や異人みたいな色をしていると言われたら〝そうだ〟としか言えないが、この国の人間でも瞳の色は真っ黒から明るい茶色まで様々! 赤いってだけで〝呪い〟だの馬鹿みたいなこと言うのはやめろ。そんなもの着けずに普通に過ごせばいいじゃないか」
鈴音は唇を引き結ぶ。同じ国の生まれでも個々によって、髪色や肌色が違うことは理解している。
それでも、この瞳のせいで自分は長く苦悩を味わってきたのだ。父からは存在を疎まれ、母を悲しませて、使用人からは蔑まれ、この十六年間を生きてきた。隠さなければ周囲が嘲笑うこの目を今更、晒して生きるなど考えただけでも恐ろしい。
「先生、その手を離してください」
女性は底冷えするような声を放った。
薪田は弾かれたように手をあげる。触っていませんと言いたいのか気まずそうに冷や汗をかいていた。
「無理を言って診てくださり、ありがとうございます。診療所まで送ります」
「え、今から薬作るんだけど」
「今は、彼女を休ませたいので診療所で作ってください」
「ええ……。君、わがままだね」
「玄関でお待ちを。もし、誰か来たなら私に呼ばれたと言ってください」
急かされた薪田は器具や薬品を鞄に詰め込む。
それを横目で一瞥してから、女性は柔らかな笑顔を浮かべて鈴音に話かけた。
「その目、すごく素敵だと思うわ」
「……その」
「私、赤が好きなの。美しくも気高い色じゃなくて?」
ぱっと鈴音が顔をあげる。この目を素敵だと、美しい色だと言われたのは初めての経験だった。女性の言葉を噛み締めて、理解したと同時に恥ずかしさを覚えた。頬に熱が集まるのを感じて、赤い顔を見られたくないと面を伏せる。
「あり、がとう、ございます」
「今すぐじゃなくていい。少しずつ、その瞳を好きになればいいわ」
「あの、お姉さまはどうしてここに」
その問いかけに女性は軽く目を細めた。
「今日から鷹司の使用人として、この屋敷で暮らすこととなったの」
「ここで? ずっとですか……?」
嬉しさのあまり、鈴音は前のめりになる。
女性は少し困ったように笑うと顎を引いた。
「ええ、もちろん。先生を送ってくるから、少しだけ待っていてくれる? 戻ったらお話ししましょう」
「あ、あの、お名前を聞いてもいいですか?」
女性は少し考える素振りを見せた末に〝夕霧〟と名乗った。




