↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/29

6

 階段の上から見る海は、電車の窓から見たときよりずっと広かった。波打ち際で遊んでいる家族連れの向こうを、白い船がゆっくり横切っていた。


 成瀬は手すりに触れながら階段を下り、砂に足を取られて一度立ち止まった。俺もその後ろを、歩幅を狭くして下りていく。


「靴、砂が入りますね」


「乾いてるところは、結構沈むので」


 俺が答え終える前に、成瀬は波の方へ歩き始めていた。俺は砂の色が濃くなる少し手前で足を止めた。


 しばらくして、彼女が振り返った。


「三浦さん、来ないんですか」


「ここで待ってます。靴、濡らしたくないので」


「せっかく来たのに」


「ここからでも見えますよ」


「見るのは、電車でもできました」


 それはそうだった。ただ、海を見に行くというのと、海に入るというのは、俺の中では別だった。


 成瀬は足元へ来た水から一歩退き、こちらへ戻ってきた。


「じゃあ、私だけ行ってきます」


 階段脇の平らなところで靴を脱ぎ、靴下を片方ずつ中へ押し込んだ。薄いベージュのズボンの裾を折り上げてから立ち、小さな鞄を肩に掛け直す。


「そこ、見ててもらっていいですか」


「靴ですか」


「はい。流れないとは思いますけど」


 そこまで波が来たら、俺も困る。頷くと、成瀬は裸足で砂の上を歩いていった。さっきより足の置き方が慎重だった。


「冷たっ」


 最初の波が足に触れたところで、成瀬が片足を上げた。俺の方を見ると、上げていた足をゆっくり下ろし、裾を直した。


「冷たいですか」


 少し声を張って聞くと、成瀬は首を横に振りかけて、途中でやめた。


「最初だけです。今は大丈夫」


 それでも次の波が来たときには、足元をじっと見ていた。水が足首まで来て、引いていく。彼女は濡れた砂から足を抜き、さっきより少し先へ置いた。


 俺は階段の端に腰を下ろした。膝の上に何もないことに気づいて、そういえば本を置いてきたのだったと思った。


 成瀬が足元を覗き込んでいる。何か拾うのかと思ったが、屈みかけてやめ、少し離れたところへ移った。何を見つけたのか聞こうとしたとき、その向こうで波が立った。


「あ、待って」


 成瀬は身体を起こして後ろへ下がったものの、足が砂に沈んで、思ったほど進まなかったらしい。水が足首を越え、折った裾に掛かった。


 慌ててもう一歩下がり、今度は横へ逃げた。波が引いたあとも、その場で両足を見下ろしていた。


 俺は笑ってしまった。裾を濡らさないよう丁寧に折っていたところを、見ていたせいだった。


 成瀬が顔を上げた。


「笑いましたよね」


「すみません」


「今の、急に来たんです」


「はい」


「見てるだけだと、楽しそうですね」


 俺は口を閉じた。成瀬は濡れた裾をつまみ、肌から離した。近くへ来ると、片方だけ膝の下まで色が濃くなっているのが分かった。


「大丈夫ですか」


「濡れただけです」


 返事はすぐに来た。彼女は俺の隣に腰を下ろしかけて、ズボンの後ろを手で確かめてから座った。折った裾をほどくと、中から砂がこぼれた。


「……砂も入りました」


 俺は頷いた。そこは、見れば分かった。


「タオル、持ってきてないんですよね」


「俺も、部屋です」


「ですよね」


 成瀬は足を少し浮かせた。濡れた足に乾いた砂がついて、靴下を履ける状態ではなかった。


 俺は階段の上を見た。下りてくるとき、道の向こうの店先に浮き輪がぶら下がっていた。その横に、タオルも積んであったはずだった。


「上の店で売ってると思います。見てきます」


「あ、私も行きます」


「その足でですか」


 成瀬は階段を見上げてから、浮かせていた足へ目を戻した。


「……お願いしてもいいですか」


「はい」


 彼女が財布を取り出したので、値段を見てからでいいと伝えた。靴を彼女のそばへ寄せ、階段を上がった。


 店には無地のタオルと、イルカの絵が入った少し高いものがあった。俺は無地の方を一枚買い、戻る途中で階段脇の足洗い場を確かめた。


 成瀬はさっきと同じ場所に座り、裸足の先を日向へ出していた。タオルを渡すと、顔を上げた。


「ありがとうございます。いくらでした?」


 値段を伝えると、彼女は財布から小銭を出した。俺は受け取りながら、足洗い場の方を指した。


「砂、あそこで流せます」


「先に言ってくださいよ」


「今、見つけたので」


 成瀬は立ち上がり、靴を片手に持った。


「じゃあ、ちょうどよかったです」


 足を洗って靴下を履き直しても、ズボンの裾は濡れたままだった。歩くたびに足へ触れるらしく、成瀬は何度か裾を引っ張った。


「一回、宿に戻りません?」


「そうですね。着替えた方がいいかも」


「はい。座るたびに、どこが濡れてるか考えるの、ちょっと面倒なので」


 俺は頷いた。まだ夕食まで時間はあったが、ほかに急いで行く場所もなかった。


 帰り道、成瀬は濡れたタオルを畳まず、手に広げて持っていた。風を受けるたびに端がめくれて、彼女はその都度持ち直した。


「海には、ちゃんと入れましたね」


「足だけのつもりだったんですけど」


 成瀬が自分の裾を見たので、俺もつられて見た。顔を上げると目が合った。


「今度は笑ってないですよ」


「先に言うと、怪しいです」


 そう言って、成瀬は少し笑った。俺も今度は、彼女の顔を見てから笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。