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成瀬が鍵を差し込もうとして、ボストンバッグを床に下ろした。俺も自分の鞄を廊下へ置き、彼女の鞄の持ち手を指した。
「それ、部屋まで持ちます」
「ありがとうございます」
黒いケースは肩に掛けたままだった。戸が開くと、畳の上に低い机があり、窓際には座椅子が二つ並んでいた。
「鞄、どこに置きますか」
「机の横でお願いします」
敷居をまたいで鞄を置く。成瀬は部屋を見回し、窓から離れた壁際へケースを運んだ。床へ下ろしたところで、エアコンの方を見る。
「そこ、風が来ますか」
「少し。直接当たらない方がいいので」
答えはすぐに返ってきた。俺が一歩脇へよけると、成瀬は空いたところへケースをずらし、そのそばに手をかざした。
俺にはどちらも同じくらい涼しく思えたが、彼女はそれで頷いた。
「ここなら大丈夫です」
「出かけるとき、鍵は持っていってください。外からもかけられるので」
「はい。じゃあ、これは置いていきます」
ケースの留め具に触れて確かめると、成瀬は肩を一度回した。さっきまで紐が掛かっていたところに、服の皺が残っていた。
「お昼、どうしますか」
「食べに行こうと思ってました」
「私も行っていいですか」
「はい。荷物だけ置いてきます」
廊下に戻って自分の鞄を拾うと、ずいぶん重く感じた。部屋へ着いたら、今度こそ下ろしたままにしておこうと思った。
*
宿の会計を済ませた成瀬と玄関で合流し、商店街へ向かった。出る前に、叔母から夕食は六時半だと言われた。俺が頷くより先に、成瀬がスマホで時間を確かめていた。
十分ほど歩いたところに、以前入ったことのある洋食屋があった。店先の黒板を見た成瀬が足を止めたので、俺も隣に並んだ。
「ハンバーグと、エビフライ」
「ほかにもありますよ。中のメニューには」
「増えるんですか」
嬉しそうというより、困った声だった。
「ここにします?」
「はい。お腹空きました」
一時を少し回っていて、店の奥では、食べ終えた客が冷たいお茶を飲んでいた。俺たちは窓際の席に座り、水と一緒に置かれたメニューを間に広げた。
「何にしますか」
「ハンバーグ定食です」
「早いですね。見ました?」
「前に食べて、おいしかったので」
成瀬は写真を見比べた。エビフライの隣には、クリームコロッケも載っていた。店の外より候補が一つ増えたらしい。
「エビフライって、結構大きいですか」
「前に母が頼んだのは、大きかったです。二本ありました」
「ハンバーグのソースは?」
「デミグラスです」
「うーん」
成瀬の指が写真の間を往復した。ようやく一つの上で止まったので顔を上げると、彼女は指を引っ込めた。
「……まだです」
「はい」
俺は水を飲んだ。厨房から皿の重なる音がして、近くを通った店員がこちらを見たので、まだ決まっていないと軽く頭を下げた。
「あ、すみません。もう決めます」
「急がなくていいと思いますよ」
「でも、三浦さん、決まってるし」
「俺は最初から決めてたので」
彼女は俺を見て、メニューを自分の方へ少し引いた。
「じゃあ、もうちょっとだけ」
今度は値段と小さな説明まで読んで、最後にエビフライの写真を指した。
「これにします」
店員を呼ぶと、成瀬は自分で注文し、メニューを閉じた。その後で隣の席に運ばれてきたオムライスを見ていたが、何も言わなかった。俺も見た。あれもおいしそうだった。
注文した料理が来るまでに、冷房で汗が引いた。成瀬は運ばれてきた皿を見て、箸袋を開ける手を止めた。目の前に置かれると、今度は少し身を乗り出す。
「大きいですね」
「そうですね」
「それは、知ってた方の『そうですね』ですか」
「いや、俺の記憶より大きかったです」
成瀬は笑って、皿を少し自分へ引き寄せた。開けかけだった箸袋を、今度は端まで破った。
俺の方も、思っていたより厚いハンバーグだった。箸で切るとソースが皿へ広がり、下に敷かれたスパゲッティに染みていった。
成瀬はエビフライを一口食べ、頷きかけて動きを止めた。口を少し開けて息を逃がし、俺と目が合うと、片手を軽く振った。しばらくして飲み込み、水を飲んだ。
「熱いですか」
「結構。でも、おいしいです」
箸はすぐにエビフライへ戻った。今度は端を小さくかじり、二度ほど頷いてから、ようやく付け合わせのポテトサラダへ移った。俺はハンバーグとご飯を交互に食べていた。
「三浦さん、それ嫌いなんですか」
彼女が箸で示した先に、手をつけていないポテトサラダがあった。
「好きです。後で食べます」
「最後に残すんですか」
「ご飯があるうちは、ハンバーグを食べたいので」
「ポテトサラダだと、ご飯、進まないですか」
「俺は、あんまり」
成瀬はポテトサラダとご飯を一口ずつ食べ、少し考えるように箸を止めた。
「私はいけます」
「そうですか」
確かめるとは思わなかった。彼女の皿では、もうポテトサラダが半分ほどなくなっていた。
「私、熱いのが苦手なので、先にこっちがなくなります」
そう言って、今度はキャベツを食べた。好きな順に食べているのだと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
食べ終わる頃には、入口の黒板が裏返されていた。成瀬は最後まで残ったエビの尻尾を皿の端へ寄せ、お茶に手を伸ばした。
「この後、どこか行くんですか」
「決めてないです」
「行きたいところは?」
「どこでもいいですよ」
成瀬はコップを両手で持ったまま、俺の顔を見た。
「海でも?」
「はい。ここから歩けます」
彼女はコップを置いた。
「じゃあ、海に行きたいです。さっき、電車から見えたみたいなところ」
「砂浜ですか」
「そうです。降りられるところ」
俺は店の外の道を見た。商店街を抜けて右へ曲がれば、浜へ下りる階段がある。場所を考えている間に、成瀬は小さな鞄から財布を出していた。




