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俺が家へ戻って数日して、成瀬から演奏会の案内が届いた。
画像を開くと、何人かの名前と顔写真が並んでいた。その中に成瀬の名前があった。写真の彼女は、旅先では見なかった服を着て、ヴァイオリンを持っていた。
開演時刻と会場を確認し、チケットの販売ページへ進んだ。
座席を選ぶ画面で、少し迷った。どこが聴きやすいのかは分からなかった。後ろの方まで見てから、前の方に残っていた一席を選んだ。
申し込みを済ませ、近所のコンビニへ支払いに行った。
帰り道で、成瀬へメッセージを送った。
『チケット買った。九月、聴きに行く』
返事が来たのは、その日の夜だった。
『ありがとう。何列目?』
座席を伝えると、少しして、また返ってきた。
『結構前だね。探さなくても見つかりそう』
俺は、当日そこに座っている自分を想像した。今さら後ろの席にすればよかったかと思ったが、取り直すつもりはなかった。
返信の欄を開き、もう一つ聞きたかったことを打った。
『終わったあと、少し会える?』
すぐには返事が来なかった。俺はスマホを机に置き、本を開いた。
二ページほど読んだところで、画面が光った。
『挨拶とかあるから、すぐには出られないけど。それでもよければ』
『待ってる。そのあと、少し話したい』
今度の返事は早かった。
『私も。時間、空けておくね』
俺はその文を読み、カレンダーを開いた。演奏会の予定に、終演後、と書き足した。
*
夏休みの残りは、課題をしたり、本を読んだりして過ぎた。
成瀬から連絡がある日も、ない日もあった。俺から送って、翌日に返事が来ることもあった。一度、駅で返しそびれた話を思い出して送ると、そんなことまだ考えてたの、と返ってきた。
自分でも、まだ考えていたのだと、そのとき気づいた。
九月になり、学校が始まった。
演奏会の前の晩、俺は会場までの行き方を調べた。乗り換える駅と、開場に間に合う電車を確認する。帰りの時刻を見たあと、会場の周りの地図も開いた。
そこからなら、家の近くの古本屋へも寄れそうだった。店の営業時間を確かめ、地図を閉じた。
成瀬から、終演後に会う場所の連絡が来た。
『ロビーの奥の、窓があるところ。分からなかったら連絡して』
『分かった』
送ってから、少し考えて、続けた。
『明日、楽しみにしてる』
『うん。私も』
俺はスマホを鞄へ入れた。チケットと財布を確かめ、読みかけの文庫本も一冊入れた。
当日の朝、母に出かける時刻を聞かれた。
「少し早めに行く」
「帰りは?」
「演奏会のあと、人と会うから。遅くなるなら連絡する」
「分かった。楽しんでおいで」
俺は頷き、鞄を持った。
駅までの道は、いつも古本屋へ寄るときに歩く道だった。今日は店の方へ曲がらず、そのまま駅へ向かった。
ホームで電車を待つ間に、成瀬へ短く送った。
『今から行く』
*
成瀬が耳のそばの髪を払い、ヴァイオリンを肩へ上げた。
膝の上には、閉じたプログラムがあった。俺はその端から手を離し、舞台を見た。
最初の曲は、知らない曲だった。
弾き始めてすぐ、指も弓も忙しく動いた。いくつ音が出ているのか、目で追っても分からなかった。少し落ち着いたと思うと、また速い音が続いた。
成瀬の右腕が大きく動くたび、ドレスの青い布がわずかに揺れた。俺はしばらく手元を見ていたが、途中からは、次にどんな音が鳴るのかを聴いていた。
一度、弓が止まった。
終わりかと思ったが、成瀬は楽器を下ろさなかった。少し間を置いて、さっきよりゆっくりした曲が始まった。
プログラムに書かれていた順番を思い出そうとした。最初の名前しか浮かばず、紙を開きかけたところで、低い音に続いて高い音が鳴った。俺は顔を上げた。
どこまでが一つの曲なのか、途中で分からなくなるところもあった。後で成瀬に聞けばいいと思い、プログラムは膝に戻した。
ガヴォットが始まったときだけは、すぐに分かった。
あの部屋で聴いた最初の音だった。隣で花が膝に手を置いていたことまで思い出したが、今日はそちらを向く必要はなかった。俺は成瀬を見たまま、覚えているところを聴いた。
何度か戻ってくる音の、その間にも少し覚えのあるところがあった。次はこうなると思っていたら、違う音が続いた。全部覚えていたわけではないらしかった。
それでも、終わりは分かった。
前に聴いたときは、そこで成瀬がこちらを見て、どうだった、と聞いた。今日はまだ弓を持っていた。息をつき、次の曲を弾き始める。
俺は背もたれへ寄りかけた身体を戻した。
知らない曲が、まだあった。最初の曲ももう一度聴いてみたかったが、今弾いている方も、途中で聞き逃したくなかった。
最後の音がやんでから、成瀬が弓を下ろした。
周りで拍手が始まった。俺も手を叩いた。彼女は客席へ礼をし、顔を上げたところで、少し笑った。
*
公演が終わると、俺はロビーの奥へ行った。
窓のそばには椅子が二つあった。片方が空いていたので座り、プログラムを開いた。成瀬が最初に弾いた曲の名前を確かめる。名前を読んだだけでは、さっきの音はうまく思い出せなかった。
少しして、廊下から成瀬が出てきた。まだ青いドレスを着ていた。近くにいた女性が声を掛け、彼女は足を止めた。
俺はプログラムを鞄へしまった。
成瀬が頷き、何かを答えている。女性の隣の人も話し始めたので、俺は鞄から本を出した。一ページ読む間に、窓の向こうをバスが通った。
顔を上げたとき、成瀬と目が合った。
俺から手を上げると、彼女は口元を緩め、小さく頷いた。それから話していた人へ向き直った。
栞を挟んで待っていると、挨拶を終えた成瀬がこちらへ来た。
「お待たせ」
「お疲れ」
「見えてたよ。座ってるところ」
「俺も見てた」
「それは、見ててもらわないと」
成瀬が笑ったので、俺も少し笑った。本をしまって立ち上がると、彼女はすぐに尋ねた。
「どうだった?」
「ガヴォットはすぐ分かった」
「本当に?」
「そこは分かった」
「ほかは?」
「最初の曲、よかった。あれ、ずっと手が動いてたね」
「うん。結構、忙しい」
成瀬は自分の右手を見た。何も持っていない指が少し動いた。
「その次も好きだったと思うんだけど、途中で、今何曲目なのか分かんなくなった」
「プログラム、見なかったの?」
「見ようとはした。あとで教えて。どこで変わったのか」
「いいよ。曲の名前だけで分かる?」
「たぶん、分からない」
「じゃあ、どう説明しよう」
成瀬は少し考え、俺の顔を見た。
「三浦が覚えてるところ、言ってみて。そこからなら分かるかも」
「うん」
俺が口を開きかけると、彼女は廊下の方へ目を向けた。
「あ、その前に。お父さん、紹介してもいい?」
振り向いた先で、一人の男の人がこちらへ歩いてきていた。




