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第8話 天使が専属サポートの装備を選ぶだけです


 翌日、昼休み。


 徹が購買の焼きそばパンを机に置くと、前の席から三枝が振り返った。


「稲垣」


「何?」


「昨日のクッキー、どうだった?」


「ああ。普通にうまかったよ」


「マリーさんと半分こしたんだろ?」


「何で知ってんだよ」


「切り抜きが流れてた。『専属なので半分こします』ってタイトルで」


「そんなこと言ってない。ていうか、なんで切り抜かれてるんだ」


「似たようなことは言ってた」


 横から男子が乗る。


「見た見た。マリーさん、一瞬止まってたよな」


「あれ何?」


「知らないよ」


 三枝がにやりと笑う。


「いやあ、稲垣。お前、日に日に面白くなってるな」


「俺は普通に仕事してるだけだ」


「その普通が面白いって昨日から言ってるだろ」


 徹はため息をついた。


 そのとき、机の上の端末が小さく震えた。


 ぴこん。


「ん?」


 何気なく画面を見る。


 次の瞬間、徹は固まった。


「……」


 三枝が目ざとく反応する。


「どうした?」


「いや」


「いや、の顔じゃないぞ」


「何でもない」


「何でもない顔じゃないぞ」


 徹は慌てて端末を伏せた。


 その動きが、逆に良くなかった。


「稲垣。読め。声に出して」


「何でだよ」


「クラスの平和のため」


「平和を乱してるのはお前だろ」


 近くの女子まで寄ってきた。


「何? マリーさん関係?」


「違うって言ってるだろ!」


 徹はしばらく抵抗したが、周囲の視線に負けた。


 端末を持ち直す。


「ええと……探索補助報酬が確定しました、だって」


 教室が少し静かになる。


「報酬?」


 三枝が前のめりになった。


「お前の?」


「たぶん」


「いくら?」


「言わない」


「その反応は、そこそこあるな?」


「…………」


「ある反応だ」


 徹は画面を隠そうとした。


 だが、通知はご丁寧に内訳まで表示していた。


【探索補助報酬】


 基本補助報酬  120,000円


 緊急救護支援加算 150,000円


 配信収益分配  80,000円


 勤勉手当特別加算 720,000円


 合計 1,070,000円


「……」


 徹は黙った。


 三枝も黙った。


 男子も女子も、なぜか全員黙った。


 数秒後。


「1,000,000円?」


 三枝が言った。


「……高校生のバイトの額じゃない」


 徹がぼそっと呟く。


「いや待て。勤勉手当特別加算、720,000円って何?」


「俺に聞くな」


「7割くらい勤勉じゃん」


「だから俺に聞くな」


「雇用主裁量って書いてあるぞ。マリーさん、盛ったな」


「盛ったって言うな」


「評価が重い」


「勤勉だったんだろ」


「720,000円分?」


「……勤勉だったんだろ」


 徹は自分で言って、少し納得しかけた。


「いや、でも」


「でも?」


「ちゃんと見てくれてるってことだよな」


 三枝が止まる。


 徹は端末を見下ろしたまま、小さく息を吐いた。


「良い上司だな」


 教室中が、同時にざわついた。


「そこ?」


「稲垣くん、そこなの?」


「いや、評価してくれる上司って良いだろ」


「金額が上司の評価額じゃないんだよ」


 徹は画面を見つめる。


 嬉しくないわけではない。


 むしろ、嬉しい。


 けれど、自分は剣を振ったわけではない。


 魔法を使ったわけでもない。


 ただ、荷物を持って、走って、報告して、できることをしただけだ。


 その「できること」に、金額がついた。


 それが、少し不思議だった。


「まあ、その金で装備でも買えば?」


 三枝が言う。


「装備?」


「サポート用のやつ。今のままだと、マリーさんから貰ったやつとただのリュック、あと根性でやってるだろ」


「根性は使ってない」


「使ってる」


「使ってるね」


 全員に言われた。


 徹は否定できなかった。


「でも、装備って高いだろ」


「1,000,000円もらって最初にそれ言う?」


 女子の一人が笑う。


「マリーさんの専属サポートなんだし、ちゃんとしたの買った方がいいと思う」


「専属……」


 三枝がにやにやする。


「出たな、専属」


「俺が言ったんじゃない」


「でも事実」


「仕事上な」


「仕事上、ねえ」


 教室がまた笑う。


     ◇


 少し離れた席。


 綾瀬茉莉は、ノートに目を落としたまま、ペンを止めていた。


――勤勉手当特別加算。


 高すぎる、とは思っていない。


 徹はよく動いている。


 よく見ている。


 よく気づく。


 そして、よく走る。


 だから、正当な評価。


 正当な、評価。


――マリーさんの専属サポートなんだし。


 その言葉が、耳に残る。


 専属。


 私の。


 サポート。


「……」


 気づけば、ノートの端に小さく書いていた。


 専属。


 茉莉はその二文字を見つめる。


 少しだけ、口元が緩んだ。


「綾瀬さん?」


 隣の女子の声で、茉莉ははっと顔を上げる。


「顔、赤くない?」


「……大丈夫です」


「本当? 何書いてたの?」


「何も」


 女子が少し身を乗り出す。


 茉莉は反射的にペンを握った。


 ぐわーっ。


 ノートの端が、黒く塗りつぶされる。


「……綾瀬さん?」


「……大丈夫です」


     ◇


 放課後。


 ダンジョン入口前の広場に着くと、マリーはすでに待っていた。


 徹が近づくと、マリーは端末から顔を上げる。


「来たわね」


「ああ」


「報酬」


「いきなりだな」


「確認した?」


「した。問題しかなかった」


 徹は端末を開き、通知画面を見せた。


「この、勤勉手当特別加算って何?」


「勤勉だったから」


「720,000円あるんだけど」


「勤勉だったから」


「説明が同じなんだけど」


「不足?」


「多いって話をしてる」


『720,000円分の勤勉』

『上司の評価が重い』

『これは囲い込み』


「囲い込みじゃないだろ」


「違う。正当な評価」


「雇用主裁量って書いてあるぞ。マリーが増やしたのか?」


「そう」


「上限まで?」


「上限まで」


「何でだよ」


「勤勉だったから」


 徹は額に手を当てた。


「いや、さすがにこれは受け取れない」


 その瞬間、マリーの表情が少しだけ変わった。


「どうして?」


「多いだろ」


「働いた」


「働いたけど」


「助けた」


「できることをしただけだ」


「走った」


「それも仕事だし」


「見てた」


「何を?」


「私を」


 徹は一瞬、言葉に詰まった。


 マリーは真っすぐ徹を見る。


「私の動き。周り。荷物。初心者。全部見てた」


「……見るのが仕事だからな」


「だから、評価した」


「でも、720,000円はさすがに」


「受け取って」


 短い言葉だった。


 でも、いつもの淡々とした声より、少しだけ強かった。


「トオルが続けるなら、必要。報酬も、装備も」


 徹は端末を見る。


 それから、マリーを見る。


 マリーは表情を変えない。


 けれど、その目は真剣だった。


「……分かった。受け取る」


「そう」


「でも、ちゃんと使う。攻略用の装備でも買いに行くか」


「私も行くわ」


「え?」


「攻略者として、アドバイスしてあげる」


「そこまでしてもらわなくても」


「必要。トオルは、私のサポートだから」


『出た』

『私の』

『装備デート開始』


「デートじゃないだろ」


「装備更新」


「そう。それ」


 徹は小さく息を吐いた。


 報酬を出してくれて。


 装備の心配までしてくれて。


 買い物にも付き合ってくれる。


「……本当に良い上司だなあ」


『違う』

『そこで上司に戻すな』


 マリーの指が、わずかに止まる。


「……上司」


「え?」


「何でもない」


     ◇


 向かった先は、ダンジョン施設に併設された探索者用品店だった。


 以前、バックアップ装備を受け取ったときにも来た店だが、棚をじっくり見るのは初めてに近い。


 救急ポーチ、グローブ、補助用ロープ、携帯ライト、簡易マーカー。


 さらに、配信用の装飾品や探索者向けアクセサリーまで並んでいる。


「前に来たときは気にしてなかったけど、色々あるんだな」


「探索は戦闘だけじゃない」


「それは分かる」


「だから選ぶ」


「はいはい」


 マリーは救急ポーチの棚へ向かった。


「これは駄目」


「まだ何も言ってない」


「開閉が遅い」


「確かに、片手だと開けにくそうだな」


「これ」


 マリーが別のポーチを渡す。


 見た目は地味だが、開口部が大きく、片手でも扱いやすい。


 徹は指で開閉を試した。


「……これ、取り出しやすいな」


「でしょう」


「でも高い」


「必要経費」


「出た」


 徹は値札を見て、そっと棚へ戻そうとする。


 その手を、マリーが止めた。


「戻さない」


「まだ見てるだけだから」


「第一候補」


「早い」


 次はグローブ。


 徹は安い作業用グローブを手に取った。


「これで十分じゃないか?」


「駄目。滑る」


「滑る?」


「血。水。汗。薬液」


「あー……」


 マリーが差し出した黒いグローブは高かった。


 ただ、試着すると手に馴染む。指先も動かしやすい。


「……悔しいけど、使いやすい」


「安全に勝ったと思えばいい」


「言い方が上手いな」


 徹はグローブを外しながら、棚に並んだロープへ視線を移した。


「でも、全部マリーに決めてもらうのも違うだろ。使うのは俺だし」


「うん」


「ロープは、軽いだけだと駄目だ。濡れたときに滑るし、細すぎると手に食い込む。引っ張るなら、握りやすさもいる」


 マリーの表情が、少し変わった。


「長すぎると取り回しが悪い。浅層なら……このくらいか」


 徹は一本のロープを手に取る。


 派手ではない。


 けれど表面に凹凸があり、濡れても滑りにくそうだった。


「これ、どうだ?」


 マリーはロープを見る。


 徹を見る。


「いい。現場向き」


「じゃあ、これは俺が選んだってことで」


「採用」


『バックアップ君も選べる』

『戦ってないのに有能』


 徹は少しだけ笑う。


「こういうのなら、分かる気がする。バイトで荷物運んでたとき、紐とかテープとか、意外と大事だったし」


「経験が生きてる」


「そんな大げさなものじゃないけど」


「大げさじゃない」


 マリーは、はっきり言った。


「トオルの経験は、役に立ってる」


 徹は少し照れたように視線を逸らした。


「……そうか」


 買い物かごに、候補がいくつか入った。


 徹としては十分すぎる量だった。


 マリーとしては、まだ足りないらしい。


「次」


「まだ見るのか」


「当然」


「その必要が怖い」


「大丈夫。勤勉手当がある」


「それ俺の報酬!」


 徹の声が少しだけ店内に響いた。


 そのとき、隣の棚が目に入る。


 探索者用アクセサリー。


 配信用の装飾チャームや髪留め、イヤーカフ、白い羽根を模した小さな飾りが並んでいた。


 マリーも視線を向ける。


「格好だけね」


「そうなのか?」


「実用性が低い。現場では邪魔になるものも多い」


「へえ」


 徹は白い羽根のついた小さな髪飾りを見た。


 派手すぎない。


 けれど、光に当たると少しだけ柔らかく輝く。


「でも」


「何?」


「これ、マリーに似合いそうだけどな」


「……」


 マリーが止まった。


「何?」


「……な」


「な?」


「な、なな……何を言っているの」


「いや、似合いそうだなって」


「装備の話をしているのよ」


「だから探索者用の装備だろ?」


「格好だけって言ったでしょう」


「でも似合うと思う」


「……っ」


 マリーの耳が、ほんの少し赤くなった。


『効いた』

『バックアップ君、無自覚』

『今のは勤勉手当追加』


「追加しない」


 マリーが小さく言う。


「え?」


「何でもない」


 そのとき。


 少し離れた棚の向こうから、聞き慣れた声がした。


「……あれ?」


 一拍。


「稲垣?」


 徹は、嫌な予感とともに振り返った。


 そこには。


 なぜか、三枝たちがいた。


     ◇


「……三枝」


「おう」


 三枝は徹を見た。


 徹の買い物かごを見た。


 それから、隣に立つマリーを見た。


 数秒、止まる。


「……マリー様?」


「こんにちは」


 マリーが軽く頷く。


 その瞬間、三枝たちの空気が変わった。


「え、本物!?」


「本物のマリー様!?」


「近っ!」


「やば、めちゃくちゃ綺麗……!」


 三枝が徹の肩を掴む。


「お前、何でマリー様と買い物してんだよ!」


「装備を見に来ただけだ」


「二人で?」


「そうだけど」


「それを世間では何て言うか知ってるか?」


「仕事」


「違う」


「装備更新」


「違う」


「必要経費」


「それはたぶんマリー様側の言い分!」


 徹は眉を寄せた。


「お前らこそ何でここにいるんだ?」


「見学。探索者登録に興味あるやつがいてさ」


「遊び半分ならやめとけよ」


「分かってるって」


「本当に分かってるならいいけど。ダンジョンは遊びじゃないだろ」


 その言い方は、少しだけ硬かった。


 三枝は一瞬だけ真面目な顔になり、それから頷く。


「まあ、それはそう」


 そこで、女子の一人が両手を胸の前で握った。


「あの、マリー様、本当に綺麗ですね……!」


「配信で見るよりずっと存在感ある」


「写真、撮っていいかな?」


 その言葉を合図にしたように、男子の一人がスマホを取り出す。


「一枚だけ、一枚だけ!」


「すげえ、本物だぞ」


 悪気はない。


 ただ、テンションが上がっている。


 有名人を前にして、距離感を忘れている。


 徹は一歩、前へ出た。


「やめとけ」


「え?」


「本人の許可、取ってないだろ」


「あ……」


「店の中だし、他の客もいる。勝手に写真撮るのは失礼だ」


「いや、でも、マリー様だぞ?」


「だからだよ」


 徹は静かに言った。


「有名人でも、勝手に撮られていい理由にはならないだろ」


 店内が、少し静かになった。


『お』

『正論』

『普通にかっこいい』


 男子は、気まずそうにスマホを下ろした。


「……悪い」


 女子も慌てて頭を下げる。


「す、すみません。テンション上がってました」


 三枝も後頭部をかいた。


「悪い、稲垣」


「俺に謝るなよ。マリーにだろ」


 三枝たちは一斉にマリーへ向き直る。


「すみませんでした!」


「ごめんなさい!」


 マリーは少しだけ目を伏せた。


「いいわ。でも、次からは許可を取って」


「はい!」


 三枝たちは勢いよく頷いた。


 徹は小さく息を吐く。


「まったく」


「トオル」


「ん?」


 マリーが徹を見ていた。


 表情は大きく変わらない。


 けれど、その視線だけが、少しだけ違っていた。


「別に。慣れているから」


 徹は首を横に振った。


「慣れてるからって、嫌じゃないとは限らないだろ」


 マリーの息が、ほんの少し止まった。


「……」


「ん?」


「……何でもない」


 マリーは視線を逸らす。


 耳が、少しだけ赤い。


『今のは惚れる』

『バックアップ君、無自覚で刺すな』


「追加しない」


 マリーが小さく言う。


「何を?」


「何でもない」


     ◇


 空気が落ち着いたところで、三枝が徹の買い物かごを覗き込んだ。


「で、何買ってんだ?」


「サポート用の装備」


「本当に装備だった」


「最初からそう言ってるだろ」


 かごの中には、救急ポーチ、グローブ、補助用ロープ。


 どれも実用一辺倒だった。


「ガチじゃん。もっとこう、マリー様と楽しくアクセサリー選んでるのかと」


「何でだよ」


 その瞬間、三枝の視線が徹の手元に止まった。


 白い羽根の髪飾り。


 さっき徹が、マリーに似合いそうだと言ったものだった。


「……稲垣」


「何」


「それは?」


「これは違う」


「まだ何も言ってない」


「装備を見てただけだ」


「マリー様に似合いそうな装備を?」


「聞いてたのかよ」


「最後の方だけ」


「忘れろ」


「無理」


 女子たちも、髪飾りを見て小さく声を上げた。


「あ、それ可愛い」


「マリー様に似合いそう」


「白羽根モチーフだし」


 マリーの耳が、さらに赤くなる。


「実用性が低いわ」


「でも似合いそうだってさ。稲垣が」


「三枝」


「何だよ」


「黙れ」


「照れるなって」


「照れてない」


 マリーは髪飾りを手に取った。


 じっと見る。


 値札を見る。


 素材表示を見る。


「……軽量」


「え?」


「邪魔にはならない」


「さっき実用性が低いって言ってなかったか?」


「低い」


「じゃあ戻すか」


「……」


 マリーは髪飾りを持ったまま、少しだけ黙った。


 徹は首を傾げる。


「欲しいのか?」


「違う」


「違うのか」


「検討しているだけ」


「そうか」


 三枝が小声で言う。


「買えよ、稲垣」


「何で俺が買うんだよ」


「勤勉手当もらっただろ」


「それは装備用だ」


「それも探索者用アクセサリーだぞ」


「屁理屈だろ」


 女子の一人が笑う。


「でも、稲垣くんが選んだってなったら、マリー様も嬉しいんじゃない?」


 マリーの肩が、わずかに揺れた。


「別に。必要なら、自分で買うわ」


「必要なんですか?」


「……検討中」


『検討中(笑)』

『似合うって言われたからな』


 徹はコメント欄を見て、ため息をついた。


「責任って何だよ」


 三枝は、かごの中の実用品と、マリーの手元の髪飾りを見比べた。


「片方は命を守る装備」


「うん」


「片方はマリー様に似合いそうな髪飾り」


「うん」


「これを二人で選んでる」


「うん」


「装備デートじゃん」


「違う」


 徹とマリーの声が、ほぼ同時に重なった。


 一拍。


 三枝たちが黙る。


「やっぱり息ぴったりだな」


「だから違うって!」


 結局、髪飾りは一度棚に戻された。


 ただし、マリーは棚の位置を覚えているようだった。


 徹は気づいていない。


 コメント欄は気づいていた。


『戻したけど覚えたな』

『天使、未練あり』


「変な手当を作らないで」


 マリーが小さく呟く。


「え?」


「何でもない」


 三枝たちは、さっきのことがあったからか、スマホはポケットにしまったままだ。


 その代わり、三枝が遠慮がちに手を上げた。


「あのさ、マリーさん。ちゃんと許可取ったら、一枚だけ写真って駄目ですか?」


 徹が顔をしかめる。


「お前な」


「無理ならもちろんやめる。でも、せっかくだから」


 一拍。


「稲垣とマリーさん、二人で一枚」


「何で俺も入るんだよ」


「専属サポートだから」


「理由になってない」


 マリーは、徹を見た。


 それから、三枝を見た。


 少しだけ考える。


「一枚なら」


「え?」


「一枚だけなら、いいわ」


 三枝たちの顔がぱっと明るくなる。


「本当ですか!」


「ありがとうございます!」


 徹は慌てた。


「いや、俺はいらないだろ」


「いる」


 マリーが即答した。


「何で」


「私のサポートだから」


『記念写真イベント発生』

『装備デート、証拠写真へ』


 徹は天井を見上げた。


「……何でこうなるんだ」


「勤勉だったから?」


「その言葉、便利すぎるだろ」


 マリーは、まだ少し耳を赤くしたまま、何事もなかったように徹の隣へ立った。


     ◇


 写真を撮ることになった。


 ただし、条件つきである。


「勝手に投稿しない。他の人に回さない。店内の他のお客さんが写らないようにする」


「はい!」


 三枝たちは、さっきよりもずっと真面目な顔で頷いた。


 徹も横から補足する。


「あと、一枚だけな」


「分かってるって。今の俺たちは許可を取れる人間だ」


「言い方」


 マリーは徹の隣に立った。


 徹は半歩離れる。


「遠い」


「え?」


「写真」


「ああ」


 少し近づく。


「遠い」


「これでも?」


「遠い」


「いや、あまり近いと変だろ」


「変じゃない。専属サポート」


「それ、万能ワードじゃないか?」


「万能ではないわ。正当」


 三枝がスマホを構えながら笑いをこらえる。


「稲垣、もうちょっと右。マリーさん側」


「何でだよ」


「バランス」


「本当か?」


「本当本当」


 徹は疑わしそうにしながらも、少しだけマリーの隣へ寄った。


 肩が触れるほどではない。


 けれど、さっきよりは近い。


「撮ります!」


 女子の一人が声をかける。


「稲垣くん、もう少し普通の顔して」


「普通の顔って何だよ」


「今、職務質問されてる人みたい」


「ひどいな」


「マリー様は完璧です。稲垣くんだけ問題です」


「俺だけ?」


 三枝がうなずく。


「笑え、稲垣」


「急に言われても無理だろ」


 そのとき、マリーが小さく言った。


「トオル」


「ん?」


「勤勉」


「それで笑えると思うか?」


 徹が思わず吹き出した。


 その瞬間。


 ぱしゃ。


「あっ」


 三枝が撮った。


「おい!」


「今の良かった!」


「不意打ちだろ!」


「自然な笑顔ってやつだ」


「悪質だ」


「許可は取った」


「そういう問題じゃない」


 マリーは画面を覗き込む。


 写真の中には、少しだけ笑っている徹と、隣に立つマリーが写っていた。


 マリーはいつものように凛としている。


 けれど、口元だけが、ほんの少し柔らかい。


「……」


「マリー?」


「問題ないわ」


「俺、変な顔してないか?」


「してる」


「してるのかよ」


「でも」


 一拍。


「悪くない」


『悪くないいただきました』

『これは保存版』


「勤勉な顔って何だよ」


 三枝が写真を確認しながら言う。


「これ、本人たちにだけ送るな」


「そうしてくれ」


「マリーさんは公式アカウント宛てでいいですか?」


「ええ」


「稲垣にも送る」


「俺はいらない」


「いるだろ。記念だぞ」


「何の記念だよ」


 三枝はにやりと笑う。


「装備デート記念」


「違う」


 徹とマリーの声が、また重なった。


     ◇


 写真騒動が落ち着いたあと、買い物は再開された。


 徹のかごには、救急ポーチ、グローブ、補助用ロープ、簡易マーカーが入っている。


 どれも必要なものだった。


 必要なものだったが、値札を見るたびに徹の眉間にはしわが寄った。


「高い」


「必要」


「さっきからそれしか言ってない」


「正しいから」


「正しいけど」


「命を守るものは、安くない」


 その言葉に、徹は黙った。


 マリーは値札ではなく、装備を見ている。


 値段ではなく、使えるかどうかを見ている。


 その目が、ひどく真面目だった。


「……分かった。買う」


「うん」


「でも、無駄遣いはしない。必要なものだけ」


「うん」


「あと、勤勉手当はもう増やさなくていい」


「……検討する」


「そこは即答してくれ」


 会計へ向かう途中、徹はふと足を止めた。


 さっきの白い羽根の髪飾り。


 棚の上で、小さく光っている。


 マリーは見ていないふりをしていた。


 かなり、見ているふりをしていなかった。


 徹は少し考えた。


 手に取る。


「トオル?」


「これも」


「……それは実用性が低いわ」


「でも、探索者用なんだろ?」


「そうだけど」


「じゃあ装備だ」


「さっき屁理屈って言ってなかった?」


「言ってたな」


「なら」


「でも、似合いそうだし」


 マリーが止まる。


 徹は値札を見る。


 救急ポーチよりはずっと安い。


 ただの高校生の小遣いとしては少し高い。


 でも、今の徹には払えない額ではなかった。


「これは俺が買う」


「どうして?」


「まあ、いつも助けてもらってるし」


「……」


「それに、似合いそうって言ったの俺だし」


 マリーは何も言わなかった。


 ただ、ほんの少しだけ俯いた。


 耳が赤い。


『買った』

『これは勤勉ではなく贈与』

『プレゼントイベント発生』


「プレゼントじゃない。装備だ」


 マリーは髪飾りを受け取った。


 白い羽根が、指先で小さく揺れる。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


「大事にする」


「使えそうなら使えばいいし、邪魔なら家に置いとけばいいから」


「大事にする」


「……そうか」


 三枝たちは何も言わなかった。


 ただ、全員がものすごく言いたそうな顔をしていた。


「何だよ」


「いや」


 三枝が首を横に振る。


「何も」


「その顔で何もは無理がある」


「稲垣。お前、やっぱり面白いわ」


「またそれかよ」


     ◇


 買い物を終え、店の外へ出る。


 三枝たちは別の棚を見てから帰るらしく、店内に残った。


 夕方の空気は、少しだけ涼しい。


 徹は買った装備の袋を持ち直した。


「思ったより買ったな」


「必要なもの」


「まあ、そうなんだけど」


「使い方は、次の探索で確認する」


「いきなり実戦か」


「浅層で慣らす」


「了解」


 マリーは小さく頷く。


 それから、手元の小さな袋へ視線を落とした。


 白い羽根の髪飾り。


 徹が買ったもの。


「……トオル」


「ん?」


「写真。送られてきたら、確認して」


「分かった」


「変だったら」


「消す?」


「違う」


 マリーは少しだけ視線を逸らす。


「……もう一枚、撮り直す」


「え?」


「何でもない」


 徹は首を傾げた。


「写真って、そんなに大事か?」


「記録」


「記録?」


「今日の。装備更新の」


「仕事の記録か」


「……そう」


『違う気がする』

『仕事の記録(笑)』


 徹は苦笑した。


「まあ、ちゃんと許可取って撮った写真だしな。だったら、残しておくか」


「うん」


 マリーは短く返事をした。


 それだけなのに、どこか満足そうだった。


     ◇


 夜。


 綾瀬茉莉は、自室のベッドに腰を下ろしていた。


 部屋着に着替えたあとも、机の上には小さな袋が置かれている。


 白い羽根の髪飾り。


 袋から出すのは、まだ少し恥ずかしかった。


 スマホが震える。


 公式アカウント宛てに、三枝から写真が送られてきていた。


 約束通り、投稿はしないこと。


 本人確認用に送ること。


 そんな短い文章と一緒に、一枚の写真が添付されている。


 茉莉は少しだけ躊躇してから、画像を開いた。


 探索者用品店の一角。


 少し困ったように笑っている徹。


 その隣に立つ、《天使》マリー。


 距離は近すぎない。


 けれど、遠くもない。


 徹の表情は、たしかに少し変だった。


 けれど、嫌ではなかった。


「……変な顔」


 ぽつりと呟く。


 茉莉は画面を見つめたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 写真の中の自分は、《天使》マリーだ。


 学校の綾瀬茉莉ではない。


 配信で笑い、戦い、見られる側の自分。


 けれど。


 その隣に、徹がいる。


 いつものように、少し困った顔で。


 当たり前みたいに。


「でも」


 小さく息を吐く。


「……悪くない」


 茉莉は机の上の袋を開け、髪飾りを取り出した。


 鏡の前で、少し迷ってから、髪に添えてみる。


「……」


 似合うかどうかは分からない。


 分からないけれど。


 徹は、似合いそうだと言った。


 それだけで、少しだけ頬が熱くなる。


 茉莉は髪飾りを外し、大事そうに机へ置いた。


 それから、写真をもう一度見る。


「……装備更新」


 誰に言い訳するでもなく、そう呟く。


 けれど、口元はまだ、少しだけ緩んでいた。


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