第2話 隣の席の地味な女子、なぜか俺を見ている
翌朝。
稲垣徹は、目覚まし時計が鳴る三分前に目を覚ました。
奇跡である。
理由は分かっている。
昨日、《天使》マリーにスカウトされたからだ。
「……現実だったよな?」
徹は布団の中でスマホを確認した。
連絡先一覧に、新しく追加された名前がある。
『マリー』
アイコンは白い羽根のマーク。
公式アカウントではない。
本人から直接交換された連絡先だ。
「うわ、ある……」
夢ではなかった。
昨日、徹は初めてダンジョンに入り、中層モンスターに襲われ、どうにか逃げようとして死にかけた。
そこへマリーが現れ、一撃で魔物を倒した。
そして言った。
『稲垣徹。あなた、私のチームに来なさい』
あらためて思い出しても、意味が分からない。
人生にはたまに予定外のことが起きる。
バイト先で急に新人教育を任されるとか、母親が安売りの大根を三本買ってきて食卓がしばらく大根祭りになるとか。
だが、最強配信者に拾われる予定外は初めてだ。
「……学校行くか」
考えても仕方ない。
徹は顔を洗い、朝食を済ませた。
母親はすでに仕事へ出ている。
テーブルにはラップをかけた卵焼きと、メモが残っていた。
『無理しないこと。ご飯はちゃんと食べること』
「はいはい」
誰もいない台所で返事をし、徹は卵焼きを口に入れた。
少し甘い。
いつもの味だった。
◇
学校に着いた瞬間、廊下がざわついていた。
原因はだいたい分かる。
昨日の配信だ。
中層モンスターの浅層出現。
三枝パーティーの事故。
《天使》マリーの乱入。
謎の臨時サポートがマリーにスカウトされた場面。
切り抜き動画にならないわけがない。
「稲垣!」
教室に入るなり、三枝が飛びついてきた。
「お前、見たか!?」
「何を」
「昨日の切り抜き!」
「見てない。寝た」
「寝られたのかよ! メンタルどうなってんだ!」
三枝はスマホを突き出してきた。
『【神回】中層モンスター襲来→天使降臨→無能力サポートをスカウト!?』
『ダンジョン内のさしすせそ、天使に拾われる』
『マリーが初めてスカウトした男子高校生、何者?』
嫌な予感しかしないタイトルが並んでいた。
「うわ」
「うわ、じゃないぞ。お前、軽くバズってる」
「軽くで済む?」
「今のところは」
「今のところは、が怖い」
クラスメイトたちも次々に声をかけてくる。
「稲垣、昨日のあれマジ?」
「マリーと連絡先交換したって本当?」
「次回配信出るの?」
「サポートって何するの?」
徹は鞄を置きながら答えた。
「マジ」
「交換した」
「まだ未定」
「荷物持ちとか素材回収」
「夢ないなあ」
「夢で回復薬は買えない」
騒がれるのは嫌いではない。
ただ、騒がれすぎると面倒くさい。
徹は自分の席に座った。
そのとき、視線を感じた。
横。
隣の席。
綾瀬茉莉が、こちらを見ていた。
ぼさぼさの黒い長髪。
小柄な体。
少し猫背。
前髪が長く、目元が分かりにくい。
いじめられているわけではない。
ただ、誰ともあまり話さない。
昼休みも一人。
放課後もすぐ帰る。
周りも「一人が好きなんだろう」と思って、無理に関わらない。
そういう女子だった。
「……おはよう、綾瀬」
「……おはよう」
返事が小さい。
普段なら、それで会話終了である。
だが今日は違った。
綾瀬は、じっと徹を見ていた。
「何かついてる?」
「……ついてない」
「ならいいけど」
徹はそう判断して前を向いた。
しかし、視線はまだ消えなかった。
「稲垣くん」
小さな声がした。
「ん?」
「……昨日」
「昨日?」
「……ダンジョン、出てた」
「ああ。見たのか」
「……見た」
綾瀬は机の上に視線を落とした。
「すごかった」
「マリーが?」
「……」
綾瀬は一瞬止まった。
そして、こくりと頷く。
「……マリーが」
「だよな。あれはすごかった」
徹は素直に頷いた。
「本物、めちゃくちゃ強かった。画面で見るより速いし、圧が違うし。何ていうか、勝つのが決まってる人って感じだった」
「……そう」
綾瀬の声が、ほんの少し柔らかくなった気がした。
「好きなの?」
「マリー?」
「……うん」
「配信は好きだな。普通にファン」
「……どのへんが?」
珍しい。
綾瀬が会話を続けている。
「強いところ。あと、見てて気持ちいいところ。あそこまで自信満々だと清々しいだろ。『私が来たから大丈夫』って本気で思わせるのはすごい」
「……ふうん」
綾瀬は、前髪の奥で何かを考えるように黙った。
「……嫌じゃない?」
「何が?」
「……ああいう、偉そうなの」
「別に。実際強いし」
「……」
「弱いのに偉そうなら困るけど、強い人が強いって言う分には分かりやすくていいだろ」
綾瀬は、また黙った。
今日の綾瀬は妙に会話が長い。
徹がそう思ったところで、担任が教室に入ってきた。
「席につけー。ホームルーム始めるぞー」
徹は前を向いた。
隣で、綾瀬茉莉が小さく息を吐いたことには気づかなかった。
◇
綾瀬茉莉は、朝から落ち着かなかった。
理由はもちろん、隣の席の男子である。
稲垣徹。
昨日、ダンジョンで出会った無能力サポート。
そして、マリーがスカウトした相手。
初ダンジョン。
能力なし。
臨時サポート。
それで、中層モンスター相手にパーティーを全滅させなかった。
荷物を持ち、怪我人を担ぎ、撤退路を選び、ドローンを捨て駒にし、魔法役に指示を出す。
派手な戦闘能力はない。
けれど、ああいう人間が後ろにいると、攻略は安定する。
だからスカウトした。
それだけだ。
それだけのはずだった。
なのに。
(隣の席だった……)
茉莉は机に視線を落としたまま、内心で頭を抱えていた。
昨日は気づかなかった。
ダンジョン内では、視界に入るものが多すぎた。
魔物。
コメント。
救援要請。
配信画面。
神剣ヴァリアントの反応。
それに、マリーとしての自分。
だから、稲垣徹の顔を「どこかで見たことがある」とは思っても、すぐには結びつかなかった。
今朝、教室に入って理解した。
隣の席の男子だった。
しかも、わりと普通に挨拶してくる男子だった。
茉莉にとって、それは大事件である。
学校での茉莉は、目立たない。
ぼさぼさの黒髪。
長い前髪。
小さな声。
休み時間は読書かスマホ。
昼休みは一人。
放課後はすぐ帰る。
友達は少ない。
というか、ほぼいない。
嫌われているわけではない。
ただ、周りが気を遣ってくれている。
『綾瀬さんは一人が好きなんだろうな』
『無理に話しかけない方がいいよね』
たぶん、そんな感じだ。
ありがたい。
ありがたいが、たまに少しだけ寂しい。
でも、自分から輪に入るのは難しい。
だから学校では、綾瀬茉莉は地味な女子でいる。
一方で、ダンジョン内のマリーは違う。
白いコート。
神剣ヴァリアント。
勝ち気な笑み。
派手な決め台詞。
何百万人もの視聴者。
マリーとしてなら、何でもできる気がした。
強くいられる。
自信満々でいられる。
誰かに見てもらえる。
褒めてもらえる。
『天使』
『かわいい』
『強い』
『ありがとう』
『マリー様、最高』
そのコメントを見るたび、胸の奥がふわふわした。
人助けをするのは、そのためだ。
困っている人を助けたいから、ではない。
正義感があるから、でもない。
助けたら、褒められる。
感謝される。
必要とされる。
だから助ける。
それは、たぶんあまり立派な理由ではない。
でも、茉莉にとっては大事な理由だった。
(稲垣くん、マリーのファンなんだ……)
嬉しい。
嬉しいが、危ない。
隣の席の地味な女子が、実は《天使》マリーでした。
ない。
絶対にない。
恥ずかしすぎる。
学校での自分を知られるのも嫌だし、マリーとしての自分を学校に持ち込まれるのも嫌だ。
茉莉はマリーでいたい。
でも、綾瀬茉莉として騒がれたいわけではない。
矛盾している。
でも嫌なものは嫌だった。
「綾瀬さん、次のプリント回して」
「……あ、はい」
前の席からプリントが回ってくる。
茉莉はそれを受け取り、隣の徹へ渡そうとした。
その瞬間、指先が少し触れた。
「ありがと」
「……うん」
ただそれだけ。
それだけなのに、茉莉は心臓が跳ねた。
(落ち着いて。普通。これは普通。プリントは人類共通の通貨ではない)
自分でも意味が分からないことを考えている。
徹は何も気づいていない。
当然だ。
ダンジョン内のマリーは、白い衣装を着ている。
髪も魔力で整え、印象を変えている。
声も少し張っている。
配信用の演出補正もある。
学校の綾瀬茉莉とは、たぶん結びつかない。
たぶん。
きっと。
お願いだから結びつかないでほしい。
◇
午前の授業が終わり、昼休みになった。
徹は購買で買った焼きそばパンと、家から持ってきたおにぎりを机に並べた。
三枝が当然のように前の席を借りて座る。
「徹、今日どうすんの?」
「何が」
「マリーのチーム」
「まだ何も決めてない。連絡待ち」
「いや、行くだろ」
「条件次第」
「お前、夢より条件だな」
「夢で家賃は払えない」
「現実的すぎる」
その会話を、茉莉は隣で聞いていた。
聞くつもりはなかった。
でも隣だから聞こえる。
「でもさ、正直チャンスだろ。マリーの専属サポートなんて、普通なれないぞ」
「それは分かってる」
「なら」
「だからこそ、ちゃんと考える」
徹は焼きそばパンをかじった。
「俺、戦えないからな。できることはするけど、できないことはできない。そこをごまかして入ると、たぶん誰かに迷惑かける」
「真面目か」
「仕事だからな」
「高校生の会話じゃねえ」
茉莉は、前髪の奥から徹を見た。
できないことはできない。
その言い方が、少し新鮮だった。
マリーは逆だ。
できる。
やれる。
私なら勝てる。
そう言い切ることで、マリーはマリーでいられる。
でも徹は、自分ができないことを普通に認める。
その上で、できることをする。
(……やっぱり、いい)
茉莉は思った。
サポートとして、いい。
少なくとも一緒にダンジョンへ潜る相手としては、とてもいい。
そのとき、徹のスマホが震えた。
「ん?」
徹が画面を見る。
茉莉の心臓が、また跳ねた。
送った。
ついさっき、送った。
マリーのアカウントで。
『今日の放課後、時間ある? 契約の話をしたい。場所は第一ゲート横のカフェ。来られる?』
正式にサポートにするなら条件を決める必要がある。
報酬。
活動時間。
危険階層の制限。
学校への影響。
のど飴の味。
最後は大事だ。
とても大事だ。
「マリーからだ」
三枝が身を乗り出した。
「うおおおお! 何だって!?」
「声でかい」
「今日の放課後、契約の話したいって。第一ゲート横のカフェ」
「行くよな?」
「バイトまでなら」
「そこは空けろよ!」
「急に空けると店長が死ぬ」
「店長の命とマリーのスカウト、どっちが大事なんだよ」
「両方大事」
徹はすぐに返信した。
『行けます。ただ、十八時からバイトなので十七時半までなら』
茉莉のスマホが机の中で震えた。
早い。
返信が早い。
しかも内容が真面目。
茉莉は机の下で、こっそり返信する。
『問題ないわ。遅れないで』
送った直後、マリーっぽく言えた気がして少し満足した。
すると、隣で徹が苦笑した。
「『遅れないで』だって。マリーっぽいな」
「どんな感じなんだよ」
「強気」
「いいじゃん」
「まあな」
茉莉は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
自分の言葉が、マリーっぽいと言われた。
当たり前だ。
本人なのだから。
でも嬉しい。
「綾瀬」
急に名前を呼ばれて、茉莉は肩を跳ねさせた。
「……な、なに?」
「消しゴム落ちてる」
「……あ」
足元に消しゴムが落ちていた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫」
「なんか今日、ぼーっとしてるな」
「……いつも」
「確かに」
徹は普通に頷いた。
ひどい。
ひどいが、その通りだった。
◇
放課後。
ホームルームが終わると同時に、綾瀬茉莉はすっと席を立った。
いつも通り、誰よりも早く教室を出る。
早歩き。
でも走らない。
走ると目立つ。
校門を出て、人通りの少ない道へ入る。
駅とは反対方向の路地を曲がり、古い雑居ビルの地下へ降りた。
そこには、探索者向けの貸しロッカーがある。
茉莉は自分のロッカーを開けた。
中には、白いコート。
専用ブーツ。
魔力変換用の髪留め。
そして、一本の古びたナイフ。
一見すると、骨董品のような小さな刃。
だが、それこそが神剣ヴァリアントだった。
かつて茉莉が骨董屋で偶然見つけた、最強の武器。
茉莉にだけ応え、ダンジョン内で巨大な光剣へ変わる神器。
これを握ると、茉莉は変われる。
地味な綾瀬茉莉ではなく。
《天使》マリーに。
「……よし」
茉莉は小さく息を吸った。
前髪を整える。
髪留めをつける。
白いコートを羽織る。
ブーツを履く。
ナイフを腰に差す。
鏡を見る。
そこには、教室の隅にいた地味な女子はいなかった。
白いコートを着た、勝ち気な少女が立っていた。
「今日も完璧」
声に出す。
少し強く。
少し高く。
少し偉そうに。
それだけで、マリーになれる。
「私に不可能はない」
鏡の中の少女が笑う。
その笑顔は、学校では一度も見せたことのないものだった。
◇
第一ゲート横のカフェは、探索者向けの店だった。
徹が店に入ると、すでに奥の席にマリーがいた。
白いコート。
腰の神剣。
整った髪。
堂々とした座り方。
周囲の客がちらちら見ているが、本人はまるで気にしていない。
「遅くはないわね」
マリーが言った。
「五分前行動はバイトの基本なので」
「いい心がけね。座りなさい」
「はいよ」
徹は向かいに座った。
近くで見ると、やはり小柄だ。
だが、存在感がある。
学校の廊下にいたら絶対目立つだろうな、と徹は思った。
実際には、まさか同じ教室にいるなど想像もしない。
「飲み物は?」
「水で」
「遠慮?」
「節約」
「私が払うわ」
「じゃあアイスコーヒーで」
「判断が早いわね」
「生活があるからな」
マリーは少し笑った。
「それで、契約の話だったな」
「ええ」
マリーは端末を出し、条件表を表示した。
「まず、あなたには私の専属サポート候補として入ってもらうわ」
「候補?」
「いきなり正式契約はしない。お互い合うか分からないでしょ」
「それは助かる」
「活動は週三回まで。学校とバイトを優先してもいい。ただし、配信日は事前に予定を合わせる」
「報酬は?」
「通常サポートの三倍。危険階層に入る場合は追加。素材管理の成果に応じて歩合」
「ちゃんとしてる」
「当たり前でしょ。私はトップ配信者よ」
マリーは胸を張った。
自信満々だ。
だが、条件はかなりまともだった。
「危険階層って、どこまで行く?」
「最初は浅層から。あなたが慣れるまでは深部には連れていかない」
「そこは安心した」
「私が強くても、あなたが死んだら意味ないもの」
「意外と安全管理しっかりしてるんだな」
「意外とは余計」
マリーは少しむっとした顔をした。
その表情が、配信で見るより年相応に見えて、徹は少し笑った。
「何?」
「いや。ちゃんと高校生なんだなと思って」
「失礼ね。私は高校生よ」
「何だと思ってたの?」
「天使」
「……」
マリーは一瞬黙った。
そして、わずかに顔をそらした。
「分かってるじゃない」
「照れてる?」
「照れてない」
「そうか」
「照れてないから」
なぜ二回言ったのだろう。
徹は突っ込まないことにした。
「それで、今日少しだけ配信するのか?」
「ええ。昨日の件で騒がれているから、正式に説明する必要があるわ」
「俺も出る?」
「出る」
「顔出し?」
「昨日出てるでしょ」
「まあな」
「嫌なら隠すけど」
「別にいい。困るほどの顔じゃない」
マリーは端末を操作した。
「十七時から始めるわ。内容は簡単。三枝パーティーの無事。あなたを専属サポート候補にしたこと。次回、試験的に一緒に浅層攻略をすること」
「分かった」
「余計なことは言わなくていいわ」
「例えば?」
「私の正体を探るような発言」
「知らないものは言えない」
「それもそうね」
徹は少しだけ首を傾げた。
正体。
そういえば、マリーの正体は誰も知らないと言われている。
学校名も本名も非公開。
配信外の姿も出ていない。
「正体、隠したいんだな」
「当然でしょ」
「何で?」
「学校で騒がれたくないから」
「そりゃそうか」
「それに」
マリーは少しだけ視線を落とした。
「マリーは、マリーだから」
その声は、さっきまでより小さかった。
徹はそれ以上聞かなかった。
「分かった。詮索しない」
「……物分かりがいいのね」
「人には事情があるだろ」
「あなた、本当に高校生?」
「たぶん」
「たぶんって何よ」
マリーが笑った。
昨日の戦闘中のマリーもすごかった。
配信画面のマリーもすごい。
でも、こうして普通に話すと、意外と話しやすい。
自信満々で。
少し偉そうで。
でも、変なところで真面目。
そんな印象だった。
◇
十七時。
マリーの配信が始まった。
『きたあああああ!』
『マリー様!』
『昨日の件!?』
『サポートくんいる?』
『トオルくん出る?』
マリーはカメラの前で、いつもの勝ち気な笑みを浮かべた。
「待たせたわね。昨日の件について、少しだけ話すわ」
声が違う。
張り方が違う。
空気の掴み方が違う。
視聴者を一瞬で引き寄せる力がある。
徹は画面の外で、それを感心しながら見ていた。
「まず、昨日救助した三枝パーティーについて。怪我人はいたけれど、命に別状はなし。救護班の処置も終わっているわ」
『よかった』
『安心した』
『マリー様ありがとう』
『三枝たち無事でよかった』
コメント欄に感謝の言葉が流れる。
マリーはそれを見て、ほんの少し嬉しそうにした。
「それから、昨日ちょっと話題になったサポートについて」
コメントの速度が上がる。
『きた』
『トオルくん!』
『ダンジョン内のさしすせそ!』
『正式加入!?』
マリーは徹へ視線を向けた。
「来なさい」
「はいよ」
徹はカメラの前に出た。
『本物だ』
『サポートくん!』
『昨日はすごかった』
『落ち着いてるな』
「稲垣徹です。ユーザーネームはトオル。昨日は臨時サポートでした。戦闘能力はありません。荷物は持ちます」
『また荷物w』
『自己紹介それでいいのかw』
『でも信頼できる』
『さしすせそ!』
マリーは満足そうに頷いた。
「彼を、私の専属サポート候補にすることにしたわ」
『うおおおおお!』
『正式発表きた!』
『トオルくんおめ』
『これは推せる』
『無能力サポート×最強天使、始まったな』
「ただし、まだ候補よ。次回の配信で、実際に組んでみる。その結果次第で正式契約を決めるわ」
徹は軽く頭を下げた。
「できることはやります。できないことはできません」
『正直w』
『でも大事』
『信頼できるタイプ』
『マリー様の横にこういう人いるの良さそう』
マリーは徹の言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
「そう。だから私が前に出る。あなたは後ろを見る。それでいいわ」
「了解」
徹は頷いた。
マリーはカメラに向き直る。
「次回配信は明後日。浅層から始めるわ。けれど、ただの浅層配信だと思わないことね」
白いコートが揺れる。
「私の攻略は、どこからだって面白くなるんだから」
コメント欄が歓声で埋まった。
徹はその横で、少しだけ肩をすくめる。
やっぱり、すげえなと思う。
この空気を作れるのが、マリーなのだ。
◇
配信が終わったあと、マリーは大きく息を吐いた。
「お疲れ」
「……ええ」
さっきまでの堂々とした声より、少しだけ小さかった。
「疲れるのか?」
「当たり前でしょ。何万人も見てるのよ」
「平気そうに見えた」
「平気そうに見せてるの」
マリーはアイスティーを飲んだ。
その仕草は、どこか普通の女子高生っぽかった。
「でも、楽しそうだった」
「……そう見えた?」
「見えた」
「ならいいわ」
マリーはコメント欄のアーカイブを眺める。
『ありがとう』
『楽しみ』
『マリー様最高』
『トオルくんも応援する』
その文字を見ながら、彼女は小さく笑った。
「褒められるの、好きなんだな」
「……悪い?」
「悪くないだろ」
「理由が不純だと思わない?」
「何の?」
「人助けする理由」
「別に」
徹は即答した。
「助かった人がいるなら、それでいいんじゃないか」
「……そういうもの?」
「少なくとも、助けない立派な理由より、助ける不純な理由の方が役に立つ」
「変な言い方」
「よく言われる」
マリーは少し黙った。
そして、ふっと笑った。
「あなた、やっぱり変ね」
「初対面からそれ言われるのは心外だな」
「昨日からよ」
「なら仕方ない」
徹は時計を見た。
「そろそろバイト行く」
「本当に行くの?」
「行く。シフト入ってるから」
「私の配信に出たあとに?」
「配信に出ても、バイトは消えない」
「現実的ね」
「現実だからな」
徹は立ち上がった。
「次回の時間、あとで送ってくれ。調整する」
「分かったわ」
「それと、危険な階層に行くなら先に言ってくれ」
「最初は浅層って言ったでしょ」
「念のため」
「心配性?」
「準備不足が嫌いなだけ」
マリーは少しだけ口元を上げた。
「そういうところ、期待してるわ。トオル」
「ほどほどに頼む」
徹はカフェを出た。
外は夕方だった。
徹はスマホを見る。
マリーから新しいメッセージが届いていた。
『明後日、十六時。第一ゲート集合。遅れないで』
徹は返信する。
『了解。荷物リスト送ってくれ』
すぐに既読がついた。
少し間を置いて、返事。
『……そういうところ、本当にサポート向きね』
徹は笑った。
「褒め言葉として受け取っとくか」
スマホをしまい、バイト先へ向かう。
その背中を、カフェの窓越しにマリーが見ていたことには気づかなかった。
そして、もちろん。
白いコートの下にいる少女が、今日も隣の席で小さく「おはよう」と言った綾瀬茉莉であることにも。
稲垣徹は、まだ気づいていなかった。




